1995年3月20日に起こった、オウム真理教による地下鉄サリン事件から14年。同教団や家族を捨て、自立した生活を送る麻原彰晃の四女と、事件直後から同教団の脱会信者の脱洗脳を手掛けてきた脳機能学者が初めて出会った。

2人にとって、オウムとは? 洗脳とは?

 トータル10時間以上に及び、教団の内情から、現代社会の洗脳事情までを語った対談の一部をまずは本誌誌上で独占公開する。

 * * *

松本聡迦(以下、松) はじめまして、松本智津夫の四女の松本聡迦(仮名)です。今日はよろしくお願いします。

苫米地英人(以下、苫) よろしく。

松 苫米地さんの著書は、『洗脳原論』(春秋社)など、いくつか読ませていただきました。オウムに関係したほかの識者の方々と違って、苫米地さんが直接かかわられたのは一連の事件の後だったんですね?

苫 学者仲間の中には、昔からオウムとかかわっていたやつもいたけど、俺はオウムというものも、メディアで騒がれだすまで興味がなかったから。

上祐(史浩・現「ひかりの輪」代表)が新興宗教に行ったというのは聞いていたけど。

松 上祐さんとは、学生時代にお知り合いだったんですよね?

苫 そう。1980年前半だよね。彼が早稲田大学の1年生のとき、ディベートのサークルに入ってきたんだけど、俺は上智大学で日本のディベートサークルの統括的な立場にいたから。彼はオウムの広報部長時代、メディア対応はすごく狡猾なイメージがあったけど、あれもディベートの影響だと思う。地下鉄サリン事件の前、彼が記者会見で怒りながら、フリップを放り投げて話題になったことがあったんだけど、あれはディベートの技法では、「私の主張は100パーセント正しいから、二度とこのフリップの議論には戻らないよ」というデモンストレーションなんだよね。

そういうことをしっかりやっていた。

松 何か戦略的なものは感じましたが、上祐さんがオリジナルで考えたものかと思っていました。

苫 いやいや、俺が海外から持ち込んだ技法のマネだよ。マンガのヒーローをマネたがる子どもみたいなもの。当時の上祐にとって、俺がヒーローだったのね。

松 もしかしたら彼は、苫米地さんにはとてもかなわないけど、私の父ならかなうかもしれないと思ったのかもしれませんね(笑)。

オウムの中では、1番になれると。

苫 それはあるかもしれないね。そうでなくてもオウムっぽいものにはまりそうな雰囲気は当時からあって、「ムー」(学研)とか「トワイライトゾーン」(ワールドフォトプレス)とかのオカルト雑誌をディベートのジャッジルームで朝から晩まで読んでいたからね。

松 その頃から、あの人はオカルト好きな傾向があったんですね。

苫 大学卒業後、宇宙開発事業団に入って、その後すぐに、どこかの新興宗教に行ったらしいって話は聞いていたんだよ。恋人だったU(オウムの元女性幹部)と一緒に。

Uも大学1年生のときから知っているから。そのときは、オウムってものに対して、特別な意識を抱くことはなかったんだよね。どこかの新興宗教でヨーガか何かやってるな、くらいしか思っていなかったから。テレビでよく見るようになって、こんな問題のある教団だったのかって認識して。

松 オウムに直接かかわるようになったのは、地下鉄サリン事件後に、脱会信者を脱洗脳するようになったときからですか?

苫 そうだね。上祐がハマった宗教団体が問題をはらんでいると知って、その洗脳手法を研究しだしたの。

俺の専門は人工知能や認知科学だったし、臨床心理もやっていたので、脳については相当な知識を持っていたからね。そんなときに、公安から連絡があったんだよ、「信者の脱洗脳をやってほしい」と。それで、最初に8人ぐらい脱洗脳をしたね。もちろんボランティア。ちなみに上祐とは学校を卒業してから、1回も会っていない。Uは96年に教団を脱会した後に、脱洗脳をしてあげて、今は一社会人としてがんばっているよ。

松 事件後、オウムを批判するような識者やジャーナリストがほとんどでしたが、教団内では苫米地さんが、いちばん恐れられていましたよ。教団の中にいる信者は、自分が洗脳されていると気づいていませんから、Uさんとかが、どうして変わってしまったのか不思議だったのだと思います。苫米地さんに強引に洗脳されたんじゃないかと言われていました。「あいつの目を見たら危ない」と。

苫 それは言われるだろうね(笑)。聡迦さんは、俺のことどう思っていたの?

松 オウムに関して造詣の深い、事件以前からかかわっていた識者の方々は、オウムを批判することでオウムの暴走の抑止力になっていた一方で、挑発してしまったところもあったと思うんですね。それゆえに評価がしづらいです。苫米地さんは、事件後の緊急時にかかわりだしてくれて、何人もの信者を教団の呪縛から解放したわけですから、私としては評価していました。お世辞ではないです。

苫 教団の中にいたときから、そんなに冷静に分析できたの? まだ小学生だった頃でしょ?

松 はい。「サイゾー」での連載手記でも書かせてもらいましたが、当時の記憶は鮮明にあるし、家族の中でもひとりだけ、教団に対して強い違和感を抱いていましたから。ただ......。

苫 ただ?

松 失礼なんですが、教団内では苫米地さんの女性関係について、あれこれ噂が流れていたので......。美人とはほど遠いですが、私も一応は女性なので、その噂だけは怖かったですね。父の女性関係とか、ひどい例を間近で見てきていますから、そういう話にはナーバスなところがあったんです。実は今日お会いするまでは、ちょっと不安でした。催眠で恋をさせられてしまうのかなとか。

苫 なるほどね(笑)。大丈夫、そんなことしないから。確かに、女性の元信者との仲を週刊誌に書かれたことは何回かあったけど、ウソばかり。脱洗脳したクライアントに手を出したとか。それは100%ないよ。オウムに関連するニュースだったら、とにかく数字が稼げる時代だったから、悪徳カウンセラーというストーリーをつくりたかったんだろうね。

松 どうして違うのに反論しなかったんですか?

苫 無視するのがいちばんだよ。否定や反論をしても、またどうせ揚げ足を取るような報道をされるだろうしね。

松 マスコミが事実と違う報道をしたことによって、「やはり苫米地は悪だ。オウムのほうが正しい」と思った信者がかなりいると思うんですけど、ひどい話ですね。

苫 そんなものだよ。

松 ちなみに、今の上祐さんと会ったら、脱洗脳できますか?

苫 それは上祐だろうが、誰だろうが簡単。ただ上祐は確信犯、つまり洗脳されていない可能性があるんだよ。実際に、早々に"脱麻原"を打ち出して、今は別教団を立ち上げているしね。そこは普通の日本の寺の坊さんと同じ。坊さんは宗教的に仏教を確信しているけど、洗脳されているというわけじゃない。彼らは十善戒とか言っていながら、普通に風俗にも行っているんだから。でも、「お釈迦さんの世界はあるよね」と思っているのが、お坊さんのレベル。上祐は、そんな感じかもしれないんだよね。ただ、入信後は直接会っていないから、今は判断しかねる。
(【2】へつづく/構成=桜のりか/「サイゾー」4月号より)


●苫米地英人(とまべち・ひでと)
1959年生まれ。脳機能学者・計算言語学者・認知心理学者・分析哲学者・実業家。83年、上智大学英語学科卒業後、三菱地所に入社。85年、イエール大学大学院に留学。同大学人工知能研究所研究員、認知科学研究所研究員を経て、88年、カーネギーメロン大学大学院に編入、計算言語学の博士号を取得。帰国後、徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長などを歴任。95年に起こったオウム真理教による地下鉄サリン事件後、公安の依頼により、同教団信者の脱洗脳を手掛ける。近著に『成功脳の作り方』(日本文芸社)、『営業は「洗脳」』(サイゾー)、『苫米地式コーチング』(インデックス・コミュニケーションズ)など。


●松本聡迦(まつもと・さとか/仮名)
1989年、松本智津夫(麻原彰晃死刑囚)の四女として生まれる。6歳のときに地下鉄サリン事件が起きるも、外部の情報から遮断されていたため、事件のことを知ったのは15歳のとき。その後、教団との関係を保つ家族のあり方に疑問を抱き、16歳のときに家を出て、後見人(後に辞任)となった江川紹子氏の元に身を寄せる。07年夏、同氏の元から離れて以降、派遣会社で働いたり、ネットカフェ難民やホームレスをしたりしつつ、現在は自立した生活をしている。昨年6月号より、本誌で告白手記を掲載。きょうだいは、姉3人、弟2人。



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