
※本文にはネタバレがあります
福田亮介の巧みな演出に浸る『俺の家の話』5話
『俺の家の話』(TBS系 毎週金曜よる10時〜)第5話は、楽しい家族旅行編のはじまり。うそ(寿一の声で読んでください)。【前話レビュー】『あまちゃん』手がけた宮藤官九郎のテンポいい朝ドラ的様式が痛快
要介護の寿三郎を伴っての家族旅行には困難が伴う。そのひと悶着が、寿限無と大州の反抗期や、さくらや踊介の恋、寿三郎の意外な秘密、寿一の思い出補正など具だくさんの巻き寿司みたいに描かれた。5話における、とりわけ秀逸な部分を振り返ってみたい。
能を使った「時間」の表現
冒頭、グレた寿限無(桐谷健太)渾身の「道成寺」の見せ場のひとつ「乱拍子」の場。シテ(主人公)がわけあって石段を一段一段登っていく足踏みで、その胸に秘めた重苦しい感情を表現している。そこだけで30分もあって、朝ドラ2話分、と寿一(長瀬智也)が解説。それをノーカットでお送りしたら番組が終わってしまうと寿一。「古典芸能への招待」だって一部省略してお届けすることもあるわけで、芸術をじっくり放送することはなかなか難しい。1時間番組で、能をノーカットで、乱拍子を見せるのと、朝ドラ15分を2回使って乱拍子を流すのと、さてどっちが視聴者には修行だろうか。たぶん、朝ドラ2回分。1時間ものならまだ覚悟が決められそう。
芸養子として肩身の狭い思いをしていたが、じつは、血縁だった寿限無の悔しさをちゃんと表すためには30分もの足踏みで表すほどの重みであるが、ドラマではそれを一瞬の表情で見せる。どっちがいいかという問題ではなく、表現にはいろいろなタイプがあって、人間の様々な感情を、能は長い時間を使って表現し、テレビドラマは速度で表現する。とりわけ、『俺の家の話』は毎週最終回のようなクライマックス感もある。
ただ、瞬間、瞬間の登場人物の面白さは速度で見せていくけれど、それが積み上がっていく、短いダッシュを重ねて重ねてそれが時間になっていく。それが最終回で長い編み物みたいに出来上がって、その頭からしっぽまで、完成されたものに感動するのだ。
能だって物理的な時間よりももっと長い悠久の時間を表現している。だから、じつは、ドラマと能には親和性があると言っていいのかもしれない。いや、優れた表現とはすべからく、いかに“時間”を独自の表現で見せるかということなのである。
写真で見せる家族愛
『俺の家の話』では着々と、寿一や寿三郎(西田敏行)やさくら(戸田恵梨香)の話が積み上げられているところ。現在地から過去を見て、それが未来にも繋がっている。寿三郎のエンディングノートに書いて消してあった「家族旅行」を実現したいと思う寿一。彼の唯一の良い思い出――家族でハワイ旅行に行ったことを上書きしたい。あのとき撮った家族写真以上の写真を撮りたい。でも寿一は勘違いしていた。母だけ入院中で旅行に参加していなかったと思いこんでいたが、母の写っていない記念写真の、この上ない笑顔には理由があった。このくだりはかなりヒューマンストーリーだ。