様々な“オトナの事情”により、過激なことができなくなった昨今のバラエティ番組。90年代の「何でもありだった時代」のテレビウォッチャーにとっては、いささか、物足りなさを感じることもあるでしょう。

刺激に乏しいテレビの現状を憂うほどに、やはり痛感するのは『進め!電波少年』はすごい番組だったということ。その異常性・反道徳性は、甘い痺れのように懐かしく、私たちの脳裏を駆け巡ります。

拉致・監禁も!? 斬新だった『進め!電波少年』


タレントへの拉致・監禁まがいの行為は当たり前、過度な断食や危険地域でのヒッチハイクも強制して、挙句の果てにはヤクザの事務所へアポなし突撃……。
こうした危なすぎる企画の連続だったため、世間から非難されたのは確か。しかし一方で、「そうきたか」と思わせる斬新な企画の数々は、世間から熱烈に受け入れられ、最盛期には30.4%という高視聴率をたたき出しました。そんな同番組の成功に、おそらく、ライバル局の編成担当は歯噛みしていたに違いありません。

「うちの局にも電波少年のような番組があったら……」。そんな思いをカタチにしてしまったのが、以下に挙げる類似番組。明らかに意識した創りながらも、スレスレでパクリではない(?)その内容を紹介していきます。

『トロイの木馬』(フジテレビ:1998年放送開始)


90年代、「楽しくなければテレビじゃない!」というスローガンのもと、自他共に認める民放バラエティの盟主として君臨していたフジテレビ。同局にとって、前衛的かつ高視聴率連発の『電波少年』は、嫉妬と羨望の対象だったのでしょう。
その結果、この『トロイの木馬』と後に挙げる『ワレワレハ地球人ダ!!』、2度に渡って、パクリ……いや、リスペクト番組を制作したのです。

ユースケ・サンタマリアと千秋という、男女ペアのMCにスタジオでVTRを見せるという『トロイの木馬』の手法は、松村邦洋と松本明子を司会者に置く『電波少年』的方法論のあからさまな模倣。「佐藤VS鈴木 日本縦断無銭サイクリングレース」や「アメリカ大陸縦断早押しウルトラクイズ」など、ヒッチハイク企画が多いところも、本家そっくりでした。

あまりにも酷似しているその内容により、日テレ側からクレームが来たいわくつきの番組です。

『世界超密着TV!ワレワレハ地球人ダ!!』(フジテレビ:2000年放送開始)


『トロイの木馬』に独自性があるとすれば、素人をメインに企画を展開したところくらい。その部分を徹底することで、本家との明確な差別化を図ったのが『ワレワレハ地球人ダ!!』です。
企画のチャレンジャーとなったのは、主に番組ディレクター。彼らが様々な世界の未開拓地に赴き、懸賞金つきの巨大生物や、触ったら死ぬドクロなどを探しに行くという、アドベンチャー要素満載なドキュメンタリーとなっていました。
後の『世界行ってみたらホントはこんなトコだった!?』で活かされる、「ディレクター+旅モノ」のノウハウは同番組で確立されたに違いありません。

『イカリングの面積』(テレビ東京:2000年放送開始)


『イカリングの面積』は、世の中にある、ありとあらゆるものの限界を調査して曖昧さをなくそうという主旨のバラエティ。メインコーナーは、都市伝説で10年ほど前に一躍有名になった関暁夫のお笑いコンビ・ハローバイバイが「厚底サンダルは、地面に擦り続けて何km進めば普通のサンダルになるか?」「ボウリング球を転がして、何km進めばビリヤードの球になるか?」を検証する、ヒッチハイク系企画でした。
通常、この手の企画はヒッチハイカー2人の人間模様や、旅先での紆余曲折を楽しむものなのですが、ハローバイバイの2人にいたっては、「出会った人へ意図的に苦労話をして金銭を恵んでもらう」などの人として難アリなところがフォーカスされるという、珍しい手触りの内容になっていました。

いかがでしたか? ちなみに、上記3番組はいずれも低視聴率が理由で1年以内に終了しています。類似番組をヒットさせるのは難しいことを示すケーススタディであると同時に、「電波少年の前にも後にも電波少年なし」というのを証明する事象となりました。やはり、『進め!電波少年』は不世出の番組として永遠に語り継がれていくのでしょう。
(こじへい)

「電波少年 BEST OF BEST 雷波もね!」
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