11月10日(土)から全国で公開中の映画、「ねらわれた学園」
特集の第3回、中村亮介監督インタビュー後編では、作品に込められた思いについて、さらに深く迫っていきます。

中村監督が、「アメトーク!」を作品作りの参考にした理由とは?
第1回の渡辺麻友さんインタビュー第2回の中村監督インタビュー前編はこちら

――「アメトーク!」が、どのような面で参考になったのですか?
中村 「アメトーク!」で「中学の時にイケてなかった芸人」という企画があって。芸人さんたちが、中学のとき自分たちがいかにイケてなかったかを競って話す番組なんですけど。それを聞くと、中学生のときのすごくバカな自分を思い出すんですよ(笑)。
――「アメトーク!」と、先ほどの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」。どちらも中学時代の自分のことを、思い返してしまう番組だったのですね。
中村 それが大事なんです。
中学生の自分は、大人の自分が今思っているよりも、すごくいろいろなことに悩んだり、考えたりしていた。その一方で、今思っているより、もっとバカでもあった(笑)。だからこの作品でも、その両方の側面を描きたいと思ったんです。
――その相反する感覚を、変に整理せず、そのままストーリーやキャラクターに落とし込んでいった形ですか?
中村 僕自身、土台まではロジックで組み立てるんですけど、実際の制作作業は、感覚とライブ感を大事にしているんです。アニメーションって全部が作為なので。その中に通うリアリティのぬくもりというか、自然さを大事にしたいんです。
だから自分の中では、ひとつひとつの表現が、理屈ではなく感覚にしっくりくるかどうかだけを、制作中は見ているんですよ。今回、特に気をつかったのは、中学生のことを分かったつもりにだけは、ならないでおこうと。外見は中学生なのに、思っていることや行動は大人というキャラクターを、アニメはつい、作ってしまいがちなので。
――こんなにも、中学生の内面を深く描いていく作品に携わられたのは初めてですか?
中村 僕は初めてですね。でも自分が好きな児童文学とか、尊敬する作家は、皆それができているから素晴らしい作品を残していると思うので。大人から見て都合の良い中学生像ではなくて、僕も、等身大の中学生の気持ちに真摯でありたいと思いました。
それを恰好つけずに、恥ずかしがらずに表現したいなと。
――そういったリアルな感情の動きとともに、表情芝居なども非常に繊細ですが、その一方で、いわゆるアニメーションらしい表現も使われていて。特に、ナツキやケンジは、非常にユーモラスな動きも見せる。その振り幅の大きさも、この作品の魅力だと思います。
中村 僕自身の(手描きの)2Dで作る作品はこうありたいという思いを、形にした部分ですね。僕が業界に入った頃(1999年)って、アニメは2Dで作るのが当たり前だったんですね。
3DCGのアニメもありましたが、まだ「なぜわざわざ3Dで作るの?」という感じで。でも今では、技術がものすごく進歩して。もう2Dで作るのが、アニメを作る唯一の方法じゃなくなった。逆に3Dで作っている人たちから、「なぜ、2Dで作るんですか?」と問われているような気持ちになってるんです。
――フル3DCGアニメの映画「009 RE:CYBORG」も話題になってますね。
中村 「ねらわれた学園」には、「2Dで作るアニメーションの魅力は何だろう」という僕なりの思いを込めたつもりです。
だから、「009」は負けたくない相手かもしれませんね(笑)。
――では、3Dアニメにはない、2Dアニメならではの魅力とは?
中村 2Dのアニメを観る喜びって、絵をみる喜び。そして、その絵が動くことへの、理屈ではない感覚的な感動だと思うんです。だから、最初に美術(背景)の方には、写真みたいな美術にしないで、絵画的な美術にして欲しいとお願いしました。キャラクターの動きに関しても、リアルな重心や関節の移動は当然をベースにしますが、その時々で気持ち良く誇張もしようと。僕自身、子供の頃に見ていた、宮崎駿さんの初期の作品とか、「トムとジェリー」のワクワクする感じとかが、2Dの魅力のひとつだと思っているので。

――飛び跳ねるようなナツキの動きなどは、まさにそういうイメージですね。
中村 それが気持ちの表現であるという側面もありますね。例えば、風が吹いても「ねらわれた学園」の中のように気持ちよく人間の髪がなびかないことは、(映画の)「タイタニック」を見ればすぐにわかります(笑)。でもそれは、風が心地良いと感じる、心情の表現だと思っているんです。あとは、シルエット。リアルな人間の写真をなぞればシルエットが綺麗に見えるかというと、決してそういうことはなくて。浮世絵もそうですけど、絵で(デフォルメして)描くからこそ、シルエットを感覚的に、気持ち良くまとめることができると思うんです。
――僕は、キャラのシルエットや見せ方に、フェチズムのようなものも感じました。
中村 ありがとうございます。広い意味での色気というのかな、そこはこだわったところなんです。それこそ浮世絵の時代から、キャラクターのシルエットや誇張された表現に、絵だからこそ感じる色艶を求めるのは、日本人のDNAにすり込まれてることかなと思うんです(笑)。中学生なので強調し過ぎるのもおかしいんですけど、中学生が同級生を見るときの、視線や心情のリアリティというのかな。自分としては自然なバランスを探せたかなと思っています。
――そして、この作品の最大の特徴は光の使い方だと思うのですが。ほぼ全編にわたって、レンズフレアやハレーションのような鮮やかな光が、画面を照らしていますよね。
中村 あれも登場人物たちの心象を描きたかったんです。もし、現実をそのまま描くのならば、実写で撮れば良いと思うんですね。動きに関しても、リアルに表現するだけなら、実写の方が絶対に説得力もある。だから、2Dでやるならば、登場人物の心象や、見ている人の心象が絵に投影されるような画面作りをしたい。そういった絵作りを、今回は全編通してやってます。言葉にすると「青春」なんですけど、それは今の時代の空気的に、言葉ではすごくすごく表現しづらいことなんですよ。だから映像で表現する。でないと、すぐに上滑りしてしまうものだと思うんです。
――この光は、撮影の段階で入れていくのですか?
中村 はい。ただ、最後に光を重ねたら良いわけではなくて。すべての素材に関して、最後の画面へのイメージをもって作業していくことが大事ですね。
――大勢のスタッフと、この完成形のイメージを共有するのも大変では?
中村 そうなんですけど、この作品には、今までに僕の作品を一緒に作ってきてくれたスタッフがたくさん関わってくれているので。時間がないこと以外はスムーズでした。2Dで描くことの魅力に対しても、ここまで自覚的に取り組んだのは今回が初めてで。アニメーションの表現として、ささやかながら狼煙を上げるような作品でありたいと思っているんです。それが結果的に、アニメーションの表現の、業界全体の豊かさにもつながるならば嬉しいですね。保守的なお客さんには、ややとまどいもあるかもしれませんが、見ながら、のびやかな気持ちで楽しん頂けたら嬉しいと思っています。
――次はキャスティングについて伺いたいのですが。全体的な方向性としては、どのようなことを考えられていたのでしょうか?
中村 僕は声優さんの芝居が好きでして。いわゆる芸能人の方を呼んできて、名前で芝居をするのには、たいがい否定的なんですけど。でも逆に、肩書きだけにこだわるのもおかしな話で。実力があるならば、どんな立場の方が演じても構わないはずだと思うんです。渡辺(麻友)さんに関してもそうで。映画を見て頂いたなら、渡辺さんの芝居がどれだけ素晴らしかったか、感じて頂けたと思うんですけど。
――渡辺さんも、本当に声優さんの芝居をしてますよね。
中村 はい。声の芝居の色艶や、切れの良さや緩急の気持ちよさといった、声で勝負している人のこだわりは好きですね。ただ、アニメーションの声優さんの芝居は、時として型にはまりすぎている側面もあって。そこはもう少し自由に、舞台や実写の役者さんの芝居ともまた違う、この作品なりの自然体で心地良いバランスを探したいと思いました。
――ケンジ役の本城雄太郎さんも、まさにそういう自然体なイメージの芝居をする声優さんですよね。
中村 本城君と渡辺さんのペアは本当に上手くいったと思います。もう一つのペア、カホリ役の花澤(香菜)さんと京極役の小野(大輔)さんのペアも、別の形で上手くいっていて。4人のバランスがすごく良い形で、ハーモニーになれたと思います。
――監督の中で、特にこだわりの強いシーンや、もう一度見返して欲しいシーンなどはありますか?
中村 う~ん、監督からすると全部なんですけど(笑)。逆に言うと、全部を頑張り過ぎたかなと(笑)。無駄をいっさい削ぎ落として、ギューと詰め込んでいるので。もしかしたら、1回観ただけだと、若干分かりにくいところもあるのかもしれません。本当に何気ないやり取りの中にも、後の伏線が仕込んであったり。
――具体的には?
中村 (クラス担任の)斎藤先生の話とか、初見では日常的なホームルームの風景としてさらりと描かれているわけですけど、そのわりには込められている意味が重いというのかな。少しでも多くの思いを届けたい、僕の思いが強すぎるのかもしれません(笑)
――そこは、劇場作品初監督という気合いのせいですかね(笑)。
中村 昔から、押井(守)さんが「映画にはダレ場が必要だ」と仰っているのは知ってたんですけど。でもダレ場って何かなと。ダレてるなら切ったほうがいいんじゃないですかと思ってきて(笑)。でも全編、隅から隅まで精緻に作り込むと、頭を整理する時間がないなあとは思いました。逆にいえば、何度見て頂いても発見があるといいますか。そのたびに楽しんで頂けるフィルムになっていると思います。
――一度観て楽しんだ後、「あれはどういう意味だろう」とか細かなところが気になって、もう一度観てもらえたら理想的ですね。
中村 そう言ってしまうと、営業トークみたいなんですけど(笑)。でも、そうです。何度見てもらっても、そのたびに面白い。そういう作品になったという自信はあります。
――この「ねらわれた学園」は、中村監督にとって、どんな作品ですか? そして、今後、どんな作品になっていくと思いますか?
中村 今の自分にできるMAXがこれだという、逃げも隠れもしない、ありのままの自分をさらけ出して、それが形になったような作品ですね。それを恥ずかしがらずに、恰好つけずにやり切ることが、今回の挑戦でした。それがどう評価されて、どう結果に結びつくか。それで今後の僕が、どういう作品作りをさせてもらえるかも決まるので、祈るような気持ちですね。この映画に込めたた思いが、少しでも多くの皆さんに届きますように。そう願っています。
(丸本大輔)