この記事をまとめると
■1970年代のグラチャンレースの車両を真似したカスタムが当時の暴走族の間で流行った■セドリックなどのセダンは街道レーサーとしてカスタムされていた
■1970~80年代は族車カスタムをはじめとしたクルマのドレスアップがアツい時代だった
族車のベースに選ばれたモデルを振り返る
いまやカスタムのグローバルなパワーワードに昇りつめた「暴走族=BOSOZOKU」ですが、もとをただせば1970年代のグラチャンレースに集うレースファン、クルマ好きたちによる改造&チューンアップ。それぞれ推しのクルマを、グラチャン風にドレスアップし、富士スピードウェイを目指して東名、中央道をそれこそかっ飛んでいったわけです。
※画像はイメージ(ミニカー)
この熱気が過ぎたことで社会問題になりこそすれ、クルマのカスタムに罪があるわけでもありますまい。
マツダ・サバンナRX-3
バーフェン・チンスポ・ダックテールと、族車のアイコンが似合いまくっているのがサバンナ。もっとも、当時は族車という呼び方でなくワークススタイルと呼ばれ、それこそグラチャンで走るマツダワークス、片山選手のRX-3を完コピしていたわけです。

バーフェンはすなわちオーバーフェンダーで、とにかく太いタイヤ入れてネガキャンつけられるようにしたもの。現代のフェンダーやブリスターと比べると、ボリューム感あふれるものながら、とって付けた感も否めません(笑)。パテ埋めなどせず、リベット留めというのも男心を大いにそそります。
また、チンスポ(チンスポイラー)もワークスサバンナの場合はフロントにせり出すというより、カーテン状にして空気の流入を制御していたようですが、族車の場合はいわゆる「出っ歯」ラッセル状にせり出すスタイルが定番でした。自作できそうだしね。

そして、ダックテールと呼ばれるリヤエンドスポイラーも、ストレートの長い富士で戦うマシンらしい装備。もちろん、サバンナ推しの人々が放っておくわけもなく、さまざまな素材、スタイルのダックテールが生まれてRX-3の後姿をドレスアップしたわけです。
ちなみに、ホイールはSSRやワタナベのディープリムタイプが主流で、これまたワークスマシンのセレクトに沿ったものでした。
自作のパーツなどを用いて気分は完全にレーサーだった
日産 セドリック ターボブロアム(430)
サバンナがサーキットに由来した族車カスタムだったのに対し、セドリックは街道レーサーというフレーズがしっくりきます。なにしろ国産初のターボ過給マシンですから、シャコタン、バーフェン、サイドステップ、さらには竹槍マフラーといった全部載せが定番中の定番かと。

そんないかついフロントマスクには、アールズなんかのオイルクーラーを取り付けるのも族車としてはデフォ。しかしながら、本家の本物は非常に高価なため、「なんちゃってオイルクーラー」を付けている族車も散見できました。
ちなみに、1990年代以降、現在に至ってもセドリック/グロリア系の族車カスタムは大盛況で、地方の成人式で見られるような1メートルもある出っ歯、二階に届くような竹槍マフラー、そしてルーフのカットオフによるオープン化など、街道レーサーEVOといったニュアンスかと(笑)。
トヨタ・セリカ リフトバック2000GT
シャコタン☆ブギの洋一くんなんてキャラが生まれるくらいですから、TA22、つまりダルマと呼ばれたノッチバッククーペも族車カスタム界では1、2位を争う人気モデル。ですが、ここは「ソレタコデュアル」を定番チューンとしたLBを選んでみようかと。

ソレ=SOREXキャブ、タコ=タコ足マニホールド、そしてデュアル=デュアルマフラーという往時のエンジンチューンにおける三種の神器ですが、なんとなくLBが一番しっくりくるような気がします。むろん、同様のチューニングはスカイラインや30Zでも大流行しているのですが、暴走族カスタムというニュアンスは圧倒的にセリカに軍配が上がるはず。
実際、フルボリュームで排気音を聞いてみれば「たしかに、族車っぽい」となること請け合いです。

メカニカルチューンがメインストリームだったこともあり、上述の2台に比べさほど派手なドレスアップは少なめ。ですが、ニューマンスカイラインでおなじみのシルエットフォーミュラ的なカスタムも一部の熱狂的ファンが完コピした族車というのがありましたね。
いまでこそBMWのチューンで有名なシュニッツァーがヨーロッパトヨタのワークスマシンを製作。成績こそ振るわなかったものの、タミヤからRCキットが発売されるなど、マシンとしては大人気でした。おかげで、スポンサーだった「ローデンシュトゥック(ドイツのメガネブランド)」の名前が脳裏に刻み込まれ、筆者はいまだに同社のフレームを愛用するはめに(笑)。
こう考えると、1970~80年代は、族車カスタムをはじめクルマにまつわるさまざまな文化が生まれ育った時代であり、各地の成人式や大みそかの暴走ニュースを見るまでもなく、そういったカスタムが連綿と引き継がれているというのはじつに感慨深いもの。なるほど、世界中がBOSOZOKUともてはやすのも納得ですね。