江戸時代に遊郭が設置され繁栄した吉原。その舞台裏を覗きつつ、遊女の実像や当時の大衆文化に迫る連載。
■「禿」として育てられた女の子

 第2回『吉原繁栄の裏で「身売り」された貧困家庭の娘たち』の図2に、農村の幼い女の子が女衒に買い取られ、連れて行かれるところが描かれていた。

 こうした女の子は、女衒によって各地の遊里に転売された。

 なかでも、吉原の妓楼に売られた女の子は、禿として育てられた。

 禿はいわば遊女見習いである。遊女に命じられた雑用をこなしながら、遊廓のしつけを学んでいく。

 しつけにはもちろん、性的な知識も含まれる。

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写真を拡大 図1『浮世学者御伽噺』(志満山人著、文政5年)

 図1では、花魁に用事を命じられた禿が、戻ってきて――

「おいらんへ、あのね、もしもし、あのね、う~、何だか忘れんした。たしか、煙草のことざいます」

 と、泣きそうな顔になっている。

 髪飾りや衣装などは普通の女の子にくらべると派手だが、しょせん十歳前後の子供なのに違いはない。いじらしい光景と言えよう。

性的に早熟にならざるを得なかった「禿」の過酷
写真を拡大 図2『絵巻物今様姿』(美図垣笑顔著、天保13年)図2『絵巻物今様姿』(美図垣笑顔著、天保13年)

 いっぽう、図2は、夜の妓楼の光景。とくに用事を言いつけられていないのをさいわい、禿ふたりがおはじきをして遊んでいる。

こんな場面を見ると、やはりまだ女の子だった。

 それにしても、十歳前後で親元から引き離され、集団生活のなかに放り込まれたのである。

 しかも、まわりは男と女の性が濃厚にただよう環境だった。いやでも、禿は性的には早熟にならざるを得ない。もちろん、妓楼はこれが狙いだった。

 妓楼で生活するなかで禿は、男と女のからみ合う寝床を目の当たりにすることもあったし、遊女のよがり声を耳にするのはしょっちゅうである。

 まずこんな環境に慣れさせることで、禿から性的な羞恥心を消し去ったのである。

■「訓練」をほどこされていた

 さらに、具体的なことを記した文献はないが、妓楼は禿の段階から訓練をほどこしていたと思われる。

 訓練とは、陰部を名器にするための鍛錬や、入浴時の陰部の洗い方などである。

 手ほどきをしたのは、先輩格の遊女や、監督係の遣手であろう。

 禿は十四歳前後で、下級遊女である新造となったが、まだ客を取らない。妓楼は新造の初潮を待ったのである。

 さすがに初潮があるまで性交渉はさせなかったわけで、吉原の妓楼は最低限の人道は守っていたことになろうか。

 そのかわり、初潮があったと見るや、すぐに遊女デビューである。

 それに先立ち、水揚という儀式がある。水揚は、女の性の初体験である。

 ただし、吉原では楼主や、妓楼に奉公する男である若い者と遊女の性的関係は厳禁されていた。そこで、水揚は、妓楼の馴染み客のなかで女あつかいの上手な初老の男に依頼した。

 つまり、性のベテランに水揚を頼んだのである。

 

 水揚を頼まれた男にしてみれば、まさに男冥利に尽きる思いであったろう。

 いったん水揚をすませると、新造はどんどん客を取らされた。

 楼主としては、

「これまでさんざんただ飯を食わせてきたのだ。さあ、稼いでもらいまっせ」

 ということだろうか。

 新造として人気が出ると、昇進して花魁となった。

幕下の力士が晴れて関取となるのと同じである。

 もちろん、幕下のままで終わる力士が多いのと同様、新造のままで終わる遊女も多かった。

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