90年代後半に一大旋風を巻き起こした「ハイパーヨーヨー」。かつて、アニメ『ちびまる子ちゃん』の中でも描かれ、昭和50年代に一大ブームになったという伝説のおもちゃ、コカ・コーラ印の「ラッセル ヨーヨー」の平成版として販売されたこの商品は、大車輪⇒ループ・ザ・ループ、犬の散歩⇒ウォーク・ザ・ドッグといったように、アメリカナイズされたトリック(技名)が特徴でした。
これらの技をデモンストレーション的に、ハイパーヨーヨーのテレビCMで披露していたのが、「U.S.Aフリースタイルチャンピオン」という謎の肩書で紹介された黒人少年アレックス・ガルシアと、本稿で取り上げる中村名人こと中村謙一さんです。
訴求力抜群だったハイパーヨーヨーのテレビCM
このテレビCMを見た時の衝撃は今も忘れられません。ダボダボなB系ファッションに身を包んだアレックスと、痩せ形で絵に描いたようなフツメンの中村名人が、アッパーなBGMに乗せて華麗にヨーヨーを乱舞させ、カメラに向かってポージング。そして、「ついに日本上陸!」というお馴染みの煽りナレーション……。古臭い子どもの遊びとばかり思っていたヨーヨーが、自分のあずかり知らぬところでスタイリッシュな競技へと変貌を遂げていたことを痛感した瞬間でした。
全国の子どもたちが高難易度技に挑戦し、家の壁や天井を傷付けた
CMの効果は絶大でハイパーヨーヨーは飛ぶように売れ、多くの子供たちがアレックスや中村名人のような超絶テクを身につけようと、10級から1級、さらには1段・2段と、一つひとつに習字教室のような級位・段位が設けられていた技の習得のため、自宅でコツコツと腕を磨いたものです。
しかし、難易度の高い技に挑戦しようとすればするほど家の壁・床を傷つけ、また、ループ・ザ・ループ系の縦回転を必要とする技ともなると、天井の照明を破壊する可能性さえあったため、ハイパーヨーヨーは、集合住宅における「ダンス・ダンス・レボリューション」と双璧を成す、「家でやると親が嫌な顔をするもの」の代表格でした。
『SMAP×SMAP』にも出演した中村名人
さて、中村名人に話を戻しましょう。1997年に世界大会で準優勝を果たした名人は、ハワイに拠点を置くプロスピナー集団 「THP(チームハイパフォーマンス)」に所属した初の日本人プレイヤー。ハイパーヨーヨーブームの波に乗り、コロコロコミックや『おはスタ』で頻ぱんに取り上げられたり、『SMAP×SMAP』にお呼ばれしたり、草なぎ剛と石田ゆり子主演の学園ドラマ『先生知らないの?』に本人役で出演して劇中の子供たち相手に超絶技巧を披露したりと、子供たちのヒーローとしてさまざまなメディアから引き合いがありました。
特にすごかったのが、ハイパーヨーヨーを題材にしたコロコロコミックの漫画『超速スピナー』における活躍ぶり。同作で名人は本人役で登場。主人公たちを見守る頼りがいのあるアニキ存在でありながら、作中でたった1つ「ストリングプレイ スパイダーベイビー!!」とドヤ顔でトリックを披露するシーンがあったために、度々ネタにされたものです。
最近は『OHAOHAアニキ』に登場
このように、栄光の日々をおう歌していた名人ですが、ハイパーヨーヨーの第1次展開期(1997年~2000年)が終了すると、それに伴って、メディア露出は激減。2001年からは、ヨーヨーのオンラインショップ「Sheepho(シーフォ)」の運営を開始するも、売れ行きは今一つですぐに閉鎖。以降は表舞台に出ることはなくなり、代わりにクールなイメージと相反する狂気じみた変顔写真が流出したため、「ついに壊れたのか?」などと噂されたりもしましたが、現在に至るまで地道な活動を続けていたようです。
白髪やない!おしゃれやで!
— OHAOHAアニキ公式 (@oha2aniki) 2017年11月2日
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近年においては「懐かしのあの人」および「レジェンドスピナー」として、イベントなどに呼ばれる機会が少しずつ増えてきた中村名人。昨年11月もテレビ東京の深夜番組『OHAOHAアニキ』に出演し、「ブーム時はビルメンテナンスの仕事も並行してやっていて、年に4日しか休みがなかった」と当時の裏話を暴露したり、懐かしのトリックを披露したりしていました。現在御年46歳。またどこかで、かつて日本中の子供たちを熱狂させた往年の妙技を披露してもらいたいものです。
(こじへい)