■4歳で芽生えた夢 ダンスに懸けた幼少期とアーティストへの原点
4歳から現在にわたって、ダンス経歴18年を誇る琉楓。出身地の九州地方を中心にダンスタイトルの受賞歴も多数ある実力派である。そんな琉楓だが、アーティストを目指す思いの強さは人一倍だった。
――アーティストを目指したきっかけを改めて教えてください。
3歳の時、音楽番組に出ていらっしゃったEXILEさんのパフォーマンスを見て、かっこいいなと思い、ダンスを始めました。
男性が7人で歌って踊っている姿がすごくかっこよくて、心を惹かれました。僕もいつかグループを組んで、お客さんの前でパフォーマンスしたいなっていう思いは当時も強かったです。
――アーティストを目指してダンスをしていた中、ターニングポイントになったと感じる時期はいつ頃ですか。
最初はダンスにのめり込みました。当時、ダンススタジオに多いときで5つ程度通っていました。学校終わりにレッスンを3つ、4つ受けて、大会前はその練習もして、明け方3時ぐらいまで踊っている日もありました。
――「辞めたい」「つらい」と思ったことはなかったのですか。
ありました。当時、ダンスがまだ今ほどは受け入れられていなかったので、寂しい想いをすることもありました。ですが、アーティストになりたいという強い思いがあったので、続けていました。
――その後、どのような過程を経て、アーティストへの道をたどってきましたか。
いろいろな日本大会や世界大会に出場する経験をして、ダンスでもっと上にいきたい思いもあったのですが、ダンスを始めた最初のきっかけである「アーティストになりたい」という思いがとても強かったんです。なので、それまで行っていたレッスンを辞めて、アーティストになるために必要なことを学べるスタジオに通い始めました。
そのスタジオでは、特待生になり、一番上のクラスに入らせてもらえるところまで頑張りました。そうすると、バックダンサーとして、アーティストさんの近くでお仕事ができるようになりました。
バックダンサーとしてステージに立った時は、夢のような世界だと感じました。ドームツアーに帯同させてもらった時は、こんなところを埋められるんだと衝撃を受けました。
――バックダンサーとして立ったステージで一番印象に残っていることはなんですか。
初めてバックダンサーとしてステージに立ったのが、小学4年生の時でした。EXILEさんのドームツアーだったのですが、いきなりドームだったので、体型的にも小さかったので、何が何だかわからなくて(笑)。その中でも、花道で一生懸命踊っていたら、目の前にいたお客さんがすっごく応援してくれたんです。当時の自分もとてもうれしくて、ニコニコとパフォーマンスしたことを覚えているのですが、メインのアーティストだったらどうなんだろう、自分が真ん中でパフォーマンスできるようになりたいなと思いました。
――アーティストを夢見た3歳の頃の自分に誇れるようになりましたか。
まだです。アーティストになれたことはうれしいことですが、当時見た、ドームに立っているアーティストと同じ土俵ではないし、ここからそこに向かって頑張っていきたいなと思います。
■舞台演出への憧れから工業高校へ “表現者”として広がった視野
ダンススキルを磨き続けてきた琉楓だが、舞台演出にも興味を持ち、専門的なことが学べる工業高校へ入学。計算技術検定3級、パソコン利用技術検定3級、トレース技能検定3級、グラフィックデザイン検定2級、技能検定家具製作家具手加工作業3級、初級CAD検定建築系など多数の資格を取得した。
――工業高校に進んだ決断には、どんな思いがありましたか。
「高校、どうしよう」と、悩んでいる時期があったのですが、ただ勉強するのはすごくもったいない、せっかくならアーティスト業に関わることを学びたいな、と考えました。
その時、小さい頃に大きなステージを作り上げるってすごいなと感じていたことを思い出しました。ステージングしたいと思ったんです。工業高校はインテリア科だったのですが、デザインやものづくりが学べるところでした。ファッションも好きだったので、そこで勉強をしたら、ツアーのことや衣装のデザインも専門的に考えることができるのかなと思いました。より責任を持って発言できるよう専門的に学びたいと、進学を決めました。
――ご両親の反応はいかがでしたか。
「夢に通ずるところに行くのはすごく良いと思うよ」と助言を受けました。夢をすごく応援してくれていたので、僕もそれに応えて、進学することにしました。
――高校では具体的にどのようなことを学びましたか。
進学前に検定を取れるようなカリキュラムだと知っていたので、それに従って、検定をいっぱい取らせてもらいました。
「初級CAD検定」という資格は、たとえば、作りたい家を僕に言っていただいたら、「敷地内にこういう家を建てます」という設計図を僕が作り、それを専門の方に渡して、家を作ることができるという資格です。
――検定の勉強などを通して、今の活動に生きている部分やこれから生かしたい部分はありますか。
視野が広くなった気がします。技術的にできることの基準がわかるようになったので、メンバー間でもいろいろな意見が飛び交うのですが、従来通りではない意見を採用するチャレンジングな思いを持てるようになったと思います。
――今までの学びを生かし、グループのライブを一から設計してみたい思いはありますか。
あります。遊園地のような見ていて楽しいというステージに憧れがあります。EXILEさん、嵐さんのようなステージを作れるアーティストになれたらいいなと思っています。
■韓国での練習生生活では“別れ”も経験「より気を引き締められた」
ダンスを中心にスキルを磨き続けた琉楓はその後、韓国にわたって練習生生活を開始。2年の鍛錬の後、オーディション『応援-HIGH ~夢のスタートライン~』でデビューの座をつかむ。
――ダンス以外のスキルは、いつから学び始めましたか。
韓国に行ってから本格的に歌やラップを始めたので、2年ぐらいの練習生期間と同じです。
――練習生生活はいかがでしたか。
練習生になりたてのときは無理かもしれないと思いました。ダンスに関しては自信があったのですが、ボコボコにされました。皆、スキルは当たり前にあるし、練習もいっぱいするし、その中で自分がデビューできるのか、見えなくなった時期もありました。
それでも、夢を見つけたときの感覚や、つらい思いも乗り越えてここまで頑張ってきた自分が、わざわざ韓国に来て、引き下がるわけにはいかないなという思いが強かったので、とにかく頑張っていました。
――練習生時代、印象に残っている出会いはありますか。
僕が練習生になったとき、先に練習生だった子と合流して2人で同じ建物に住んでいたんです。練習後、一緒に帰ってから、1時間後ぐらいにその子の部屋をノックしに行ったら、声が聞こえなくて、ドアを開いたら、荷物が全部なくなっていたんです。
僕はそのタイミングで、その子とのお別れを知りました。涙も流れたのですが、その時に自分の立ち位置をしっかりと理解しました。いつどうなるかわからないんだなと思い、おかげでより気を引き締められたかなと今は思います。それが印象に残っている出会いです。
――練習生活を経て、デビューメンバーとして番組で名前を呼ばれた瞬間はどんな気持ちでしたか。
「お母さん、お父さん、ありがとう」です。長くこの業界を目指して、何より両親に助けられたので。やっとスタート地点に立てたなと思って、「ありがとう」と。うれしかったです。
■aoenは“生活の一部”「ないことが想像できない」 サブリーダーとして大切にすること
サブリーダーである琉楓は、グループでは“お母さん”のような立ち位置で、メンバーの生活面もサポートするしっかり者。
――aoenは、琉楓さんにとってどのような存在ですか。
生活の一部みたいになっているので、ないことが想像できないくらい大切です。
――サブリーダーとして大切にしていることはありますか。
個性を大事にしています。サブリーダーとして、宿舎でものが散らかっていたらもちろん今までもこれからも言いますが、苦手な部分は最大限努力してもらって、後は僕やまわりがカバーして、それぞれの良さを引き出せるようにしたいです。生活面でも、パフォーマンス面でも個性を意識しています。
――「個性を大事に」ということですが、琉楓さんから見たメンバーの個性を教えてください。
優樹くんは、意外と頑固です(笑)。もちろん、良い意味ですが、始めたことは最後までやり遂げます。そういうところが一番リーダーだなと思うところです。
雅久は、すごく感情豊かな子ですね。あそこまで大きく笑って、急に泣いて、みたいな子はあんまり見たことないです。その感情の豊かさがパフォーマンスにすごく生きてて、誰よりも表現力がすごいと思うので、本当にリスペクトしてます。
輝は、いつも他人ファーストです。自分に時間を使いたいこともあると思うのですが、皆のことを見てくれています。僕と同じような立ち回りをよくしてくれて、僕の話も聞いてくれます。
颯太は、超素直な子です。プライベートもアーティスト。心配になるほど、活動している時と変わらないです。反応もかわいいので、ずるいなと思う瞬間があります。
京助は、すごく気遣いができる子です。発言ひとつにおいても気を遣う子なので、「そんなに気を遣わなくていいよ」って言っているのですが、どうやったらそんな人間性になれるんだろうと思いながら、いつも学ばせてもらっています。
礼央もまわりを見られる子ですね。僕が少し落ち込んだ時にも何とは言わずに急に近づいてきて、たくさん話しかけてくれたり。彼なりに恥ずかしさもありつつ、フォローしてくれているのかなと思うと、本当にいい子だなと思います。
――デビュー以降、最も変化したメンバーはいらっしゃいますか。
輝です。内気な子で、僕らの前でさえ発言しなかったのですが、僕らと練習生生活、オーディションを通して、どんどん発言する回数も増えてきました。感情も前に出すようになって、最近とかでは、ライブで煽りをするぐらいになっています。そういうのを見ると、親目線になっちゃいます。変われるんだなと、いつも勉強しています。
――ボーイズグループ戦国時代と言われている中、aoenさんの現在地についてはどのように分析していますか。
自分で言うことではないかもしれませんが、「なんで見つからないんだろうな」と思います。スキルもそうですし、良いところもいっぱいあるので、そこを僕らがもっと発信できたら、たくさんの人に届くと思います。曲やパフォーマンスのクオリティは、たくさんのスタッフさんのおかげですごくいいものが出来上がっているので、それを発信したいですね。
――「これは絶対に自分たちにしかない!」って言い切れる強みは何だと思いますか。
やりきるマインドです。僕を含めてみんな順風満帆にメンバーになったわけではないので、どんな泥臭いことでも絶対やり切れますし、逃げないと思います。
■初の47都道府県ツアーへ 7人でやりきる覚悟とその先に描く未来
日本一愛されるアーティストを目指しているaoen。今春からは、初の47都道府県ツアー『aoen LIVE TOUR 2026~青のはじまり47+1~』を控えている。
――47都道府県ツアーを控えた今の率直なお気持ちを教えてください。
最終日に誰ひとり欠けることなく、7人でステージをやりきりたいなという思いが強いです。
――開催を知った瞬間、メンバーの反応も含め、どんな思いがこみ上げましたか。
「え!?マジか!」と思いました。僕はどちらかというと、心配が勝ちました。昔からアーティストという職人を目指している中で、先輩方が、各地をツアーでまわることを目の当たりにして、その大変さを知っています。それをaoenの7人で本当にやり切れるのかなと思いました。
メンバー全員がいるブリーフィングで聞いたのですが、「イェーイ!」となったわけではなく、それぞれが頑張らなきゃという表情をしていました。
――47都道府県ツアーを終えたとき、どのようなグループになっていたいですか。
ひと回り成長したアーティストになっていたいなと思います。今回のツアーでは、質を高めたいなと思っています。47都道府県ツアーをやるのは、既存のルートではないと思っています。僕だけでなく、スタッフの皆さんも大変です。グループとしてのアイデンティティや、自分の色をしっかり理解して、成長して、戻っていきたいなって思います。
――夢や目標がたくさんあると思いますが、その中でaoenとして、絶対に見失いたくないもの、絶対に大切にしていきたいものってありますか。
「人として」という部分です。作品でも自分たちの思いをしっかり乗せて発信していきたいと思いますし、まわりの人への感謝を忘れないようにしたいです。人として、アーティストとして音楽を通じて、発信していけたらいいなと思います。
――個人でもグループでも、音楽活動以外に挑戦してみたいことはありますか。
クリエイティブに携わりたいです。メンバーの良さは誰よりも知っている自信があるので、そこを引き出せるようなコンテンツを発信していけるようになりたいです。そのためには、もっと経験とかキャリアを積まないといけないと思うのですが、実は思いついたことをメモしているんです。
(ぎっしり書かれた携帯のメモを見せながら)デビュー前、目標を見失いそうになった時、デビューしたらしたいことを想像して書き始めました。これを一つひとつ叶えていけるようにしたいです。
――これから先、グループとしてかなえたい夢はありますか。
ダンス&ボーカルグループという枠にとらわれないムーブメントを起こせるような人になりたいなと思います。さまざまな方に愛してもらえるようなアーティストになり、ツアーをしたいです。
「苦労して良かったね」と言えるようなアーティストになりたいです。うまくいったら、達成感もすごいと思いますが、「その苦労があったからこその今なんだよ」と。そこから上に行く自分もちゃんと客観視して、さらに上に行けると思います。
【プロフィール】
「aoen」は、オーディション『応援-HIGH ~夢のスタートライン~』を経て2025年に結成された。優樹(YUJU)、琉楓(RUKA)、雅久(GAKU)、輝(HIKARU)、颯太(SOTA)、京助(KYOSUKE)、礼央(REO)の7人で構成される新世代J-POPボーイズグループ。BTSやSEVENTEENを擁するHYBE MUSIC GROUPのレーベル・JCONICが手がける。グループ名には「最も熱い炎の色である青色で世界を満たす情熱の疾走」「太陽のように明るくみんなを応援するグループ」という2つの意味が込められており、世界で一番熱い青い炎を心に燃やしながらエネルギッシュに活動する。
琉楓は、2003年11月1日生まれ。宮崎県出身。
写真撮影には、直前まで一緒にベイブレードをしていたという最年少の礼央も登場。「お母さんみたい!」と見守られ、「ちょっと!笑わせないで!」と優しくさとしながら、にこやかに撮影を進行させる姿が印象的だった。


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