指揮官の言葉が変わった。
東海大熊本星翔(熊本)との1回戦で、打撃戦の末に7対10で敗れた北海(南北海道)の指揮官・平川敦は試合後にこう語った。
「投手陣はそれぞれが役割を果たしてくれたと思います。南北海道大会とほとんど同じ形で投手を送り込めたのはよかったかなと思います」
【球数制限から複数投手制が一気に加速】
北海といえば投手育成に長けている一方で、特定の投手への依存が強いチームでもあった。2016年に準優勝した際は、エース・大西健斗が地方大会からほぼひとりで投げ抜き、登板過多の疑念もあった高校のひとつだった。
だが球数制限(2020年から試行実施してきた1週間500球の投球数制限を2025年度から正式に導入)が設けられ、各チームが複数投手で挑むなか、北海も例外ではなかった。ただ平川は複数投手制についてはネガティブで、以前こう語っていた。
「球数制限ができて複数投手を起用しようという意図があって、こうなったわけじゃないんですよ。ただ、信用できる投手がいなかっただけです。また信頼できる投手が出てきたら、ひとりで戦うと思いますよ」
そんな指揮官が今大会、自信を持って複数の投手を起用したのだった。こうした複数投手で戦う流れは、球数制限のルールができてから一気に加速した印象だ。
制度導入当初は「ルールが軽すぎる」と多くの識者の批判があったが、いざフタを開けてみると指導者たちが頑張った。投手育成に本腰を入れ、起用に幅を持たせるようになったのだ。
球数制限の導入は、ひとりの投手の負担を軽減すると同時に、控え投手の登板機会を増やすことにもつながった。今大会の北海のように、たくさんの投手が登板し、それぞれが貴重な経験を得た。
【地方大会では登板なしも甲子園で147キロ】
「2年時の甲子園では焦りがありました。だから、あまり覚えてないんです。でも、その時のリベンジしたい気持ちはあったので、今日はできたかなと思います。ストレートのマックスも5キロ更新しました。甲子園の力というか、あの雰囲気を経験できたことが大きかったんだと思います」
そう語ったのは、東海大熊本星翔戦で北海の4番手としてマウンドに上がった松田収司だ。
1年秋に公式戦デビューし、北海道大会を制し、神宮大会でも登板。2年春には甲子園でも登板を果たしている。しかし、昨年春の選抜以降は度重なるケガと不調で、この夏は地区大会での登板はなかった。
それが最後の夏、甲子園という舞台で返り咲いたのだ。試合展開から投手陣が崩れ、そこで長くチームを支えてきた松田にも声がかかった。
「道大会ではみんなの調子がよく、自分はあまりよくなかったので、登板がなかったのは仕方ないと思っていました。
最速147キロを計測した力強いストレートは、1年生で先発デビューを果たした森健成と並び、投手陣のなかでも強く印象に残った。不調からの復活を印象づけると同時に、松田自身にも大きな自信をもたらしたことは間違いない。
高校卒業後は仙台大に進む予定で、さらなる飛躍を誓う。
「今日の登板で(コツを)つかんだものがありました。この経験を生かして、4年後にはプロに行きたい。育成ではなく、支配下で行けるような投手に成長したいと思っています」

【投手転向1年で甲子園のマウンドへ】
14年ぶり2度目の出場となった東大阪大柏原は、適材適所の投手起用で王者・大阪桐蔭を破り、大阪大会を制した。
なかでも、本格的に投手を始めてまだ1年にも満たない古川恵太が、その能力の一端を示した。尽誠学園(香川)戦では2番手として登板。試合は敗れたものの、5回途中から2回1/3を投げ、最速140キロのストレートを武器に2安打無失点と好投した。
東大阪大柏原の指揮官・土井健大は、かつてオリックスや巨人に所属した元プロ野球選手で、履正社高校時代には選抜出場も経験している。捕手として数多くの投手のボールを受けてきた経験を生かし、投手の適性を見極めてきた。タイプの異なる投手にそれぞれ役割を与え、強力なブルペン陣を形成。
そのなかのひとりが古川である。土井は、打線の中心も担う古川に対し、特別な期待を寄せている。
「まだ進路は決まっていませんが、古川には『プロを目指すなら投手でいけ』と伝えています。僕自身もチームで投手陣の球を受けることがありますが、彼の球質や角度、そして投げる雰囲気には独特なものを感じます。詳しく言うと、ボールの軌道がしっかり出るので、意図的に空振りやファウルを取ることができる。ピッチングに強弱をつけられるのも大きな強みで、これはプロの投手に必要な要素だと思います。だからこそ、古川には大きな期待を寄せています」
その古川は、投手を本格的に始めてまだ1年ほどというから驚きだ。中学時代にも兼任投手として登板することはあったが、ほとんどピッチング練習はしてこなかった。そんな古川を土井が見出し、チームが勝ち方を身につけていく過程で重要なピースとなり、甲子園の舞台を経験するまでに成長した。
古川はこの夏の体験について、次のように語る。
「悔いの残る投球内容にはなったんですけど、本当にすばらしい経験をさせてもらったと思いますし、何より楽しかったです。これからは、どんな球種でもストライクゾーンで勝負できる投手を目指し、テンポよく攻撃につながるようなピッチングができるようになりたいです」
土井の評価を伝えると、意外というような表情を浮かべたが、続けてこう話した。
「正直、投手を始めてまだ1年ほどで、詳しいことはよくわからないんですけど、自分のなかで突き詰めてやろうという気持ちは強いです。球速だけでなく、フィジカル面でも強化して、スキルのレベルアップにつなげていけたらと思っています」

【トミー・ジョン手術を経て再び甲子園へ】
最後にもうひとり、甲子園を沸かせながら苦労した投手がいる。昨春の選抜で胴上げ投手となった健大高崎の佐藤龍月だ。佐藤は選抜優勝の喧騒にも動じず、同年夏の群馬県大会でも奮闘したが、その後、左ヒジに痛みが発覚。靭帯を損傷してトミー・ジョン手術に踏みきった。
およそ1年近くのリハビリを経て、この夏に戦列復帰した。しかし、球数制限があるなかでの起用だったため、リリーフの一角を担う役割に終始。初戦で敗れたこともあり、不完全燃焼のまま大会を去ることになった。
「手術を経験してこの舞台に戻ってこられたのは、応援してくれた皆さんのおかげです。その恩返しが少しでもできたのはよかったと思います」
そう語って笑顔を見せた佐藤だったが、内心は忸怩(じくじ)たる思いがあったに違いない。この夏は、30球前後という投球数制限のなかでリリーフに専念。これまであまり投げてこなかったスライダーも、1回戦の京都国際戦で投げた。
しかし、彼にとってはリハビリを経てここまで戻ってきた道のりにこそ価値がある。自分を見つめ直す機会になったと、佐藤は言う。
「ケガをして、フォームのどこに体への負荷がかかっていたのかをあらためて見直しました。出力を上げるために、体の強化なども含め、いろいろと取り組みました。僕はインステップで投げる際、上半身だけで投げてしまうことがあり、そのためヒジに負担がかかっていました。それにスライダーも投げるので、余計に負担が増えていたのです。そこでフォームを見直しました。今は連投しても疲労感はほとんどありません。まだリハビリ段階ですが、これからさらに高い舞台を目指して頑張りたいです」
佐藤はプロ志望届を出す予定だが、トミー・ジョン手術を受けたことが、どう評価されるかは未知数である。それでも、高校生ではなかなか経験しないケガを乗り越えたことは、大きな糧になるだろう。投球フォームをイチからつくり直したことや、登板はリリーフに限られたとはいえ、その経験は間違いなくプラスになったはずだ。
投手は先発で完投するものだという時代から、複数投手起用制へと変わっていった現代の野球。
甲子園で数試合投げただけでも、のちに日本球界を代表する投手になる──そんな時代がまもなくやってくるかもしれない。