聴覚は最期まで残る感覚だという説をご存じだろうか。
死期が近く、話すことや目を開けるエネルギーすら残っていない人でも最後まで耳は聞こえているということを、ポプラ社より発売されている『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』を読み、初めて知った。
著者である佐藤由美子さんは、アメリカのホスピスで音楽療法士として働いてきた。本書は、音楽療法を通して人生を振り返り、残された時間を生き抜いた患者さんやそのご家族とのエピソードを収録したノンフィクションである。
佐藤さんが「聴覚は最期まで残る」と実感したのは、音楽療法士として働き始めて1年目のことだ。
クリスマスの1週間前に、80歳の末期の肺がん患者の女性・テレサを訪問した。そこには静かに目を閉じ横たわっているテレサと、60代後半ほどのテレサの息子と娘がおり、連日つきっきりで看病をしていた彼らは、病室を訪問した佐藤さんを前に、音楽療法をなぜ今やるのか?と困惑した表情だった。
しかし「母さんはミュージカルが好きだったし、音楽を聴くっていうのも悪くないかもしれない」という息子の言葉により、佐藤さんは『サウンド・オブ・ミュージック』の挿入歌である『エーデルワイス』を歌い始める。
それをきっかけに、彼らはテレサの思い出を語り出した。
新しいミュージカルの公演があるたびに足を運んでいた母さん、歌いながら家事をしていたけど特に歌が上手いというわけではなかった。音痴なのは母さんに似たのかもしれない。
そんな他愛もないことを話していると、息子は涙を浮かべながらおもむろに口を開いた。
「正直、いつ亡くなってもおかしくないと思ってた。でもだいじょうぶだよ」と、テレサへ語りかける。
最後に佐藤さんは、テレサが好きだったクリスマスソングとして「きよしこの夜」をリクエストされ、歌うこととなった。クリスマスの季節になると必ずテレサが口ずさんでいた曲を、佐藤さんは囁くように歌い始める。
すると、3番の歌詞に差し掛かった時、ずっと閉じていたテレサの目が開き、にっこりと微笑んだのだ。そして、最後の歌詞を歌い終わるのと同時にゆっくりと息を吸い込み、それから二度と息を吐き出すことはなく、テレサは亡くなった。
本書内で、佐藤さんは「彼女は、家族から最後のお別れを言ってもらえるのを待っていたのかもしれない」と語る。
そして、その言葉を聞き、好きだったクリスマスソングのメロディーに包まれて、彼女はようやく旅立ったのだ。
残された家族にはテレサがいなくなったことで大きな悲しみが残るかもしれないが、それ以上に、優しいテレサの思い出がいつまでも胸に留まり続けるのだと思う。
本書の編集を担当した天野さんに、出版の経緯を伺った。
「たまたまですが、佐藤さんのブログを見つけました。今でも覚えていますが、その記事のタイトルは『聴覚は最期まで残る感覚』というものでした。記事の内容ももちろんのこと、なんて素敵なフレーズなんだろうと思いました。
なお、著者である佐藤さんは、アメリカのラッドフォード大学大学院に入学して初めて「音楽療法」という言葉を聞いたそうだ。どんなものか試しにクラスをとってみたところ、音楽療法の授業を初めて聞いた日に、「ずっと探し続けていたものを見つけた」と確信して、音楽療法士の道を志した。
そんな佐藤さんは、本書内にてさまざまな曲を歌っているが、その歌声についても天野さんに伺ってみた。
「佐藤さんと一緒にデイサービスや心臓病のお子様が集まる会などをまわり、体感型の音楽療法セミナーをやりました。佐藤さんの歌は本当に優しいです。
また印象的だったのが、心臓病の子どもを持つ親御さんが、セミナーの最後に「一人ひとりにこんにちは、と唄いかけることが、まるで生きていてくれてありがとうという言葉に聴こえて泣きそうになりました」と語ってくれたことだとも天野さんは振り返った。
「聴く人の心を揺さぶり、自然と感情の発露を促す。佐藤さんの歌にはそんな力を感じます」
本書には、佐藤さんの優しい気持ちがあふれそうなほどこめられている。そんな佐藤さんの優しさに後押しされ、残された時間を生き抜いた人々、彼らは私たちに幸せの意味を指し示しているように思われる。
(薄井恭子/boox)
死期が近く、話すことや目を開けるエネルギーすら残っていない人でも最後まで耳は聞こえているということを、ポプラ社より発売されている『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』を読み、初めて知った。
著者である佐藤由美子さんは、アメリカのホスピスで音楽療法士として働いてきた。本書は、音楽療法を通して人生を振り返り、残された時間を生き抜いた患者さんやそのご家族とのエピソードを収録したノンフィクションである。
佐藤さんが「聴覚は最期まで残る」と実感したのは、音楽療法士として働き始めて1年目のことだ。
クリスマスの1週間前に、80歳の末期の肺がん患者の女性・テレサを訪問した。そこには静かに目を閉じ横たわっているテレサと、60代後半ほどのテレサの息子と娘がおり、連日つきっきりで看病をしていた彼らは、病室を訪問した佐藤さんを前に、音楽療法をなぜ今やるのか?と困惑した表情だった。
しかし「母さんはミュージカルが好きだったし、音楽を聴くっていうのも悪くないかもしれない」という息子の言葉により、佐藤さんは『サウンド・オブ・ミュージック』の挿入歌である『エーデルワイス』を歌い始める。
それをきっかけに、彼らはテレサの思い出を語り出した。
新しいミュージカルの公演があるたびに足を運んでいた母さん、歌いながら家事をしていたけど特に歌が上手いというわけではなかった。音痴なのは母さんに似たのかもしれない。
そんな他愛もないことを話していると、息子は涙を浮かべながらおもむろに口を開いた。
「正直、いつ亡くなってもおかしくないと思ってた。でもだいじょうぶだよ」と、テレサへ語りかける。
「もう逝っていいんだよ」と。
最後に佐藤さんは、テレサが好きだったクリスマスソングとして「きよしこの夜」をリクエストされ、歌うこととなった。クリスマスの季節になると必ずテレサが口ずさんでいた曲を、佐藤さんは囁くように歌い始める。
すると、3番の歌詞に差し掛かった時、ずっと閉じていたテレサの目が開き、にっこりと微笑んだのだ。そして、最後の歌詞を歌い終わるのと同時にゆっくりと息を吸い込み、それから二度と息を吐き出すことはなく、テレサは亡くなった。
本書内で、佐藤さんは「彼女は、家族から最後のお別れを言ってもらえるのを待っていたのかもしれない」と語る。
そして、その言葉を聞き、好きだったクリスマスソングのメロディーに包まれて、彼女はようやく旅立ったのだ。
残された家族にはテレサがいなくなったことで大きな悲しみが残るかもしれないが、それ以上に、優しいテレサの思い出がいつまでも胸に留まり続けるのだと思う。
本書の編集を担当した天野さんに、出版の経緯を伺った。
「たまたまですが、佐藤さんのブログを見つけました。今でも覚えていますが、その記事のタイトルは『聴覚は最期まで残る感覚』というものでした。記事の内容ももちろんのこと、なんて素敵なフレーズなんだろうと思いました。
また、聴覚が残ると言われた時に、妙な納得感がありました。あ、そうか、だから私たちは家族が亡くなる最期の瞬間まで声をかけるのか、と。そしてそれが本当に届いているなら、それは患者さんにとってもご家族にとってもなんて大きな救いなんだろう、と感じました。佐藤さんの活動と、佐藤さんが出会ってきた人たちの人生。性別も職業も年齢も病気もさまざまでしたが、彼らの人生は本当に魅力的でした。これは私以外にも、多くの人の心に響く一冊になる。しかも、ただの感動本ではなく、『生きるとはなにか』『死とはなにか』『看取りのありかたとは』といった、生きていくうえで、そして死にゆくうえで大切なことを考えさせる、大切な一冊に。そんな使命感を抱きました」
なお、著者である佐藤さんは、アメリカのラッドフォード大学大学院に入学して初めて「音楽療法」という言葉を聞いたそうだ。どんなものか試しにクラスをとってみたところ、音楽療法の授業を初めて聞いた日に、「ずっと探し続けていたものを見つけた」と確信して、音楽療法士の道を志した。
そんな佐藤さんは、本書内にてさまざまな曲を歌っているが、その歌声についても天野さんに伺ってみた。
「佐藤さんと一緒にデイサービスや心臓病のお子様が集まる会などをまわり、体感型の音楽療法セミナーをやりました。佐藤さんの歌は本当に優しいです。
聴衆が複数いたとしても関係なく、ひとりひとりに語りかけ、そっと心のドアを開いてくれるような、そんな歌声です。余談ですが、佐藤さんは最初によく『こんにちは』の歌を唄います。『こんにちは、○○さん。あなたのために唄ってもいいですか?』と尋ねるのです。いやだったら唄いませんよ、と。そこが佐藤さんの優しさなのかな、と思います。決して歌や音楽を強制しないところがすごいなあ、と感じました」
また印象的だったのが、心臓病の子どもを持つ親御さんが、セミナーの最後に「一人ひとりにこんにちは、と唄いかけることが、まるで生きていてくれてありがとうという言葉に聴こえて泣きそうになりました」と語ってくれたことだとも天野さんは振り返った。
「聴く人の心を揺さぶり、自然と感情の発露を促す。佐藤さんの歌にはそんな力を感じます」
本書には、佐藤さんの優しい気持ちがあふれそうなほどこめられている。そんな佐藤さんの優しさに後押しされ、残された時間を生き抜いた人々、彼らは私たちに幸せの意味を指し示しているように思われる。
(薄井恭子/boox)
編集部おすすめ