映画のお楽しみのひとつに女優の「濡れ場」があるとすれば、前田敦子だって濡れている。
山下敦弘監督作「苦役列車」の前田敦子の濡れっぷりは、極めて善き映画的だ。

透けたシミーズ姿で海を駆ける前田敦子! 土砂降りの中で意外なアクションを見せる前田敦子! どちらも、観客の心の青春の小部屋を思いきり直撃するだろう。

まだある! これらをひとつを「濡れ場」とするならば、前田敦子が寝たきり老人の下の世話に奮闘する場面も、ある種の「濡れ場」とカウントしたい。むしろ、こここそがヒジョーに名シーンだと思うのだ(力説)。

「苦役列車」で、前田敦子は当たり役を得たといっていい。

彼女が演じているのは、主人公・北町貫多の憧れの美少女・桜井康子役。貫多は日雇い労働で生活費を稼いでいて、楽しみはワンカップと風俗くらいしかないようなさみしい男。
そんな貫多の一筋の希望となるのが康子だ。
この役、試写を見た映画関係者たちが絶賛。特に男性の文筆業者たちはメロメロ。
なにしろ康子は古本屋でバイトしている本好き(横溝正史など)で、友達のいないコミュ力の低い男子ともあっさり友達になってくれる、女神のような存在なのだ。

女神の良さは笑顔の分量にあり。コミュ力の低い人間にとって、笑顔持久力の高い人って疲れるものだから。
……え? 疲れません? だって、そんなふうに終始明るい笑顔をキープできるなら友達もたくさんできるじゃないですか、きっと。
その点、前田敦子演じる康子は、笑顔の滞空時間が短いんです。
で、これは、AKB48における前田敦子の特性を大いに生かしている部分だ。
テレビで放送されるAKB48のパフォーマンスを見ていると、前田を中心に撮っていたカットが切り替わる瞬間、前田の笑顔は消えかかっていることに気づく人もいると思う。他のメンバーたちは、自分がアップからグループショットに変わってもずっと笑っているのに。そこになんかドキドキするではないか。

AKB48のドキュメンタリー映画「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る」では前田敦子の過呼吸率の高さに注目が集まっていたが、どんな時でも笑顔でい続けるには相当のエネルギーがいるものだとつくづく思う。
前田敦子は、通常アイドルが隠している生身の人間のリアルーーがんばり続けないと重力は人間を下降させるーーをさらりと暴いてしまう存在であるが、その特性が「苦役列車」でもよく出ている。
俳優は自分と違う役を演じるものとはいっても、本人と役が混ざった時に最も威力を発揮するもの。ここをしっかり狙っていった山下監督の演出力の確かさを讃えたい。

ところがだ。
こんなに魅力的なキャラクターに原作者・西村賢太は異を唱えているのだ。

芥川賞を受賞してベストセラーになった原作は西村自身をモデルにした私小説だが、このような癒しの美少女キャラは出てこない。このオリジナルキャラについて西村は「彼女の示唆によって主人公の貫多が私小説に開眼するなんてことは、まずあり得ないと思いましたよ」とキネマ旬報7月下旬号のインタビューで答えている。
彼女の示唆というところに出てくるのが、土屋隆夫のミステリー小説『泥の文学碑』だ。西村はこの本をきっかけに田中英光作品に出会い、私小説を書くことになったそうだが、映画の装置としての、この小説の扱いに関して文学好きがどう思うか気になるところではある。未読の方は、図書館で借りるなどして、ぜひ確認してみてほしい。
どちらにせよ、映画は映画、文学は文学。
それぞれ闘い方は違うもの。映画「苦役列車」は映画でしかできない、頭の想像力を超えた制御不能の人間の肉体の動きを撮っているから良いのだ。それが、前田敦子の笑顔の滞空時間であり、数々の水に濡れるシーンである。貫多役の森山未來の肉体も、代表作「モテキ」以上にスクリーンからはみ出しているし、貫多の友人・日下部正二役の高良健吾も原作とはまったく違うキャラを貫いている。
貫多の同僚役のマキタスポーツや、古本屋の店長役の田口トモロヲ、市井の人々を演じるバイプレーヤーの人たちなどの顔つきにもその人にしか出しようのないグラデーションがあって目が離せない。
  
西村賢太は、ヒロインのことだけでなく映画全般についても、肯定してない感じの発言をして映画関係者を苦笑させているが、まあ、この方、こういうキャラで売っているから、褒めたところでねえ……ってとこだろう。

だいたい本当にイヤだったらコメント出さないだろうし。実際、原作者のコメントを一切見ない映画もあるし。
肯定でも否定でもどっちでもいい。面白かったのは、西村が映画の撮影現場を訪れた時、森山に「貫多に感じるのは、共感ですか? 憐憫ですか?」と質問して、森山が「憐憫かな」と答えたら満足そうだったこと。
自分のことを簡単に共感されても、という複雑な気持ちってありますよね。
好きなものを「わかる」「私も好き、いいよねー」って言われてうれしいこともあれば、なぜか「け!」と思ってしまうことってあるじゃないですか。「そこそこ!」っていう喜びと、「そこじゃねえ!」という「境界超えてくるんじゃねえ!」っていうことの違いって、ほんのちょっとしたツボでしかないんだけども。なんかもう人間って本当に面倒くさいものですネ。

で、映画に対しても世間に対しても距離をとっている西村賢太だが、現場 でチラ見したら、指がスッとキレイだったことが予想外で印象的だった。森山は貫多の役作りとして安宿に連泊し、爪に泥が溜まるほどに荒れた生活をしている感じを意識したらしいが、十代の西村はそうだったのかな。それとももしかしたら「爪をキレイにしてないと風俗で嫌われるから」とでもおっしゃるだろうか。気になる。
と、こちゃこちゃ勝手に想像してると、「このコネクレージーどもめが!」(貫多が劇中吐く、サブカル好きな人たちをバカにする名言)と喝破されちゃうかも。
原作に出てこないキャラクターに夢中になって、ごめんなさい、西村賢太さん。
(木俣冬)