『ベルばら』については、マンガにしろ宝塚での舞台版にしろアニメ版にしろすでに多くの人が語っています。いまさらわたしが付け足すようなことは何もないような気がするのですが、せっかくの機会ですから、先の2冊を参考にしながら『ベルばら』の何がすごいのかについてちょっと書いてみようと思います。
■主人公はマリー・アントワネットだった!
ちなみにわたしが『ベルばら』を初めて読んだのは恥ずかしながら昨年のこと。それもSKE48でのわたしの推しメンである秦佐和子の影響から読んでみようと思い立ったのでした(宝塚ファン、アニメファンとして知られる秦さんは、「日刊サイゾー」でテレビアニメ版『ベルばら』について熱く語っております)。
もちろん18世紀末の革命前後のフランスを舞台にしたものだとか基礎中の基礎レベルの知識は持っていたのですが、実際に読んでみると思いこんでいたのと違ったことも少なくなかったです。たとえば、『ベルサイユのばら』の主人公は「男装の麗人」オスカルかと思いきや、あくまでフランス王妃マリー・アントワネットだということとか。そもそも池田理代子は、オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクによる伝記文学『マリー・アントワネット』に感銘を受け、そのマンガ化として『ベルばら』を企画したのでした。
とはいえ、アントワネットが母国オーストリアからフランスのルイ16世(結婚時は王太子)に嫁いだときから、彼女お付きの近衛連隊長を務めるオスカルの存在感は登場時より圧倒的だし、実在したスウェーデン貴族フェルゼンはのちにアントワネットとオスカルと三角関係となり、物語を散々かき回します(ラストシーンに登場するのも彼。ちなみに彼女・彼らはいずれも1755年生まれの同い年)。少年時代よりオスカルに仕える従者のアンドレも、初めの頃はじつに頼りなさげで、とてものちのち彼女と恋仲になるとは思えないのだけれども、物語が進むにつれ成長していきます。
もちろん歴史マンガゆえに制約もあります。しかし『ベルばら』ではむしろそれを逆手にとって、実際に起きた事件をうまく物語に落としこんだところも多く、感服させられます。たとえば、アントワネットを巻きこみ一大スキャンダルとなった「首飾り事件」。その首謀者であるジャンヌは実在の女性なのですが、作中には彼女の母親違いの妹としてロザリーという架空の女性(モデルは革命勃発後、収監されたアントワネットを世話した女性とされる)が登場します。その描き方もじつに対照的。ともに貧しい家で女手ひとつで育てられた2人ですが、「どんなにひどい手を使っても上流社会へのし上がろうとする野心家のジャンヌに対し、ロザリーは心の優しい少女として描かれています。しかしそのロザリーも、育ての母が貴婦人の乗った馬車に轢き逃げされたのをきっかけに、その貴婦人……ポリニャック伯夫人に復讐するべく貴族の世界に潜りこみ、オスカルたちと出会うのでした。ジャンヌもポリニャック伯夫人も実在したとはいえ、歴史書では数行の記述で終わってしまうような存在にすぎません。それを『ベルばら』では、多分にフィクションを盛りこみつつちゃんとした背景を持たせたのでした。それも単なる悪女としてではなく、どこか読者に共感を抱かせてしまう人物造形がなされています。
このほかにも『ベルばら』にはじつにたくさんの人物が登場し、みなそれぞれに背景を負っています。
他方、1979年から翌年にかけて日本テレビ系で放送されたアニメ版「ベルサイユのばら」では、とくに出崎統が監督を務めた後半において、アンドレとその衛兵時代の同僚であるアランの熱い友情が強調されることになりました。ラストも原作とはまた違ったものとなっています。
それにしても、これだけ壮大なストーリーで、人物もたくさん出てくるにもかかわらず、『ベルばら』の連載期間は足かけ2年と比較的短く、中央公論社版の愛蔵版で全2巻、集英社の文庫版で全5巻、「完全版」でも全9巻と、けっして読了するのに何日もかかるようなボリュームではありません。作品の濃密さを示す何よりの証しといえるでしょう。
■徹底したリアリズム
『ベルばら』をめぐっては、その連載開始前、編集部から「歴史ものが少女読者にうけるわけがない」と反対されたという伝説があります。しかし担当編集者が周囲を説得してくれたこともあり無事に連載が始まり、予想に反して大ヒットとなりました。その理由はいくつか考えられますが、何よりも、歴史を遠い昔のこととしてではなく、読者から広く共感を呼ぶような、リアルで普遍的なドラマとして描いたというのが大きかったのでしょう。
あまりのリアルさに、完結まぎわ、オスカルの死亡フラグを察知した読者から無事を祈る電報が届いたということもあったといいます(『池田理代子の世界』には、その電報の写真が掲載されています)。「週刊少年マガジン」での『あしたのジョー』の連載中に矢吹丈のライバル力石徹が死んだとき、版元の講談社で葬儀が開かれたことはよく知られていますが、歴史上の人物として描かれたオスカルにそこまでのリアリティを読者に抱かせたというのは、やはりすごいというしかありません。
リアルといえば、作中での時間の進み方も当然ながら現実に即したものとなっています。
小学1年生のときに単行本で初めて『ベルばら』を読んだというよしながは、まずルイ15世(ルイ16世の祖父)が天然痘でボロボロになりながら死んでいくシーンに、「ホラーマンガ的に引かれた」といいます。そう言われてみると、よしながの作品の『大奥』(現在ドラマ版が放映されるほか、新たな映画版も年末に公開予定)で物語のキーとなる「赤面疱瘡」もその描写といい、『ベルばら』での天然痘を彷彿とさせます。
『大奥』は江戸時代を舞台にしたものですが、よしながふみには『ベルばら』と同じく18世紀ヨーロッパを舞台にした『執事の分際』や『ジェラールとジャック』といった作品もあります。考えてみれば、『ベルばら』がなければ、少女・女性マンガの世界でこれほどまでに歴史マンガという分野は開花しなかったかもしれません。
■オマージュ、パロディも次々と登場
『サザエさん』『ドラえもん』、あるいは『巨人の星』や『あしたのジョー』など名作マンガにはパロディがつきものです。『ベルばら』もその例に洩れません。ただ、上記の4作品に関しては、原作のイメージを損ねているように思われるパロディもちらほら見られるのに対し、『ベルばら』にはあまりそういうのがないような印象があります。その意味では、パロディというよりもむしろオマージュといったほうがいいかもしれません。
前出の『池田理代子の世界』でも、「マンガの古典 ベルサイユのばら 少女・少年マンガの垣根を越えてオスカルが愛(パロディ化)された理由」と題するページが設けられ、さまざまなパロディ作品が紹介されています。そういえば、わたしがポリニャック伯夫人の名前を初めて知ったのは、吉田戦車の『伝染るんです』によってでした。たしか単行本の第1巻に、ヤクザがふと浮かんだ夫人の名前が気になって、わざわざ地方にいる大親分へ新幹線に乗って聞きにいくという四コママンガがあったのです。
最近では池田理代子本人が、朝日新聞で『ベルばらKids』という4コママンガを連載しています。そこでは、『ベルばら』のおなじみの登場人物が3頭身化され、ユーモアたっぷりに描かれるといういわばセルフパロディとなっています。キャラ設定にもいまっぽい要素が混ぜられ、たとえばルイ16世は、大の相撲好きにしてパソコンマニアとされていたり。池田は同作について、《「ベルばら」のキャラクターは、みんな若くして悲惨な死に方をしているじゃない。(中略)だから私は、まだ死んでなくてこんなふうに楽しく生きてるよと、そういうつもりで今描いてるんですけどね》と語っています(『ベルばらミュージアム』)。
『ベルばら』は登場人物が多いだけに、受け手としてもパロディも含めさまざまな楽しみ方をすることができます。このあたり、メンバーの大勢いるアイドルグループとちょっと似ています。わたしも最近、大のベルばらファンでアイドルファンでもある友達と、もし『ベルばら』をAKBのメンバーで演じるとしたらどんな配役になるだろうという話で盛り上がりました。