※本稿は、坂口幸弘『人は生きてきたように死んでいく』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■遺骨をつぼに収める習慣は珍しい
日本人の死に関する意識の中でも、遺骨に対するこだわりは、世界的に見て非常に強いといわれている。国内外での戦没者の遺骨収集事業は、日本人の遺骨への特別な思いを象徴するものといえる。
死者の骨に対する特別な観念は、「遺骨」という語に含まれる「遺」の字にも表れている。この言葉は、故人が完全に無になったのではなく、その存在がなお続いていることを強調するものである。
火葬後に行われる収骨(骨上げ)も、欧米には見られない習慣であり、遺骨に強いこだわりを持つ日本人ならではの文化といえる。そもそも現在のような火葬場での収骨は、20世紀以降、火葬技術の向上や火葬の普及に伴って儀礼化した慣習であり、その歴史は決して長いとはいえないが、日本の葬送文化として深く根づいている。死者の骨を拾うという行為は、異文化の人々から見れば奇異に映るかもしれないが、その行為に違和感を覚える日本人は少ないだろう。
■8割が「遺骨は神聖なもの」と回答
では、現代社会において、日本人は遺骨をどのように捉えているのだろうか。
私どもの「関西学院大学 悲嘆と死別の研究センター」が2024年に実施した意識調査の結果を紹介したい。この調査は、喪主経験のある40歳から79歳の男女500人を対象に、遺骨に対する捉え方、いわゆる「遺骨観」について尋ねたものである。
主な結果として、回答者の8割以上が「遺骨は神聖なものであり、大切に扱うべきである」「遺骨を粗末に扱うとバチがあたる」と認識していた。一方で、「遺骨を見るのは怖い」「遺骨は気味が悪い」といった回答は約2割にとどまっていた。
この調査では、喪主経験者に自身の死別経験を踏まえて回答してもらっており、身近な人の遺骨を想定していると考えられる。したがって、現代の多くの日本人にとって、少なくとも家族や親族の遺骨は、恐怖の対象というよりも畏敬の念を抱く対象であることが示唆される。
■遺骨の一部を手元に置く新習慣
また、回答者の約半数が「遺骨がそばにあると故人が近くにいるように感じて安心する」「遺骨の存在が心のよりどころになる」と捉えていた。そもそも故人との関係性が、死後もなお持続していると考える日本人遺族は多い。配偶者を亡くした人を対象とした調査によれば、死別から2年以上が経過した人の約7割が「故人が自分を見守り、助けてくれているように感じる」と回答していた。故人の一部である遺骨がそばにあることで、その存在をより身近に感じ、強い安心感が得られるのかもしれない。
近年では、伝統的な死者儀礼に加え、故人をいつも身近に感じていたいという遺族の願いに応える形で、「手元供養」と呼ばれる新しい追憶の形態が広まりつつある。遺骨の一部を専用の納骨容器に入れて自宅に置いたり、遺灰を収納したペンダントやリング、遺骨の成分で作られた合成ダイヤモンドなどを身につけたりする人も見られる。
■妻をがんで亡くした60代男性は…
遺族の中には、亡き人への想いが募るあまり、遺骨を食べたいと思う人や、実際に口にした人もいる。妻を大腸がんで亡くした60代の男性は、こう語ってくれた。
「四十九日の法要が終わったと同時に、それまで家にいてくれた息子が東京に帰っていきました。妻の骨つぼを前に一人でいると、さみしさがあふれ出してしまって、息子の前では我慢していた涙が止まらなくなりました。なんとかして妻に会いたいと思って、骨つぼをそっと開けてみました。もちろん、そこには変わり果てた妻の姿しかありませんでした。ですが、その変わり果てた妻でさえも愛おしく、小さなカケラを取り出して、そっと口に入れてみました。今となっては、どうしてそのようなことをしたのか、うまく説明はできません。ですが、小さな小さな妻が、私の身体の一部になったようで嬉しかったのです。今も思い出すと、心がじんわりと温かくなります」
■遺骨を食べる慣習「骨噛み」
遺骨を食べる行為は「骨噛み」と呼ばれ、日本の一部地域では近年まで慣習として行われていたことが確認されている。骨噛みとは、火葬後に近親者が集まり、遺骨を粉にして服用する、あるいはそれに類する行為とされ、食屍習俗の一種とされている。
民俗学者の近藤雅樹氏は、近親者による食屍は一見アブノーマルに思われるが、長寿を全うした者や崇敬を集めていた人物が対象となっていることから、死者の卓越した生命力や能力にあやかろうとする素朴な願いが反映されていると述べている。また、最愛の人の遺骨を噛むという行為には、深い哀惜の感情が込められており、こうした行為は人間の素朴な感情の表出と捉えることができると論じている。
■食屍習俗としてタブー視されるが…
遺骨を口にすることについて、日本の法律では直接的な規制はないが、現代社会ではタブー視される可能性が高く、周囲から非難を受けることもある。
それでもなお、愛する人の遺骨をみずからの身体に取り込み、一体となることを望む遺族もいるだろう。遺骨を食べることに対する賛否は分かれるとしても、そうした遺族の故人への強い思慕の情は尊重されるべきである。気持ちの整理につながるのであれば、遺族の望むようにしてもいいのではないかとも思えなくもない。
■「故人は望んでいた?」という疑問
しかし、「自分の遺骨だったら」という視点で考えてみると、意見は変わってくるかもしれない。自分が死んだ後のことなので、家族が好きにすればよいと考える人もいるだろうが、自分の遺骨が食べられるなどすることに抵抗を覚える人も多いはずである。
私どもが実施した先の調査では、回答者の約8割が「自分の遺骨を家族・親族が食べることに抵抗がある」と答えていた。また、自分の遺骨がペンダントなどに加工され、身につけられることにも約4割が抵抗を感じていた。さらに、「自分の遺骨を家族や親族に見られたくない」と答えた人も1割強存在していた。
とはいえ、死んでしまった後は、遺された人の判断に委ねるほかない。食べられたり、加工されたりすることに強い抵抗があるならば、生前に自分の希望を伝えておくしかないが、その希望が守られるかどうかは、遺族次第である。
■遺骨を神聖視しない20%の人
日本人の遺骨観は一様ではなく、多面的であり、遺骨への思いも人それぞれ異なる。
また、引き取り手のいない「無縁遺骨」の数も増加しているという。総務省が全国の市区町村を対象に行った調査によれば、2021年10月末時点で引き取り手のいない無縁遺骨は、把握可能な市区町村だけでも約6万柱にのぼると報告されている。実際の数は、これを上回ると考えられている。
■「無縁遺骨」は33年で10倍に
たとえば大阪市では、1990年に336柱だった無縁遺骨が、2023年には3408柱にまで増加し、33年間で10倍以上に膨れ上がっている。2021年の大阪市の年間死亡者数は3万1503人であったが、そのうち2767柱が無縁遺骨となっており、実に11人に1人の割合で引き取り手がいなかったことになる。
こうした無縁遺骨は、身元不明者や単身者が亡くなった場合だけでなく、家族や親族が存在していても、引き取りを拒否されるケースもある。喪主経験者を対象とした私どもの調査でも、回答者の約2割が「遺骨は引き取りたくない」と答えており、そこには、故人との生前の希薄な関係性や、遺族の経済的な状況などが関係していると考えられる。
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坂口 幸弘(さかぐち・ゆきひろ)
関西学院大学人間福祉学部教授
大阪府堺市生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了、博士(人間科学)。日本学術振興会特別研究員などを経て、現在、関西学院大学人間福祉学部人間科学科教授。
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(関西学院大学人間福祉学部教授 坂口 幸弘)

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