コンプレックスだった胸を、自分だけの武器に変えた三田悠貴。グラビアを目指して上京するも、母の死をきっかけに一度は夢から離れ、OLやバーテンダーとして働いていた時期もあった。
それでも友人の言葉に背中を押され、再びグラビアの道へ。さらに、実家で乗っていた軽トラが思わぬ形でバズり、“軽トラ女子”としても注目を集めるようになった。後編では、遠回りの末につかんだ現在地と、28歳を迎える勝負の年への思いを聞いた。(前後編の後編)

【写真】身長156cm・Gカップグラドル・三田悠貴の撮り下ろしカット【9点】

――切除することはなかったとはいえ、そこからどのようにグラビアの世界に足を踏み入れられたんでしょうか。

三田 学生時代はずっと地元にいたので知らなかったんですが、エステティシャンとして働くようになってからはコンビニが身近な存在になったんです。そこで、水着を着た女の人が表紙になっている雑誌を見て「あ、こういう仕事があるんだ」って気づいて。自分の体を武器にできる仕事って、これかもしれないって思ったんです。

――それでグラビアアイドルを目指すことに。仕事がない状態で上京されたんでしょうか。

三田 いえ、上京前に事務所のオーディションに受かっていました。でも、いざこれから上京っていうタイミングで、母が亡くなってしまって。

――そうだったんですね…。


三田 それで一度、事務所に入るのをお断りして、岐阜に戻りました。弟や妹のお世話、家の手続きとかで3カ月くらい地元で過ごして、その後また東京に戻ってきたはいいものの、あてもないのでどうしようかな……と。とりあえず働かなきゃいけないので、昼はOL、夜はバーテンダーの仕事を1年くらい続けていました。

――全く違う業界で働かれていたとは驚きです。

三田 でも、バーテンダーをしていたとき、友達に「夢ってないの?」って言われたんです。「グラビアをやりたいって夢があったけど、もう上京して1年経っちゃったし、いいかなって諦めてる」って話したら、「絶対にやったほうがいい!」と言ってくれて。その人のおかげで、また事務所とつながることができました。

――すごい巡り合わせですね。それで現在の事務所に所属されたと。

三田 そうです。事務所に話を聞きに行って所属できることになったんですが、あとから「あれ、ここオーディション受けたとこじゃん!」って気づきました(笑)。

――実際にグラビアの仕事を始めてみて、いかがでしたか?

三田 まず、水着の着かたが分からなかったですね。
それに、カメラを向けられてポーズを取るのも慣れていないから、最初の頃の雑誌を見ると、すごくひよった顔をしてると思います。全然笑えてない。

――体を出すことへの抵抗はもうなかった?

三田 そこはもう「どうぞ」って感じでした。それよりも驚いたのが、現場でのお姫様扱いです。すごく大事にしてもらえて、びっくりしました。あとは、グラビアってただ写真を撮ってもらうだけじゃなくて、すごく奥が深いんだなって思いましたね。

――奥が深い、というと?

三田 表情の作り方やポージング、体の見せ方で全然違ってくるんです。特に私の胸は軟乳なので、どう見せると迫力が出るか、すごく研究するようになりました。横から撮るときに壁に胸を当てたりすると、柔らかいからこそ変幻自在に形が変わる。それは軟乳ならではの武器かなと思っています。

――その軟乳には、暴れん坊将軍という呼び名をつけているんだとか。

三田 そうです(笑)。
DVDの撮影は特に大変で。走ったり、縄跳びをしたり、バランスボールに乗ったり、ちょっと動くだけでポロリしちゃうんです。水着が回っちゃって。多分、今までに100回以上はポロリしています(笑)。躍動感がありすぎて、撮っている側も気づかないことがあるみたいで。だから、衣装合わせの段階で「こういうお胸なので…」と伝えて、着る水着を選んでいます。重すぎて支えられない衣装もあるんですよ。

――悩みもありますか?

三田 写真だけでも軟乳なのはバレているみたいで(笑)。でも、それも個性ですし、好きな人がいればそうじゃない人もいる。賛否両論あっていいかなと思っています。

――グラビア以外では「軽トラ女子」としても話題ですが、これはどういう経緯で?

三田 グラビア以外にもう一つ武器を持たなきゃって言われたときに、自分には何もないなって悩んでいたんです。そんなとき、実家に帰っていつものように軽トラを運転していたら、友達がその様子を動画で撮ってくれて、それを何気なくTikTokに載せたら何百万再生と鬼バズりしたのがきっかけです。


――軽トラは昔から乗っていたんですか?

三田 18歳で免許を取るときに、親から「絶対にマニュアルで取れ」って言われて。合宿で取りに行ったんですけど、教習生は男の人ばっかりで、私一人だけ女。できなさすぎて毎日泣いてました。でも、おじいちゃんから譲り受けた最初の愛車がマニュアルの軽トラだったので、どっちみち必要だったんです。今も実家に帰ったときの移動手段は軽トラです。

――TikTokのバズがきっかけで、仕事に繋がった。

三田 はい。「軽トラで売ってみようかな」と思って、自分から「愛車は軽トラ・三田悠貴」って発信するようにしたら、テレビ番組から「軽トラで旅をする」っていう企画のオファーをいただいたんです。今もその番組で、軽トラで四国を一周しているところです。もうすぐ日本一周しちゃうんじゃないかってくらい旅をしています。

――今、最も力を入れたいお仕事はなんですか?

三田 28歳になるので、今年は勝負の年だと思っています。グラビアももちろん頑張りますが、一番力を入れていきたいのはバラエティ番組です。
ありがたいことに、ちょくちょく出させていただいているんですけど、もっとちゃんと自分の言葉で話せるようにならないとなって。課題はたくさんあります。

――最後に、その課題について詳しくお聞かせください。

三田 事務所に入るときから、28歳までにグラビアでうまくいかなかったら、そこまでかなってずっと思っていました。今はまだお仕事をいただけているので続けたいですが、30歳に近づくにつれて、お胸を出さなくてもいただける仕事にシフトチェンジしていきたいという気持ちはあります。でも、まだ自分に需要があるなら、グラビアも続けていきたい。そんな気持ちです。

▽三田悠貴(みた・ゆうき)
1998年5月7日生まれ、岐阜県出身。 R・I・P所属。短期大学卒業後、名古屋市内でエステティシャンとして勤務し、その後上京。2023年に『週刊ヤングジャンプ』でグラビアデビュー。愛車は軽トラックで、“軽トラ女子”として注目を集め、現在はグラビアを中心に、写真集やDVDなど活動の幅を広げている。


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