子供の頃から雑誌が好きで、編集者・ライターとして数々の雑誌の現場を見てきた新保信長さんが、昭和~平成のさまざまな雑誌について、個人的体験と時代の変遷を絡めて綴る連載エッセイ。一世を風靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」というユニーク雑誌まで、雑誌というメディアの面白さをたっぷりお届け!「体験的雑誌クロニクル」【36冊目】「企業が文化を支えた時代と『is』」をどうぞ。



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【36冊目】企業が文化を支えた時代と『is』

 



 一口に雑誌といってもいろいろだが、そのなかに「企業文化誌」というジャンルがある。代表的なものとして挙げられるのが資生堂の『花椿』だ。創刊は、なんと1937年。公式サイトには〈現代を美しく心豊かに生きるためのヒントを、ビューティーやファッション、カルチャー、社会課題に対する取り組みなどのコンテンツを通じて、読者の方々にお届けする資生堂の企業文化誌〉と紹介されている。 



 書店で無料配布される出版社のPR誌と同様に、資生堂のショップなどでは無料配布されていたのでPR誌と呼ぶこともできるが、自社製品に関連する情報に限らず、上記のような幅広いテーマを扱う。何しろ写真やデザインがカッコよく、資生堂の企業イメージとも相まって、馥郁たる文化の香りに満ちていた。2015年813号で紙の月刊誌としては発行を終了、2016年からはウェブに移行した(ただし、紙版も年1回ぐらい出ている模様)。



 東海道・山陽新幹線のグリーン車に置かれている『ひととき』やANAの機内誌『翼の王国』なども企業文化誌の一種だろう。飛行機はあんまり乗らないが東海道新幹線はちょいちょい乗るので、グリーン車を奮発したときは『ひととき』を楽しみに読んでいる。今も続いている巻頭のエッセイ「そして旅へ」のコーナーには私も執筆したことがあり、創刊20周年記念冊子『だから、私は旅に出る』掲載の20選の一編に選ばれたのは光栄だった。



 渋谷パルコのフリーペーパー『GOMES』(1989年~96年)も記憶に残る。タナカカツキ+天久聖一による『バカドリル』を筆頭に、しりあがり寿、岡崎京子、原マスミ、中ザワヒデキらが執筆。

まさにサブカルの殿堂であり、GOMES漫画グランプリからは辛酸なめ子らを輩出した。



 それらの雑誌は「え、これタダでもらっていいんですか?」と思うぐらい、内容的に充実していた。言い方を変えれば、誌面にお金がかかっていた。出版社のPR誌は自社出版物の宣伝と、連載を単行本化するためのプラットフォームの役割があるが、他業種のPR誌(企業文化誌)の場合はそうではない。それでもお金をかけられたのは、要するに日本の経済に余裕があったからだ。高度成長期からバブル期を経た90年代にかけては、企業が美術館などの文化施設を創設・運営することも珍しくなかった。



  そんななかで、特異な存在感を放っていた企業文化誌が『is』である。発行はポーラ文化研究所。名前からわかるとおり、化粧品会社のポーラが化粧を学術的に探求することを目的として1976年に設立。2年後の1978年に『is』を創刊した。季刊で値段は350円(創刊当時)。資生堂の『花椿』と違って、無料配布はされていなかったものと思われる。



 創刊号の特集は「鏡」。化粧と鏡は切っても切れない関係で、そこからの発想だろうと思うが、中身は化粧とほとんど関係ない。巻頭は「鏡の変奏曲(バリエーション) 空間から環境へ」と題した多田美波と秋山邦晴の対談。多田は光の反射を生かした彫刻で知られる美術家で、秋山は現代音楽を中心とした音楽家・評論家である――と知ったふうに書いたが、さっき検索するまで知らなかった。 



 もくじから記事タイトルを拾うと「鏡よ鏡・文学的断章 エラスムスからベケットまで」「夢を紡ぐ鏡・鏡の精神分析」「破鏡と悟り・悟道の象徴としての鏡」「鏡のドラマトゥルギー・神話の鏡・能の鏡」「鏡・写真・映画」「建築の錬鏡術」「鏡の発生と伝播」「現代美術と鏡のイマージュ」という感じで、実にハイブロウである。



 連載も「身体のエステティク」「都市の解剖学」「様式の死と再生」「精神の存在論」「部屋の宇宙誌」とアカデミック。文化欄に相当するコーナーは比較的親しみやすいが、それでも執筆者は〔GALLERY〕海野弘、〔BOOKS〕池内紀、〔FILM〕蓮見重彦、〔MUSIC〕林光、〔STAGE〕利光哲夫、〔FASHION〕平野秀秋と錚々たる顔ぶれが並ぶ。



 



 創刊当時中学2年生の私は、さすがに手に取らなかったというか、存在すら知らなかった。初めて買ったのは、1987年12月発行の38号。特集テーマは「お金のドラマトゥルギー」である。





企業が文化を支えた時代と『is』 【新保信長】連載「体験的雑誌クロニクル」  36冊目
『is』(ポーラ文化研究所)38号(1987年12月)



 



 時あたかもバブル経済が絶頂に向かっていく時代。個人的には新卒で入った会社を1年経たずに辞めようとしていた時期で、バブルもへったくれもなかったが、お金というテーマには人並みかそれ以上に興味はあった。

怪しげな表紙の絵にも惹かれた。



 記事の中では「信用システムとイリュージョン」と題された種村季弘と高山宏の対談が最高だ。種村の『ぺてん師列伝』に登場するジョン・ローという経済思想家をとば口に、貨幣経済の幻想性を語り合うのだが、高山が一人で2ページしゃべったかと思うと種村が2ページしゃべるという具合で、対談の体を成していない。次から次へと話題は転がり、本物の碩学同士がぶつかるとこうなるのか、混ぜるな危険!と思わず苦笑してしまう。



 「South Sea Bubbles(南海泡沫事件)」と呼ばれる1720年のロンドンの株式市場の大暴落の話から、高山が〈歴史上、こんなに今の世界、とくに東京と似ている状況というのが、ちょっとほかに見当たらないぐらいよく似ている。土地の投機はあるし、エンクロージャー運動というのもかなり煮詰まってきていますよね。(中略)土地を担保にしながら、紙幣という記号だけがどんどん悪循環を続けていく。それは、今の東京の地上げのシステムとちっとも変わらないんじゃないかと思うんです〉と述べているのは、実体のない株価だけが上昇を続ける現在の日本の状況とも重なって見える。



 もうひとつ面白かったのは、赤瀬川原平による「『神聖』なカネ、マイナスの楽しみ」だ。初めて訪れた外国であるイギリスで、お金の扱い方が雑であることから、〈単なる媒介物にすぎないお金を神聖視する日本人の特徴〉を見出す。自動両替機を狙った磁気テープのニセ札の登場を機に〈お金の価値がいろいろな意味で変わってきた〉と感じ、〈欲望のレヴェルがもっとケタを変えてしまったために、お札というのはほんの狭い範囲のものになってしまったといえる〉と綴る。かつて「千円札」を模写した作品で物議を醸した赤瀬川らしい考察だが、今の電子マネー全盛の世を見たら、どう感じただろうか。



 明治時代の紙幣に登場した天皇の肖像について分析した「お札のイコノグラフィー」(柏木博)、民話などにおける「富」の描かれ方をひもとく「打出の小槌を振り続けると…… お金と欲のフォークロア」(小松和彦)など、ほかにも読みごたえのある記事がたくさん。写真や図版も多用されたAB判のワイドな誌面は、580円の入場料で「お金」がテーマの企画展示を見たような充実感がある。



 そう、一冊一冊がまるで小さな博物館のようなのだ。「PANORAMIC MAGAZINE intellect & sensitive」というキャッチフレーズのとおり、その視野は広い。手元にある号の特集テーマを挙げれば、「ペット感覚」(48号)、「浪費」(52号)、「『酩酊』の精神誌」(55号)、「人形愛」(56号)、「地下世界」(57号)、「味覚」(61号)、「走る人」(64号)、「空想旅行」(80号)といったところ。バラバラのようだが、手元にあるということは「私の興味あるテーマ」という共通項があるわけだ。 





 バックナンバーリストを見ると、「水」(6号)、「香り」(8号)、「秋」(65号)、「白砂青松」(73号)、「庭をつくる」(77号)など典雅な感じの特集もあるが、私が買った号はどことなくアングラ感というかフェティッシュな匂いが漂う。「浪費」「人形愛」「地下世界」なんかは完全にそうで、執筆者も高山宏、海野弘、永瀬唯、秋田昌美、小谷真理と、その筋ではおなじみの面々だ。50号から63号にかけては、伴田良輔の連載「絶景の幾何学」もあって好きだった。





企業が文化を支えた時代と『is』 【新保信長】連載「体験的雑誌クロニクル」  36冊目
左から『is』(ポーラ文化研究所)52号(1991年6月)、56号(1992年6月)、57号(同9月)



 



 ほかにも「擬態プレイ」(29号)、「つがい・ペア・カップル」(32号)、「明るい下着」(37号)、「あやうい文体」(46号)、「『編集』プロダクト」(50号)、「失われた書物」(71号)、「楽しい?愚行」(76号)など、買っておけばよかったというか今からでも欲しい特集号がある。デザインもカッコよくて、私が買い始めた頃は清原悦志、51号(1991年3月発行)からは鈴木成一がアートディレクションを担当している。



 書店で平積みになることはないし、いわゆる文芸誌コーナーに置くにはサイズが大きく、かといってカルチャー誌の中に入ると逆に小さく地味。

しかも季刊なので、うっかりしてると見逃してしまう。私自身もどこで買っていたのか、どのコーナーに置いてあったのか、もはや思い出せないが、たまに見かけて自分の趣味に合う特集だったときの喜びは大きかった。



 しかし、2002年9月発行の88号にて同誌は休刊する。「あ、終わっちゃうんだ」と思いながらも、最後の特集が「isがwasになるとき 終わり方の研究」というのにニヤリとした。be動詞の現在形が過去形になって終わりとは、なんともシャレているではないか。東京個別指導学院のサイトの解説によれば、そもそもbe動詞の役割とは〈主語について説明する〉ことだとか。そう言われてみれば、さまざまなテーマについて考察・解説する雑誌のタイトルにはぴったりだった。……と思いきや、終刊号の編集後記では誌名の由来を〈intellect(知)とsensitive(感性)の頭文字〉と説明していて「そこは気づかんかった!」と思ったが、まあ、両義的なニュアンスなのだろう。





企業が文化を支えた時代と『is』 【新保信長】連載「体験的雑誌クロニクル」  36冊目
『is』(ポーラ文化研究所)88号(2002年9月)



  



 終わり方について、それぞれの切り口で書かれた原稿には、やはり寂しさが漂う。その中で目を引かれたのは、坪内祐三による「博文館の『太陽』が沈んでいった頃」という記事だった。 



〈雑誌の終わり方で印象的なのは『太陽』である〉という冒頭の一文を読めば、私なんかは【26冊目】で取り上げた平凡社の『太陽』を思い浮かべるが、そうではなく〈もちろん博文館の『太陽』のことである〉とくる。出版業を近代的なビジネスに押し上げた出版社・博文館が明治28年(1895年)に創刊した雑誌で、現代の総合雑誌の原型ともいえるものだったらしい。

創刊号は売れに売れ、何度も増刷された。 



 ところが、時が経つにつれ勢いを失い、大正時代半ばには「時代遅れの雑誌」扱いされることになる。そして、昭和3年2月号にて休刊となるのだが、その休刊号を入手して読んだ坪内氏は〈これが予期に反して、いや私の予想通り、面白い。かなり読みごたえのある号なのである〉と記す。



 



 なぜ「予想通り」なのかというと、〈『月刊ASAHI』(朝日新聞社)や『ノーサイド』(文藝春秋)の終刊の頃にフリーの編集者として立ち会った経験のある私は、終刊間際の雑誌というものが、特に版元が大手であればあるほど、ある種の自由(期待感のうすさから来る自由)がきいて、アナーキーな面白さを出せることを知っている〉からだ。 



 確かに、終刊間際のやけくそパワー、どうせつぶれるんだから何でもやったれ、あとは野となれ山となれという感覚は私にも覚えがある。何かクレームが来ても「じゃあ廃刊にします」あるいは「もうつぶれました」と言えばいい。私の場合は休刊を機に会社を辞めてフリーになることを決めていたから、さらに怖いものなしだった。



 当の『is』自体は、もともと高尚な雑誌だし、発行元はポーラ文化研究所だし、そこまで羽目を外すことはなかったが、最後の特集を「終わり方の研究」としたのが精一杯の意思表示だったのかもしれない。



 編集長・山内直樹氏は、終刊号の編集後記を次のように締めくくる。



〈いま『is』が終刊を迎えるにあたり、さまざまな特集テーマの二十四年間の軌跡を考える。時代にそれが何ほどの意味を持ったのかは分からないが、少なくとも時代の文化のある様相を表わしたものだということは記憶しておいてほしい。そして、このような形式の雑誌がこの時代に存在していたということも〉



 冒頭に書いたとおり、2015年には資生堂の『花椿』も月刊誌としての刊行を終了した。『is』と似たようなテイストのブックレットを1982年から刊行していたINAX(現LIXIL)も2021年をもって出版活動を終了。セゾン文化と呼ばれたものも、とっくに消えてしまった。『ひととき』や『翼の王国』は今もあるが、基本的に車内や機内という限られた場所のみのメディアである。企業が文化を支えていた時代のぜいたくさは、もはや記憶の中にしかない。企業運営の美術館も閉館・縮小が相次ぐ。それどころか公立の博物館や美術館にも利益をノルマ化する時代。日本は本当に貧しくなったなと思うのだった。



  



文:新保信長

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