「とにかく勝ちたい。とにかく結果を残したい」。
そんな彼がコロナ禍で、新たな表現の場として見出したのが「コーヒー」の世界だった。現在は現役トッププロとして活動する傍ら、自らの手で豆を焙煎し、ブランドを運営する道を選んでいる。
なぜ、選手生命の真っ只中である「今」なのか。それは、自分自身の表現で価値を届け、プロとして胸を張って活動を続けるためのポジティブな選択。スポンサーシップに頼り切るのではなく、自らの力で世界へ挑む基盤を築く――。そこには、一人のアスリートとしての確かな「自立」への意志があった。
競技者としての凄まじい執念と、自ら道を切り拓く新たな挑戦。二つの道を並走させながら、未来のビジョンを見据える鈴木仁の真意を訊いた。
原点は「家族と遊んだ湘南の海」
― まずは、サーフィンを始めたきっかけについて教えてください。
父の影響ですね。父がサーフィンをやっていて、休日に家族で海へ行って波打ち際で遊んでいたのが始まりでした。
― 大会にはいつ頃から出場していたのですか。
確か小学校4年生、9歳のときに初めて出場した支部予選です。その大会は自分を含めて出場者が3人しかいなかったのですが、結果は3位。NSA全日本選手権にも行けず、それがものすごく悔しくて。「来年は絶対に勝ちたい」と思いスイッチが入りました。
当時はとにかくサーフィンが楽しくて、ずっとサーフィンしてたいという一心でしたね。
そこからは自然な流れで、15歳の時にバリ島のクラマスでJPSAプロ公認を得て、16歳からプロとして活動を始めました。
「睡眠3時間」の現場仕事の経験がハングリー精神を育んだ
― サーフィンは遠征費などの負担も非常に大きいスポーツですが、仁さんもアルバイトなどの経験をされてきたのでしょうか。
高校生の頃は、地元の蕎麦屋さんで3年間ほど試合の合間を縫ってバイトをしていました。その後、自分の経験を活かしてコーチングも始めました、
一番大きかったのは父の仕事を手伝ったことです。父は建設業を営んでいるのですが、18歳から20歳くらいの頃は、現場に出ながらサーフィンとトレーニングを両立させていました。
― 建設現場での仕事とプロ活動の両立。相当ハードな日々だったのではないですか。
夏場、地元にすごく良い波が続いていた時期があったんです。その頃は朝3時か3時半に起きて、3時間くらい最高の波でサーフィンをして、その後、父の現場に出て仕事。夜8時くらいに帰宅して、それからストレッチやトレーニングをして、23時や24時に寝る……という生活を2~3ヶ月ぶっ通しで続けました。
― それほどまでに自分を追い込めたのは、どのような想いがあったんですか。
「勝ちたい」という気持ちはもちろんですが、単純にサーフィンが楽しかったんです。近くには加藤優典プロやサーフィン仲間がいて、彼らと海に入ることが純粋に幸せでした。同時に、周りの仲間たちが自分の人生を真剣に考え、プロから社会人としての歩み始める子もいたり、そういう姿を見て、「自分も中途半端ではいけない」と良い刺激をもらっていました。
あとは、そこまで過酷な生活を頑張っている自分が「かっこいい」と思わないと、やっていられない部分もありましたね(笑)。
18歳での栄光と、突きつけられた現実
― プロとして活動していく中で、ご自身の中でマインドが変わった大きなきっかけはありましたか。
プロになった当時は、やってきたことの積み重ねの先にプロがあって、正直そこまで深く考えられていませんでした。でも、一年一年キャリアを重ねるにつれて、「どうやってプロとして生活していこう」と考えた時に、やっぱり選手として結果を残していきたい、プロとして稼ぎたいという想いが強くなったんです。
18歳の時にWorld Surf League QS1500『MURASAKI SHONAN OPEN』で初めてプロとして優勝することができました。その賞金などで世界(当時のQS)を回った時、資金の面でも、そして世界のサーフィンのレベルの高さでも、一気に現実を突きつけられました。
― 世界の壁を、身をもって体感されたのですね。
当時は今の「CS(チャレンジャーシリーズ)」という仕組みもなくて、世界中を回ってランキング100位以内を目指し、そのトップ10がCTに上がれるという時代。
実際に世界を回ってみて、「これは、自分一人だけの力では限界があるな」と痛感しました。一番はお金の問題でしたが、これは誰もが通る悩みかもしれません。だけど、どうしても辞めたくはなかった。分からないなりにも「どうにかして続けたい」と、必死にしがみついていた時期の一番の壁でした。
― その苦境を、どのように乗り越えられたのでしょうか。
一度は迷った時期もありましたが、そこからサポートしてくださる方々との出会いがありました。現在サポートしていただいている宮本さんとのご縁で、BJBというチームで三輪紘也プロ、加藤翔平プロ、古川海夕プロたちと一緒にトレーニングができる環境が整ったり、諦めかけていた遠征にも行けるようになったり。そこで「もう一回本気で世界を目指したい」と思えたのが2年前のことです。
それに加えて、田嶋鉄兵コーチのトレーニングを受けたことも大きかったですね。「こんなにもサーフィンが変わるんだ」という気づきがあり、自分はもっとやれるという自信が湧いてきました。
その過程では、母の存在も大きかったです。ずっと心から応援してくれていたのは、本当に支えになりました。
― プロサーファーとして活動していく上で、今はどのようなモチベーションで試合に臨まれていますか
今はとにかく、結果を残したい。とにかく「優勝したい」という想いが一番です。本当にそこに集中しています。去年も悔しい思いをしましたが、毎年毎年、1年ごとに成長できている実感があり、目標に手が届くイメージは明確に持てています。本当にそこだけですかね。
運命を変えた、一杯の「浅煎りコーヒー」
― コーヒーという新たな挑戦に踏み出したきっかけを教えてください。
元々おばあちゃんがコーヒーが大好きで、小学生の頃から牛乳や砂糖を加えながら飲んでいました。そこから中学生くらいで興味を持って、ドリップセットを揃えたりしていました。本格的にハマったのは、コロナ禍で試合がなくなり時間ができた時、加藤優典プロが車で旅をしている時に千葉で会い「自分で焙煎やるの面白いよ」と手網での焙煎を教えてくれたんです。
実際にやってみたら、簡単にできて、凄く面白くて。
― そこで、どのような魅力を感じたのですか
当時は味の良し悪しもあまりわかっていなかったのですが、彼が淹れてくれた「浅煎り」のコーヒーを飲んだ時の衝撃です。「こんなに美味しい世界があるんだ!」と感動してしまって。そこから鍋や網を使って、自分でも焙煎する日々が始まりました。
現役の今、ブランドを立ち上げた理由
― 好きを形にするだけでなく、あえて「ブランド」という責任ある道を選ばれたきっかけを教えてください。
サーフィンだけでなく、自分自身の力で幅広く活動していきたいと考えていた時に真っ先に浮かんだのがコーヒーでした。ただ、対価をいただく以上はしっかりと責任を持って取り組みたいという想いが強くて。
そんな時『QS3000 IBK宮崎プロ・WSLプロジュニア Presented by RASH』と福島の『Kitaizumi Surf Festival』で優勝することができ、遠征費とは別に新しい挑戦に充てられる資金ができたんです。
周りの方々からも「成功しても失敗しても、若いうちにやりたいことは全部やっておけ」と背中を押してもらえました。資金的な目処が立ち「今やるしかない」と思ったタイミングで、サーフィンの繋がりを通じて浜松で一緒に動いてくれるパートナーとの出会いもあり、勢いで焙煎機の導入を決めました。
― 「引退後」ではなく、「現役」のアスリートとしてブランドを立ち上げたのには、どのような意図があるのでしょうか。
「引退してから何かを始めても遅い」と感じていたからです。
若いうちに経験しておくことは、たとえ失敗だったとしても絶対に将来の糧になると思うので。
あとは、今の自分にできる「自立」の形だと思ったからです。
結果で恩返しすることが前提ですが、スポンサーの方にただ支援をお願いするだけでなく、自分たちが自信を持って作った美味しいコーヒーを届け、その売り上げを遠征費に充てる。そういった新たな選択肢を自ら作ることで、よりプロサーファーとして胸を張って活動できると考えました。
― ビジネスを経験することで、サーフィンに対する向き合い方にも変化はありましたか。
大きく変わりましたね。時間がある時は営業活動にも行っているのですが、全く違う世界で経営されている方々の情熱に触れることで、「自分もサーフィンをもっと計画的に、熱量を持って取り組まなければ」と刺激をもらっています。また、人との関わり方や礼儀も学びましたし、すべてがサーフィンに活かされていると感じます。
2028年ロス五輪、そしてその先のビジョン
― 今後の目標を教えてください。
まずは2年連続で届かなかったCSへの復帰。その先にあるのはCT、さらに2028年のロス五輪。ここは揺るぎない目標です。
コーヒーとしては、いつか自分のカフェ店舗を持ちたいです。千葉や地元の小田原、浜松など、自分を知ってくれている人がいる場所で、サーフィンを愛する人もコーヒーが好きな人も、誰もがリラックスできる空間を作りたい。それが今の大きなモチベーションです。
― 将来やキャリアに悩む若い選手たちへ、メッセージをいただけますか。
100人いれば100通りの意見があります。でも、最終的に大切なのは「自分がやりたいこと」を選択し、後悔がないように中途半端にならずにやり切ることだと思います。結果を恐れず、まずは動くこと。そして、楽しむことを忘れずに挑戦してほしいです。
プロフィール
鈴木 仁
2001年生まれ、神奈川県小田原市出身。 7歳で本格的にサーフィンを始め、15歳でプロ公認を取得。18歳となった2019年、WSL QS1500『MURASAKI SHONAN OPEN』にてプロ初優勝を飾る。現在もトッププロサーファーとして国内外のツアーを転戦しながら、自身のコーヒーブランド『Ocean Lux Coffee』を設立。ブランドオーナーとして、競技者としての勝利とアスリートとしての自立を追求し続けている。
【Information】
鈴木仁がプロデュースするコーヒーの最新情報は、自身のInstagram、又はOceanLux Coffee公式InstagramのDMにて受付中。
現在は、より手軽に購入できるオンラインストアも準備中。
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