「コンビニなどで売られているビニール傘は生地に単体オレフィン生地を使っていますが、縁結は3層構造のオレフィン生地を使い、濡れても生地がベタつかないようにしています。傘布と各骨の接合部分に、傘を広げた際、内側から風にあおられても風が抜ける工夫が施してあり、持ち手にかかる負担を和らげます。雨の園遊会の際、美智子さまが傘を肩にかつぐようにお持ちになりご挨拶される。ゆえに、まともに風が吹くと負担になってしまう。それを軽減するために考えました」
2年前に作り上げ今年2月から一般販売もはじめているそうだ。売り上げも上々で、購入者は一般客がほとんどだという。一方で、選挙用の傘「シンカテール」はその名の通り業務用の需要が半数を占める。
「選挙用の傘は、機能性はそのままに縁結よりも目立たないようにデザインしています。主役はあくまで政治家なので、どんな傘を持っているという印象が残ってはまずい。一見するとコンビニで売られている傘と同じように見えるが、テレビで大写しになった時に、手元のデザインの違いでシンカテールかどうか見分けがつきます。
ここまで透明なビニール傘にこだわるには理由があった。じつはホワイトローズ社、享保6年から10代続く江戸浅草の老舗傘屋であり、世界で初めてビニール傘を作った傘会社だったのだ。
「ビニール傘の原型は昭和27年にできました。元は傘にかぶせるためのビニールカバーがはじまりでした。なぜなら当時、合成繊維というものがなく傘布は絹か綿でした。絹は高価なので綿を使うのですが、綿は染めたり防水加工をすることが難しい。よって、雨に濡れると水漏れや色落ちしやすかったのです。その後、合成繊維などで生地が丈夫になったこともあり、カバーの必要性がなくなった。それなら同じ素材で傘そのものを作ろうということになりました」
ビニール製傘カバーが誕生した過程では、様々な苦労があったそうだ。
「先の大戦により先代がシベリア抑留になり、昭和24年に帰国しました。終戦は昭和20年ですから、他より4年遅れたことになります。当時の4年間の差は大きく、傘業界の様々なルート確保で完全に出遅れました。
しかし前述のように、ビニール傘の開発で再び他社と競合することになった。
「傘業界の他社からすればビニール傘は邪魔な存在です。傘屋からは締め出され販売することさえできなかったのですが、東京五輪で来日していた米国のバイヤーの目にとまった。それを契機に米国での販路が開けました。また国内でも傘屋は取り扱ってくれなくても、ファッションとしてアパレル業界がビニール傘を取り扱ってくれました」
現在、国内における傘の需要は年々高まっているが、ほぼ全てが中国製品とのこと。同じビニール傘でもコンビニ傘とは目指す方向性が違う宮内庁御用の傘。値段は張るが、悪天候でも壊れにくい安全性と老舗の技術が詰まっている。
(加藤亨延)