まずはプロローグの書き出しの文章を引用してみよう。

「その日は12月24日、クリスマス・イヴだった。
その日がクリスマス・イヴだったことに意味があった。もし、その日がクリスマス・イヴでなかったら、私がこの本を書くことにはならなかっただろう。……今から思うと、すべてはその日、クリスマス・イヴから始ったのだ」

次に第1章の終わりぎわの文章も。

「“We the People(我々国民は)”というのは、アメリカ合衆国憲法前文の冒頭の言葉だ。アメリカ人はそのことを全員が知っている。学校で必ず教えられるからだ。
合衆国憲法前文をすべて暗唱できるアメリカ人も大勢いる。学校で教えられるからだ」

このような文章の反復は、国語的にはあまり美しいものとは言い難い。けれど、繰り返し噛み砕いて説明されることで、著者の言わんとしていることがすんなりと頭に入ってくるという利点があるし、反復によって生まれるグルーヴ感が、文字を目で追うことの快感を増すことにもつながっている。読んでいてクセになるのだ。こういう文章は、書こうと思ってもそう簡単に書けるもんではない。むむむ、この著者、只者ではないぞ!

『謎の1セント硬貨 真実は細部に宿る in USA』と題するこの本を書いたのは、慶応義塾大学医学部准教授、病理診断部部長の向井万起男……というよりも、日本人女性宇宙飛行士・向井千秋さんの夫のマキオちゃん、と言った方が馴染み深いだろうか。


マキオちゃんの奥様は、仕事の都合でテキサス州ヒューストンに住んでいる。マキオちゃんは慶応義塾大学に通わなければならないから、当然、日本にいる。寂しい別居生活だ。でも、心優しいマキオちゃんは、休暇のたびに奥様の顔を見にアメリカまで出掛けていく。
二人はドライブが共通の趣味なので、アメリカで合流するとたいていはハイウェイをぶっ飛ばしてあちこち旅している。長距離ドライブをしていると、数えきれないほどの雑談をすることになるだろう。
たとえばこんな具合に。

「マキオちゃん、知ってた!? アリゾナ州って夏時間を使わないんだって!」
「……それってホントか?」
「このガイドブックにそう書いてあるもん、ホントだと思うわよ」
「へぇ、驚いちゃうなあ。夏時間ってアメリカ全土で使ってるもんだとオレは思ってたよ」

宇宙飛行士という職業に就く人間が、強い好奇心を持っているのはよくわかる。人類にとって究極の好奇心の矛先は宇宙に向けられているはずだから。けれど、そんなチアキちゃんの何倍も、夫のマキオちゃんは好奇心を抱えている。好奇心がおかっぱ頭を乗っけて歩いていると言ってもいい。


そこで、帰国したマキオちゃんはこういう行動に出る。

「私はインターネットでアリゾナの官公庁、各種民間企業のホームページに質問メールを送ってみた。どうしてアリゾナは夏時間を使わないのかという質問」

ふう、やっと本書の概要を説明できるところまで来た。ようするに、この本はアメリカを旅している最中に様々な疑問を感じた向井万起男が、その疑問に関係の深い団体などに直接メールを送って、答えを得ることで、数々の謎を解明していった知的探求の記録なのだ。その質問は多岐に渡る。

「なぜ1943年製の1セント硬貨だけスチールペニーと呼ばれるのか?」
「なぜトヨタの販売店だけがバカでかい星条旗を掲げているのか?」
「なぜアメリカのモーテルはシャワーヘッドが壁に固定されているのか?」
「アメリカの有名な落書きのキルロイって、いったい誰なのか?」

これらの質問がズラリと並び、次の頁にその答えが書かれているだけだったら、それは単なる「アメリカ雑学ブック」といったようなもので、ヒマつぶしにはなったとしても、そんなにおもしろいもんではなかったろう。
わたしもエキレビで採り上げようなんて思ったりはしない。

本書の魅力は、マキオちゃんとチアキちゃんが旅の途中で様々な疑問にぶつかる様子にある。その疑問をメールにして、返ってきた回答を自分なりに噛み砕いてゆく過程にある。そしてなんといっても、それを素晴らしい読み物としてまとめあげた向井万起男の卓抜した文章力にある。
(とみさわ昭仁)