「また日本に来たい!」日本を離れる日、私は両親にそうメッセージを送った。「日本のどんなところがそんなに魅力的なの?」「まだ本が待ってるから!」。
物の重さは、いったい何で量られるのだろう。単なる質量だけでなく、そこに感情の重みが加わることもあるように思う。では、感情はなぜ重くなるのだろう?私は、「欲しい」という気持ちが芽生え、それを手に入れるために努力する過程で、物は本来以上の重みを帯びていくのだと思う。
子供の頃、私の一番の楽しみは本屋に行くことだった。特に夏休みは、エアコンも効いているし本も読めるし、一石二鳥だった。本を買うお金がないときには、本棚の脇に立ち、1冊の本を手に取って1日中読みふけった。特に、読みたいのに開封されていない本に出会うと、毎日のように本屋に通い、まだ残っているかを確認した。
お菓子用のお小遣いをコツコツ貯め、ついに手にした瞬間、私は世界を手に入れたかのような気分になった。家に持ち帰っては何度も読み返し、次の買いたい本が見つかるまで、大切に手元に置いていた。
中学生になる頃、ネットショッピングが普及し、本もより安く買えるようになった。その影響を受け、実店舗の本屋はどんどん減っていった。
しかし、買う本は増えていったものの、最後まで読み切った本はほとんどなかった。そして「新品」のまま本棚に並ぶ本が、どんどん積み上がっていった。私は、日本へ行ったことがきっかけで、その理由に気が付くことになった。
大学で日本語を専攻した私は、いつか日本に行きたいと自然に思うようになっていた。やっと日本に行くと決め、下調べをしているうちに、東京に古本ばかりを売っている神保町という街があることを知った。本当に本だけを売っている街なんてあるのだろうか?と疑問に思い、私は神保町へ行ってみることにした。
駅を出ると、そこはまさに「本の森」だった。本屋の看板の多さに目が回り、ポカンと口を開けて、「へーっ!」と声を出してしまった。お店の前にも大きな棚がいくつも並び、ぎっしりと本が詰め込まれていた。
私は自分の好きそうな本を夢中で選んだ。新品同様の本もあれば、少し古くなった本もあった。
店内に入ると、本の息遣いが聞こえてくるようだった。店内に満ちた本の香り、ページをめくる音、店主と客の落ち着いたやりとり……すべてが「ようこそ」と私に語り掛けているようだった。これは、子供の頃にお小遣いを貯めて本を買っていた時のワクワク感そのものだ。
私は「私を待っている」本を探し求めていたのだ、と気が付いた。何軒もの本屋を回ったが、まだ街の半分も回れていないうちに、すでに体力の限界を感じ始めていた。私は、休憩できる絵本の店に立ち寄り、一休みするとまた歩き出して、もう本が持てなくなるまで街を歩き回った。
ホテルに戻り、手に入れた本の写真を自慢げに両親に送ると、「たくさん買ったね! 疲れたでしょう?」と返事が来た。「ずっと待ってたんだもん!」と私は答えた。
子供の頃、本が私にとって貴重だったのは、それを手に入れるために時間と手間をかけたからだ。ネットで注文すれば2、3日で本が届くのは確かに便利だが、良い本と出会った時の喜びや、何度も読み返したくなるような愛着は生まれにくい。
私は日本語を学んだおかげで日本に行く機会を得て、忘れかけていた本の「重さ」を思い出すことができた。
■原題:本の「重さ」
■執筆者:張克瑶(大連外国語大学)
※本文は、第21回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「『推し活』で生まれた新しい日中交流」(段躍中編、日本僑報社、2025年)より転載・編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。











