10月22日のドラフト会議。大分商の最速152キロ右腕・平田玲翔は、巨人から2位で指名されると、はじけるような笑顔を見せたあと、そっと目を潤ませた。

涙の理由を問われた18歳は、偽らざる胸の内を明かした。

「本当に不安と楽しみが混ざっていましたが、不安のほうが大きかったです。指名されて、ほっとしたのが一番です」

【プロ野球】巨人ドラフト2位・平田玲翔を覚醒させた監督の「一...の画像はこちら >>
 巨人の印象を聞かれると、「本当にスター選手が多い球団。巨人といえば、坂本(勇人)選手というイメージです」と答えた。目標とする投手には、かつて巨人の絶対的エースとして君臨した菅野智之(ロッキーズからFA)の名を挙げ、「チームの顔であり、エースであるという投手像を目標に頑張りたいです」と意気込んだ。

 そして巨人が1位指名した織田翔希についても、最大級の敬意を払った。直球も変化球も制球力も「全部、自分より上」と認めたうえで、こう続けた。

「負けていないのは、負けん気とか、気持ちの面だと思います。もしチームメイトになれたら、いいところを盗みたいです」

 また、対戦したい打者には牧秀悟(DeNA)を挙げ、「右バッターのなかでも本当にトップレベル。自分がどこまで通用するのか、戦ってみたいです」と目を輝かせた。

 不安の裏側には、強打者に真っ向勝負を挑みたいという闘争心が、たしかに息づいていた。

【聖地を沸かせた剛腕の知られざる過去】

 今夏、平田の名は一気に全国区となった。3年春からエースナンバーを背負い、夏の大分大会では準々決勝の佐伯鶴城戦で自己最速の152キロをマーク。

準決勝では、昨秋と今春の県大会で敗れていた明豊に4対3のサヨナラ勝ちを収め、雪辱を果たした。その勢いのまま大分大会を制し、チームを13年ぶりの夏の甲子園へと導いた。

 甲子園1回戦の日本文理(新潟)戦では、3回無死一、二塁、カウント2ボールという場面で救援のマウンドへ。初球から150キロを記録して聖地の空気を一変させると、ピンチを脱し、7回を投げて2失点の好投。チームに29年ぶりとなる甲子園での勝利をもたらした。

 続く2回戦では英明(香川)に敗れたものの、投打でチームを牽引。高校通算20本塁打、50メートル走6秒0という数字が示すように、188センチの長身には打者としての非凡な才能も秘められている。

 今でこそプロから高く評価される剛腕だが、その出発点は決して華々しいものではなかった。

 那賀誠監督は、中学3年時に初めて見た平田の姿をこう振り返る。

「体は細くて、体重は60キロちょっとだったと思います。球速は130キロほど出ていましたが、逸材という感じではなかったですよね。でも、いいピッチャーになるなという感覚はありました。

発育発達の段階で、成長が遅いタイプ。ピークはもっと先だと思っていました」

 大分商に入学してからも、順風満帆だったわけではない。2年春には140キロ台後半をマークしたが、試合では安定感を欠き、新チームとなった同年秋も背番号7だった。

【プロ野球】巨人ドラフト2位・平田玲翔を覚醒させた監督の「一か八か」の決断 「正直、逸材という感じではなかった」
巨人から2位で指名され、大分商のチームメイトから胴上げされる平田玲翔 photo by Katsuharu Uchida

【一か八かの主将交代】

 転機が訪れたのは、念願のエースナンバーを背負った3年春。ひと冬を越え、平田は別人のような成長を遂げていた。

「150キロを記録しても、先発完投できて、変化球の制球もまとまっていた。『これはすごいピッチャーになった』と思いました。出力が大きいのに体がまだ出来上がっていないので、壊さないように、間隔を空けて投げさせました」

 体重は80キロまで増えた。しかし、平田を真に変えたのは、肉体の成長だけではなかった。新チームの主将は当初、捕手の伊東大雅が務めていた。黙々と練習に取り組むタイプだったが、チームには背中を見せるだけではついてこない選手もいた。

 そこで指揮官が下した決断が、「一か八か」の主将交代だった。

 今年1月4日。

那賀監督は平田に告げた。

「キャプテンを任せるぞ」

 異例の抜擢だった。

「その時点では、どちらに転ぶのかなという不安もありました」

 それまでの平田は、トレーニング系の練習メニューになると、「一番に折れていた」という。ところが、主将を任されると、その姿勢が一変した。

「キャプテンになったら、頑張らざるを得ない。どんどん頑張り出したんです。『平田が頑張ってくれたら甲子園に近づく』と、みんなが支え合って、いい相乗効果が生まれました。『あと1回、あと1本、あと1球』という場面でも、歯を食いしばるようになった。自分の行動と発言を一致させようと努力していました」

 主将としての責任感は、野球への取り組みだけでなく、人としての振る舞いも変えていった。

「対戦相手をリスペクトする気持ちが強まり、同級生にも下級生にも、非常に真摯に接するようになりました。思いやりあふれる言動が見られるようになった。平田玲翔というひとりの人物の求心力で、大分商の野球が本当に急成長しました」

 平田自身にも、その自覚がある。

「自分のことだけじゃなくて、周りのことが見えるようになったのが、一番の成長です。周りが見えると、さらに自分のことが見えてくる。そういうところが成長したので、この(甲子園出場という)結果になったのかなと思います」

【プロ野球】巨人ドラフト2位・平田玲翔を覚醒させた監督の「一か八か」の決断 「正直、逸材という感じではなかった」
(写真左から)父・靖浩さん、平田玲翔、母・朋恵さん photo by Katsuharu Uchida

【日本人最速165キロ超えへの挑戦】

 もともと負けん気は人一倍強かった。

 父・靖浩さんは走り高跳び、母・朋恵さんは実業団のバレーボール選手というスポーツ一家に育ち、幼い頃から「逃げるな」と厳しく言い聞かされてきた。

 その負けん気に、主将としての責任感が加わったことで、九州の剛腕は大きく化けた。プロ入り後の青写真も明確だ。

「理想は、3年目までに一軍で勝てる投手になりたいです」

 球速の目標は、大谷翔平、佐々木朗希(ともにドジャース)がNPB時代に記録した日本人最速の165キロを超えることだ。

「いろいろなトレーナーさんから学んで、体をもうふた回りぐらい大きくしたいです」

 目指すのは、打者がストレートとわかっていても打てない、圧倒的な直球。その先には、新人王、そして沢村賞という大きな目標も掲げている。

「折れずに前を向いて頑張りたいです」

 そう力強く宣言する平田を、那賀監督も頼もしそうに見つめる。

「本校OBの岡崎郁さんや小野淳平さんが、同じジャイアンツのユニフォームに袖を通しています。先輩たちに続いて、大きく飛躍してほしいですね」

 ドラフト翌日の10月23日には、松井秀喜新監督の就任が発表された。

将来的なメジャー挑戦を夢見る右腕にとって、これ以上ない朗報だった。

「メジャーの世界で戦った選手が監督をしてくださる。目標にしたい選手でもありますし、追い越したい存在。期待に応えられるように頑張りたいです」

 年明けのあの日、那賀監督の「一か八か」の賭けが、剛腕の潜在能力を開花させた。折れない強さを武器に、平田玲翔は松井ジャイアンツの門を叩く。

内田勝治●文 text by Katsuharu Uchida

編集部おすすめ