いまや100歳以上の高齢者は10万人近くまで増加(2025年厚生労働省統計)。在宅で最期を迎えたいという人をサポートしている医師の萬田緑平さんは「健康で長生きしたいと考える人は多いが、90歳以降で脳が老化しない人は、ほんのわずかだ」という――。

■「いつまでも健康で長生き」とは
メディア等で「人生100年時代」などと謳われ、多くの人が「健康で長生きしたい」と思うのは、ごく普通のことのように思われています。「健康で長生き」とはどういう状態をイメージしているかを訊くと、「自分で歩けて、生活ができること」とみなさん答えます。では、それを何歳までできればハッピーかというと、多くの人のイメージは「90歳」です。
90歳まで自分のことが自力でできて、認知症にならない。でも、実際にはそういう人は5%もいないわけです。さらに、肝心なのはその先です。健康寿命は死亡するおよそ10年前ですから、「長生き」の希望が叶うとしても、90歳から動けなくなる。さらに、高齢になると脳が老化し、やがて認知症になって100歳まで生きることになる。多くの人が、元気で生きた「その先のこと」を考えていないのです。
■内臓の寿命は遺伝子が決める
そもそも「自分は健康にいいことをしているから、寿命が延びる」と勘違いしている人が多い。それはひとつの罠で、臓器にはそれぞれ寿命があります。誰しも親の遺伝子を受け継いでいるため、生まれた時に各臓器の寿命がだいたい決まっているのです。

たとえば、肝臓の寿命が80歳の人は、若いうちから毎晩お酒を飲むと60歳で肝硬変になる可能性が高く、肝臓寿命が110歳で生まれた人は、いくらお酒を飲んでも80歳、90歳まで肝硬変にならない。肺が110歳までもつ遺伝子を持った人は、日常的にたばこを吸っても90歳まで大丈夫だけれど、肺の寿命が70歳の人は、同じようにタバコを吸ったら50歳で苦しくなったり、肺がんになったりします。
では、肺にいいことをしていたら、それが120歳になるか。肝臓にいいことを、目にいいことを、体にいいことをしたら寿命が延びるかというと延びないんです。悪いことをしていたら寿命は短くはなるけれど、いいことをしたからといって伸びるわけではないのです。
■理想はピンピンコロリだが…
もう一つ、逝く時は「ピンピンコロリが理想」という声もよく聞きます。僕の周りの高齢の方たちも、「ピンピンコロリ、わぁ~、それいいですね!」などという話をしています。皆さんの思い描くピンピンコロリとは、「身体が不自由になったり、認知症になる前に苦しまずコロッと逝く」ことを指しています。
でも実際のところ、ぱっと見たら亡くなっているというピンピンコロリの確率は1%ぐらいです。ヒクヒクとして息がある場合が10%で、その状態で見つかると、ほぼ確実に救急車に乗せられて、病院に運ばれ、濃厚な延命治療が施されるわけです。ですから、仮にピンピンコロリを望んでも、99%が失敗に終わります。
ただ、ピンピンコロリを望むなら方法がないわけではありません。
ひとつ言えるのは、がんだとピンピンコロリが可能です。僕の患者さんで、亡くなる直前まで歩いている人は、みんなピンピンコロリです。亡くなるギリギリまで会話をし、食事をして、歩いてトイレに行っていた患者さんは、亡くなる兆候が見え始めてから半日で亡くなることも少なくありません。がんばる人ほど、がんであればピンピンコロリが可能なんです。
■がんになっても冷静な人がいる
病院の医者は患者の余命を腫瘍マーカーの数値で測るけれど、僕は「歩けるかどうか」で見ています。がん細胞というのは2倍、また2倍と増えていくので、腫瘍マーカーの数値はどんどん上がっていきます。入院しているがん治療の患者さんは、抗がん剤をやらないと最後は死んじゃうとか、腫瘍が大きくなると死んじゃうと思っているから、死に向かっていく感じがすごいスピードで加速していくと、恐怖におののいて、最後はもうがんばれなくなってしまうんです。
でも僕の患者さんは、腫瘍マーカーの数値が測定範囲外までいっても、体が弱まる治療をしていないから、がんばれる。むしろ腫瘍マーカーを測定しないから、怖くない。
僕の理論は、「人は、がんが大きくなって死ぬのではなく、身体が弱っていくと死ぬ」です。弱っていって、立ち上がれなくなって、歩けなくなって死んでいく。だから、簡単に言えば、大股で歩けるうちは大丈夫なんです。

僕の患者さんで、ある高齢の女性が、病院に行って採血をしたら、ヘモグロビンの値が3で(通常値は成人女性12~16)、「大変だ大変だ。入院だ! 輸血だ!」と大騒ぎになったけれど、「『萬田先生が大丈夫だと言ってるから、大丈夫です』と言って、歩いて帰ってきました」と楽しそうに報告してくれたこともあります(笑)。
■認知症は体より先に脳が老化
脳もそのほかの臓器と同じで、老化のスピードは人それぞれです。高齢者人口の増加や平均寿命の長寿化に伴い、患者数が増え続けている認知症は、脳が体より先に老化した状態と言えます。ただ僕は、認知症が増えている本質的な理由は、日本の現代医療の延命至上主義にもあるような気がしています。つまり、認知症は「怖い病気」ではなく、医療によって「つくられた状態」という側面もあるように思うんです。
現代医療は、体の病気を治して治して老化をごまかし、とうとう治せない「認知症という状態」まで生きられるまで発展してきた。ある意味、脳が限界になるまで生きられる時代になっているんですよね。だからこそ、「健康で長生き」をイメージして「こうなりたい」と思うだけではなく、その先の「逝き方」を考えないといけない。
■高齢者自身が終わらせ方を考える
親自身が望む逝き方を尊重したり、自分らしい最期を迎えるには、まずは「人はいずれ死ぬ」ということを受け入れて、親や自分が死ぬ時のことを考えておかないとうまくいきません。そして、病気と診断され、治療を提示されてから考えるのではなく、元気なうちから、自分が病気と診断されたときの治療方針を決めておくことが大事です。たとえば、がんと診断されたら、病院で手術するのか、抗がん剤治療を受けるのか、あるいは何もしないのか。
治療するにしても、どこまで治療をがんばり、どの段階で治療をやめるのか。
高齢の方が延命治療を望まず、その意思を子どもに伝えておく際は、「心臓マッサージはしない」「胃ろうはしない」「食べられなくなったら点滴もしない」など細かく伝え、さらに書き残しておくべきでしょう。それでもいざとなると、家族はやはり治療してほしくなる場合がほとんどです。ですから、常に自分の生き方を考え、家族に伝えて理解してもらう必要があります。「延命治療はしないでね」と伝えるだけでは100%無効ですから。
そしてもし、残された時間を自宅で自分らしく生きることを選ぶなら、可能な限り、亡くなる直前まで「歩く」ことです。
■身辺の整理をする時間が必要
僕はこれまでたくさんの方を見送ってきましたが、死をちゃんと見つめて、やり残したことがないように生きている人ほど、ほかの病気ではなく「がんでよかった」と言います。がんは残された時間がある程度決まっているので、逆算して身辺を整理したり、会社をたためたりするから、と……。一方で、老後のために今やりたいことをがまんしてお金を貯めていたけれど、定年退職と同時にがんになって、「こんなはずじゃなかった」というような話も多く聞いています。
僕自身のことを言えば、長生きしたいとは思っておらず、逆に、自分にとって80歳まで生きることは一番のリスクだと感じています。今の自分の記憶力から脳の今後を予測すると、80歳までに認知症になる確率が高そうですし、エネルギッシュな人は認知症になると手に負えなくなることも知っているので、僕はかなりマズイ(笑)。なので、健康診断も受けていないし、採血もしていないし、来年「がんの末期です」と言われたら、それもやむなしと思っています。

■後悔しないように「今を生きる」
ただ、人間、なかなかそこまで思いきれないですよね。だから僕は、今死んでもいいように生きているつもりです。42歳で「えいやっ」と外科医をやめて在宅緩和ケア医になり、患者さん本人が最期まで好きなように生きられることを支援しているのもそう。昨年は、医者としてはあるまじきことでしょうが、診療所を閉めて110日間の世界旅行に家族と出かけ、出発する前には生前葬も行いました。
年を取れば気力も体力も低下するのも自然なことです。長生きしても、どんどん「できること」が減っていくだけ。今日が一番若いのだから、今日を楽しみたいですよね。いつ死んでもいいように、思い残したこと、やり残したことがないように生きて、周囲の友達や後輩、子供にも、「今だよ。先はないよ」という姿を率先して見せていけたらいいなと思います。

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萬田 緑平(まんだ・りょくへい)

医師

「緩和ケア 萬田診療所」院長。1964年生まれ。群馬大学医学部卒業後、群馬大学医学部附属病院第一外科に勤務。
手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行う中で、医療のあり方に疑問を持つ。2008年から緩和ケア診療所に勤務し、在宅緩和ケア医として2000人以上の看取りに関わる。著書に『穏やかな死に医療はいらない』(河出書房新社)、『家で死のう! 緩和ケア医による「死に方」の教科書』(三五館シンシャ)など。

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(医師 萬田 緑平 取材・構成=浜野雪江)
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