■盗んだ小舟で漕ぎ出す! ドラマに見る松陰密航未遂
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の来週日曜(1月25日)放送の第4回では、本作最初の山場ともいうべき吉田松陰(寅次郎)の密航未遂事件がとりあげられる。これは1854年に、松陰が弟子の金子重之助とともに、当時来航していたペリー艦隊に対し、アメリカへ戻る際には自分たちも一緒に連れて行ってほしいと直談判したという事件だ。
このとき沖に停泊する艦隊に、松陰らが小舟を懸命に漕いで近づく様子は、ドラマでもきっとくわしく描かれることだろう。

前回で紹介した、松陰を主人公としたNHKドラマ 「蒼天の夢 松陰と晋作・新世紀への挑戦」(2000年)でも、当然ながらこの事件はとりあげられている。そこでは松陰たちが、舟を漕ぐ櫓と船体をつなぐ櫓杭がなくて、ふんどしで代用するさまがコメディタッチで描かれるばかりか、渡米の願いはかなえられなかったとはいえ、艦隊の司令長官であるペリーとの面会が許され、別れ際にはアメリカ国歌の演奏で見送られるというVIP並みのもてなしを受ける。松陰らの渡米が認められなかったのは史実だが、ペリーとの面会や国歌の演奏は、原作となった司馬遼太郎の小説『世に棲む日日』にも出てこない。おそらくドラマオリジナルの設定だったのだろう。

松陰の密航未遂は、大河ドラマでは2010年放送の「龍馬伝」の第6回「松陰はどこだ?」でもとりあげられている。
その筋立ては、密航をくわだてる松陰(演じるのは生瀬勝久)を、福山雅治演じる坂本龍馬が止めようとするという、多分にフィクションを交えたものだった。

さらにさかのぼって、1977年の大河ドラマ「花神(かしん)」でもまた、『世に棲む日日』を下敷きに、この密航未遂事件が出てくる。しかしその描写は「蒼天の夢」とはえらく異なり、松陰たちには終始悲壮感が漂っていた。櫓杭がないことに気づく場面も悲劇への第一歩として描かれる。松陰らは難渋しながら舟を進め、やっと一つの艦にたどり着いたものの、船員からは、ペリーのいる旗艦ポーハタン号に行ってくれとたらい回しにされる(これは原作どおり)。そのポーハタン号でもにべもない態度をとられ、渡米どころかペリーとの面会もかなわず、半ば強引に追い返されてしまうのだった。


密航失敗後、その罪が松陰の師匠である佐久間象山にまでおよび(江戸を離れ、郷里の信州で謹慎させられる)、また重之助は低い身分ゆえ、士分の松陰とはべつの獄に収監され、そこで病死する。自分の理想を追い求めるがあまり、周囲まで巻き込んでしまうという、松陰の欠点というか脆さみたいなものが、この一連の流れにはよく表れていたように思う。なお「花神」では松陰に篠田三郎が扮し、重之助を最近では野草愛好家としてもおなじみの岡本信人が演じた。

■のちのシャアが久坂玄瑞とともに自害――「花神」
大河ドラマで幕末の長州を主な舞台にとりあげた作品は、「花燃ゆ」以前には「花神」だけである。長州出身の洋学者・村田蔵六(のちの大村益次郎)を主人公とした「花神」は、司馬遼太郎の同名小説のほか、前出の『世に棲む日日』、高杉晋作と架空の人物である天堂晋助を描いた『十一番目の志士』、越後・長岡藩の家老、河井継之助を主人公とする『峠』など司馬の複数の幕末物を原作とした。

複数の小説を原作としたのは、一人の英雄の一生を克明に描くよりも、むしろ群像劇として、近代日本の夜明けである幕末を描こうという狙いからだったという(鈴木嘉一『『大河ドラマの50年』)。
また物語の軸に、松陰や高杉といった幕末長州を代表するヒーローではなく、日本の近代軍制の創始者とはいえ、やや地味なイメージのある村田蔵六を据えたのにも、早世した2人より年長で、明治維新を見届けた蔵六を通して幕末を総体的にとらえようとの意図があったと思う。それは、劇中で「革命は思想家、戦略家、技術者と三種類の人間によって引き継がれ完成する」と、それぞれ松陰・高杉・蔵六の維新における役割を説明したナレーションからもあきらかだ。

主人公の村田蔵六には中村梅之助が扮した。後年、大河ドラマの常連となる中村梅雀の父親だ。梅之助は放送当時47歳。蔵六が亡くなったのは満45歳だから、その年齢を踏まえたのだろう。
松陰(満29歳没)を演じた篠田三郎は当時29歳と年齢が完全に一致、高杉(満27歳没)を演じた中村雅俊も当時26歳とやはりほぼ同い年だ。

「花神」ではこのほか、奇兵隊の参謀・時山直八を松平健(当時24歳)、奇兵隊軍監の山県狂介(のちの有朋)を当時30歳の西田敏行が演じた。前出の中村雅俊とあわせ、いずれもその後大河で主役や大役を務めることになる実力派俳優だ。ひょんなことから高杉の部下となり、諜報や暗殺を繰り返す天堂晋助を演じた田中健も、のち1990年の大河ドラマ「翔ぶが如く」では、維新の三傑のひとり桂小五郎(のちの木戸孝允)役にまで出世している。なお「花神」で桂に扮したのは昨年亡くなった米倉斉加年である。

今回の「花燃ゆ」でナレーションを務める池田秀一も、「花神」に松下村塾での松陰の弟子のひとり寺島忠三郎の役で出演している。
蛤御門の変(禁門の変。1864年)で、寺島が同じく松陰門下の久坂玄瑞(演じるのは志垣太郎)とともに自害を遂げるシーンは、このドラマの一つの見せ場だ。

久坂と寺島の自害は、ドラマのダイジェストである総集編では第3回に出てくる。総集編ではこの場面のあと、東野英心扮する井上聞多(のちの馨)が、長州藩の御前会議で「ジョーイ! ジョーイ! 断固、攘夷あるのみです!」とやけになって叫ぶ。欧米列強と幕府や朝廷までも敵に回し、長州藩が存亡の危機を迎えたシリアスなシーンなのだが、妙におかしい。それにしても、このシーンをはじめ劇中で描かれる、危機に際して長州が焦土になるまで戦うと覚悟を決める長州人たちの姿に、司馬遼太郎は太平洋戦争末期の日本人の姿を重ね合わせていたような気がしてならない。


大河ドラマでは1968年の「竜馬がゆく」以来、幕末物は当たらないというジンクスがある。「花神」もそのジンクスを打ち破ることができなかった。視聴率は第1回が16.5パーセントと歴代大河では最低を記録、その後も振るわず、平均では19.0パーセントと20パーセントを割っている。それでも、当時NHKのドラマ部にあって同作の企画を指揮した遠藤利男は後年、「内容面で成功したと思う」と語った(鈴木、前掲書)。大河ドラマでは毎年本編の終了後、年末か年始に総集編の放送が慣例となっている。普通なら視聴率の悪い作品は総集編も短くまとめられてしまうところだが、「花神」の総集編は5回分、総計で約8時間半にわたって放送された。これもまた、スタッフの自信の表れではないか。

残念ながらNHKには「花神」の全話の映像は残っていないようだが、総集編が長尺のおかげで、いまでもかなり細かい部分まで作品の内容を把握することができる。現在、DVDがリリースされているほか、NHKオンデマンド(有料)でも今年7月3日まで配信(購入期限は6月30日)されている。

■転がる楽器で争いのむなしさを表現――「奇兵隊」
幕末の長州を舞台にした映像作品として、最後に「奇兵隊」を紹介したい。これは1989年、日本テレビで年末大型時代劇スペシャルとして放送されたもの。このシリーズでは、1986年の「白虎隊」以来、87年の「田原坂」、88年の「五稜郭」、さらに「奇兵隊」の翌年、90年の「勝海舟」まで5年間幕末物が続いた。いずれも大作で、「奇兵隊」の場合、2部構成で、総計5時間を超える。DVDも2枚組でリリースされている。

「奇兵隊」のキャスティングは、偶然なのか「花神」と重なるところが多い。主人公の高杉晋作は、「花神」では晋作の部下の役だった松平健が務め、そして高杉晋作役だった中村雅俊は、「奇兵隊」では桂小五郎として特別出演している。さらに「花神」では桂小五郎役を務めた米倉斉加年は、銅像で登場する吉田松陰の声をあてている。

それはそれで興味深いのだが、劇中、長州が秘密裏にイギリスに派遣した5人の留学生のうち、井上聞多と伊藤俊輔(のちの博文)が遅れて渡航したり、久坂玄瑞が蛤御門で自害ではなく銃撃によって死んだりと史実と違う点が目立つのはやや気になった。また、欧米列強4カ国との馬関戦争(四国連合艦隊下関砲撃事件。1864年)後の講和協議で、下関沖の彦島の譲渡を迫られた高杉が『古事記』を暗誦し続けてつっぱねたというエピソードがなかったのもどうにも惜しい。ちなみにこのとき通訳を務めたアーネスト・サトー(これまた史実とは違うはずだが)を、デーブ・スペクターが演じている。

それでも、高杉ら改革派の若い藩士の後見役だった周布政之助を津川雅彦が好演するなど、見せ場はけっして少なくない(なお周布と敵対する保守派藩士の椋梨藤太を、津川の実兄・長門裕之が演じている)。片岡鶴太郎扮する大村益次郎もなかなかハマっていた。前年の映画「異人たちとの夏」あたりから本格的に演技に開眼した片岡だが、第二次長州征伐のシーンで一瞬、湯豆腐を口に入れて熱がるカットは、元祖リアクション芸人の鶴ちゃんを思い出させた。

津川演じる周布は、蛤御門の変ののち凄惨な自害を遂げた。この場面だけでなく、このドラマではおびただしい人の死が描かれている。それは長州藩士にかぎらない。馬関戦争のくだりでは、戦いを前に戦艦上でクラリネットを吹いていたアメリカ兵がいたが、終戦後、そのクラリネットが海岸に転がり、兵士の死が暗示される。さまざまな立場の人の死を描くことで、争いのむなしさを強調することが、このドラマの主眼の一つといえるかもしれない。

この記事を書くため、「花神」と「奇兵隊」で高杉晋作の生涯をたどるうち、幕末の長州の志士のなかでも高杉晋作の存在感はやはり圧倒的だとつくづく感じた。何物も恐れない高杉の姿は、どこか現代のヤンキーのようでもある。将軍家茂の行列に「よっ、征夷大将軍」と声をかけたり、松陰の遺体を別の場所に移す際に、将軍しか渡れない橋を、役人の制止を振り切って強行突破したりと、大人から顰蹙を買うことを好んで行なうというのはまさにヤンキーの心性そのものではないか。もっともその意気がりが、のちに討幕へと突き進む彼のモチベーションになったことは間違いない。「花燃ゆ」では、高良健吾が高杉を演じる。クールながら、キレるとヤバそうな雰囲気のある高良がどんな高杉像を見せてくれるのか楽しみにしたい。
(近藤正高)