篠塚和典が語る「1980年代の巨人ベストナイン」(9)

山倉和博 前編

(連載8:ショート・河埜和正 長嶋茂雄や江川卓も絶賛した強肩>>)

 長らく巨人の主力として活躍し、引退後は巨人の打撃コーチや内野守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任した篠塚和典氏が、各年代の巨人ベストナインを選定し、各選手のエピソードを語る。

 以前に選んだ「1980年代の巨人ベストナイン」のなかで語るのは、1980年代の巨人を支えた名捕手、山倉和博氏。

高校時代に対戦した際の印象から、巨人でチームメイトになってからの姿、キャッチャーとしての特徴について聞いた。

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【東邦高校時代から感じたセンスのよさ】

――山倉さんの最初の印象はいかがでしたか?

篠塚和典(以下:篠塚) 山倉さんがいた東邦高校が練習試合か何かで銚子に来て、一度うちの学校(銚子商)と対戦しているんです。対戦前から「いいキャッチャーがいる」という話は耳にしていましたし、実際にプレーを見て、高校生離れしているというか、センスを感じました。

――「高校生離れしている」と感じたのは、どの部分ですか?

篠塚 ミットを構えている姿勢やキャッチングなど、いろいろな高校生のキャッチャーを見たなかで「ちょっと違うな」と。キャッチャーらしいというか、落ち着いている印象を受けました。早稲田大でのプレーはほとんど見ていないんですけど、高校生の時点であれだけ能力が高いキャッチャーだったわけですから、大学ではさらに進化しているんだろうと想像していました。

――ドラフト候補としても名前を聞くようになった?

篠塚 自分は山倉さんよりも先に巨人に入ってましたからね(1975年のドラフト1位が篠塚氏、1977年の同1位が山倉氏)。ドラフトにかかる、かからないっていう新聞の記事などで名前が出たりするじゃないですか。その時に「あ、東邦の山倉さんだ」となりました。

――巨人でチームメイトになってからの印象はいかがですか?

篠塚 寡黙で落ち着いている印象でしたが、「キャッチャーはそのくらいのほうがいいのかな」とも思っていました。リード面など守備面でやることが多く、打つほうもおろそかにはできませんし、キャッチャーは考えることが多くて大変ですからね。傍から見ていて、いろいろなことをじっくり考えて取り組んでいるのを感じましたね。ピッチャーの調子が悪ければキャッチャーも批判されてしまいますし、メンタル面も大変だったんじゃないかなと思います。

【南海からの指名を拒否して早稲田大へ】

――山倉さんは高校時代、南海ホークスからドラフト2位で指名され、選手兼監督だった野村克也さんから直接誘われたものの、入団を拒否して早稲田大学に進学しています。

篠塚 そのあたりの事情は詳しく知りませんが、同じキャッチャーの野村さんからそれだけ認められたということですし、いいキャッチャーを補強したい状況だったんでしょう。あくまで僕の憶測ですが、指名されたのが南海だったということで、当時のパ・リーグの人気や資金繰りなどの状況も考えたでしょうし、4年後のドラフトでもセ・リーグの在京球団と地元の中日以外は断るつもりだったようなので......。そう考えると、高校時代に巨人から指名されていたら来ていたかもしれませんね。

――早稲田大に進学したことは山倉さんにとって大きかった?

篠塚 行ってよかったのかもしれません。大学野球を経験して、キャッチャーというポジションについていろいろ勉強できたでしょうから。あと、(山倉氏がドラフト指名された1977年頃は)キャッチャーの吉田孝司さんがベテランに差し掛かっていて入れ替わっていく時期でもあったので、ちょうどいい時期に入団したと思いますよ。

――キャッチャーとしてのプレーはどのように見ていましたか?

篠塚 自分が守っていたセカンドから見ていた印象になりますが、常に冷静でどっしりと構えている感じがあって、安心感がありました。肩はすごく強いというわけではなかったですが、送球のコントロールは安定していましたね。

 打つほうでは、ほとんどのキャッチャーがそうなのですが、山倉さんも7番、8番を打つようなタイプでしたね。いい場面で長打を打ったりして"意外性の男"と呼ばれたりもしていましたが、いざという時の集中力の高さを感じました。打率はそれほど高くはなかったですが、チームの勝利という面で貢献度は高かったんじゃないですか。

当時は山倉さんを含め、どのチームもガンガン打っているキャッチャーは少ない印象でした。

――長嶋茂雄さんは山倉さんに対して、「キャッチャーとしての風格がある」と評価されていました。

篠塚 キャッチングやブロッキング、スローイングなど、キャッチャーとしての能力は、ある程度センスが求められると思います。キャッチャーとしての長嶋さんなりのイメージがあって、そういうふうに感じていたんじゃないですか。

――当時の巨人は、山倉さんをはじめレギュラーがある程度固定されていました。選手側から、キャッチャーが固定されていることをどう感じていましたか?

篠塚 僕らの現役時代は、今みたいに日替わりでいろいろな選手が試合に出ることはほとんどありませんでした。外国人選手の入れ替えなどはありましたが、内野もある程度メンバーを固定してやっていましたから。

 毎試合ピッチャーが変わっていくなかで、「今日はキャッチャーを誰にしようか」となると、チーム全体のバランスが整わなくなってしまいます。キャッチャーが決まっていれば、監督やコーチとしても、毎日のようにいろいろ頭を悩ませる必要もないですからね。

 特にキャッチャーは、試合を作っていくポジション。試合が始まればキャッチャーが監督みたいな感覚でしたし、そういう意味でもしっかりしたキャッチャーがいてくれることは大きかったです。山倉さんは僕ら80年代の巨人にとって、エースである江川さんとのバッテリーを含め、守備の要となる存在でした。

【プロフィール】

■篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と1軍打撃コーチ、1軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

浜田哲男●取材・文 text by Tetsuo Hamada

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