先日、高市首相が国会で発した「私に恥をかかせるな」発言はパワハラに当たるのか。心理学者の舟木彩乃氏は「今回はパワハラに当たるとは言い難い。
しかしそれでも議論を呼んだ背景には、女性ならではの『ダブルバインド』、そして『女性上司と男性部下』という構図が影響している」という――。
■パワハラとは言えないが「非常に特殊」
2026年2月27日、高市早苗首相が国会で、アメリカとの関税交渉などを担う赤沢亮正経済産業大臣に対して「私に恥をかかせるな、と伝えた」と話しました。この発言はパラハラには当たらないと考えられます。
厚労省が公表している「パワハラの成立要件」は以下で、この全て満たす必要があります。
① 優越的な関係を背景とした言動であって、

② 業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、

③ 労働者の就業環境が害されるもの

①「優越的な関係」については、高市首相が大臣の任免権を持ち、赤澤大臣が首相の指揮監督下にある、つまり上下関係が存在すること自体は疑いようがありません。
しかし②について、今回のケースは「日米首脳会談という極めて重大な外交交渉である」という特殊性があります。一般的な業務とは性格を異にしているため、強い口調や言葉、プレッシャーを与えるような言い方でも、「業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの」と言い難いのではないかと考えられます。
また、厚労省はパワハラの成立において「平均的な労働者の感じ方」を基準にするとしており、大臣職に就く方をこの基準で判断するのは適当ではないとも言えます。実際に赤澤大臣の就業環境が害されていないのであれば、③に該当せず、パワハラには当たりません。
つまり、首相と大臣の関係においては、暴力を振るったり、公の場で罵倒しながら人格攻撃したりする等のよほどのことがない限り、パワハラにはならないと考えます。
■高市発言が物議をかもした理由
高市氏の発言が物議をかもした背景には、大きく2つの要因があります。
ひとつは「私に恥をかかせるな」という言葉自体が、業務上の指導という枠組みを超え、「個人的な支配」のニュアンスが強いように聞こえるからです。

この発言に批判的な人々は、リーダーの言動が「個人の尊厳」を脅かしている点に敏感に反応しています。「仕事は公的なものであるべき」という信念に対し、「私に恥をかかせるな」という極めて個人的な理由で部下を縛る行為は、「人間を道具扱いしている」と映ります。心理学的には、支配的な言動に対する「心理的リアクタンス(自由を奪われることへの抵抗感)」が強く働いています。
また、赤沢大臣の立場に自分を投影し、「もし自分が同じことを言われたら、立ち直れない」という恐怖や不安を覚えた方もいるでしょう。現代社会において、威圧的なリーダーシップは「予測不能な攻撃」として脳がストレス反応を起こし、排除すべき「害」と認識します。
■高市発言を擁護した人の心理
一方、この発言を「許容範囲」と考える人々は、異なる心理的枠組みを持っています。「政治はプロの世界なのだから、厳しくて当然だ」という思考です。
この場合、リーダーの「ラフさ」は「本気度の表れ」と解釈されます。心理的には、厳しい環境を生き抜いてきた自負(生存者バイアス)があり、「厳しい指導や指摘=必要な試練」という価値観を内面化しています。
加えて、「強いリーダーが自分たちを引っ張ってくれる」という安心感を求めている場合も、そのリーダーの攻撃性を「頼もしさ」としてポジティブに変換しがちです。また、身内や支持者も、多少の粗野な言動を「身内ゆえの甘え」や「信頼の証し」として矮小化する傾向があります。
パワハラと認定されるかどうかは、発言の受け手である赤沢大臣自身が「パワハラ」と感じるかどうかも重要です。
もし、赤澤大臣が「首相に恥をかかせた自分は無能だ」「次はもっと完璧にしなければ」と過度に自分を追い込んでいた場合、心は悲鳴を上げます。しかし、同じ組織に所属する者として、「首相はメンツが立たなくて焦っているのだな」と、相手の感情を客観的に観察できる状態なら、ダメージは軽減されます。
とはいえ、大臣も人間。テレビ中継もある国会で、髙市さんに「言いましたよね」と高圧的に言われたとき、首相と大臣という上下関係を公の場で見せつける発言のようにも見え、一瞬、嫌な感情をもった可能性も否定できません。
加えて、現在の日本社会では、「目的のためには手段や言い方を選ばない」という旧来の価値観と、「いかなる理由があっても個人の尊厳は侵されない」という新しい価値観が激しく衝突している状況です。今回の高市首相の発言がこれほど波紋を呼んだのは、この価値観のズレが可視化されたからだと言えるでしょう。
■男性首相が「恥をかかせるな」と言ったら
もうひとつの要因は、今回の構図が「女性上司と男性部下」だったからです。もしこの発言をしたのが男性首相だった場合、世間やメディアの反応は違っていたでしょう。
これまでの日本の政治文化や企業社会では、男性リーダーによる高圧的な言動は「厳格な指導」や「リーダーシップ」として容認、黙認されてきました。よって、男性首相だった場合は「あの大物政治家ならそれくらい言うだろう」「厳しい人だし」という言葉で片付けられていた可能性があります。
また、男性のラフな言動は「豪腕」「親分肌」とポジティブに変換されやすいのに対し、女性のラフな言動は「品格がない」「感情的だ」とネガティブなバイアス(偏見)で捉えられやすい傾向があります。
これは、女性リーダーが「ダブルバインド」という心理的に非常に難しい状況に置かれやすいことに起因しています。
ダブルバインドとは、2つの矛盾したメッセージを同時に受けることで、心理的なストレスを感じたり、混乱したりすることを指します。
女性リーダーが強気な発言をすると「攻撃的だ」「女性らしくない」と批判されやすく、一方で、物腰を柔らかくすると「決断力がない」「リーダーに向いていない」と軽視されやすいのです。
■女性上司と男性部下という構図の難しさ
「男性が上で女性が下」という感覚を持っている人々にとって、女性上司と男性部下という構図は、心理的な「座りの悪さ」を感じさせます。その違和感が、「これはパワハラではないか」という過剰な反応や、逆に「女性首相ならこれくらい強くなければ」という過剰な擁護を生む原因となっているのです。
また、「恥をかかせるな」という言葉が女性から発せられると、聞き手は無意識に「プライドの高い女王様的な振る舞い」というステレオタイプと重ねることがあります。男性なら政治的な駆け引きの一環に見えるものが、女性だと「個人的な感情論」として矮小化されやすいのです。
よって、男性首相であればこれほどまでの騒ぎにはならなかったでしょう。しかし、それは「パワハラではないから」ではなく、単に「社会が男性のパワハラに麻痺しているから」に過ぎません。
性別がどうあれ、「恐怖心で人をコントロールしようとする手法」の本質的な有害さは変わりません。今回の件を機に「そもそもリーダーが部下に恐怖を植え付ける手法は、性別にかかわらず現代では通用しない」という議論が進むことが、組織心理学の観点からみて健全な流れだと言えます。
赤沢大臣のような立場の方にとって、上司が男性であれ女性であれ、「恥をかかせるな」というプレッシャーが心身に毒であることに変わりはないのです。
■パラハラ認定された事例
ここで、一般企業で実際にあったパワハラ事例を紹介します。

ある大手広告代理店では、社命を賭けた大型コンペを数日後に控えていました。プロジェクトの責任者である部長は、メイン担当者のAさんに対し、周囲に聞こえる大きな声でこう言い放ちました。
「今回のコンペには私の進退がかかっている。もし負けたら、お前が私の顔に泥を塗ったということだ。私に恥をかかせるような真似は、万に一つも許されない」
そしてAさんが準備した資料に対し、「この数字を突っ込まれたらどうするんだ? なんでこんなに甘いの? なんで?」という問い詰めを深夜まで続けたり、失敗は許されない空気を徹底的に作り上げ、会議や他の社員もいるところで「もしダメだったら、この会社に居場所はないと思え」といったニュアンスを冗談めかした口調で伝えたりして、逃げ場を奪いました。
こうした環境下でAさんは、過度なプレッシャーと上司の顔色を伺うストレスにより、プレゼン当日が近づくにつれ、資料を見ようとするだけで動悸が激しくなりました。上司の「恥をかかせるな」という言葉が耳から離れず、「上司を怒らせないこと」に脳の全リソースが割かれていた感覚もあったそうです。
そして迎えた本番。Aさんは上司の視線を感じた瞬間に頭が真っ白になり、簡単な質問にも答えられません。プレゼン終了後には、上司からの「あんな恥をかかせやがって」という幻聴に襲われ、そのまま会社に戻ることができなくなり、プレゼンの翌日から「会社に行こうとすると吐き気がする」「玄関から一歩も出られない」という状態になって欠勤。病院で「適応障害」と診断され、数カ月の休職後、その上司と同じ空間にいることが耐えられず、退職しました。
■Aさんが適応障害になった理由
このケースが有害な理由は以下の通りです。

・「期待している」という鼓舞ではなく、「私に恥をかかせるな」という脅迫的なメッセージにより、部下のやる気をそぎ、恐怖心だけを増幅させたこと
・過度なプレッシャーにより「あがり」や「フリーズ」を招き、Aさんのパフォーマンスを疎外したこと
・部下を「共に戦うパートナー」ではなく、自分の評価を上げるための「道具」として扱ったこと

重要な局面であればあるほど、リーダーに求められるのは「失敗しても私が責任を取るから、思い切りやってきてほしい」という安全基地(セキュアベース)になることです。
今回の高市氏の発言も、赤沢大臣がもし「失敗したら首相の政治生命を終わらせてしまう」という過度な重圧を感じていたとしたら、それは健全な政治判断を鈍らせる、メンタルヘルス上の大きなリスクだったと言えます。しかし、報道から赤澤大臣の様子を見る限りは、こうした事態には陥っていないと推測します。
■女性上司から暴言を受けたら
近年の職場環境において、女性上司から男性部下へのハラスメントは決して珍しいことではなくなりました。しかし、日本の社会構造や性別役割分担の意識が根深く残っているため、被害を受けた男性部下が特有の困難に直面するケースが多々あります。
特有の困難のひとつは、男性部下が女性上司からハラスメントを受けた場合、ジェンダーバイアスによって対応が遅れる可能性があることです。「女性上司に圧倒されている自分」を認められず、一人で抱え込む傾向が強く表れやすくなります。
「男のくせに情けない」「これくらい耐えるべきだ」という思い込みを捨て、「ハラスメントは性別に関わらず、人権侵害である」と正しく認識し直すことが重要です。
もうひとつは、周囲から「女性上司に厳しく言われるくらい、大したことないだろう」と軽く扱われるリスクがあることです。周囲に相談する際は「感情的なつらさ」だけでなく、「業務への支障」とセットで訴え、組織を動かしましょう。
もし上司の言動がハラスメントだと感じた際は、以下のステップで環境を整えることを優先してください。
■男女問わずハラスメント被害は起こる
今回の高市発言は現状ではパラハラには当たらないと言えますが、同様のことが一般の職場で起こった場合は、パラハラとなる可能性が大いにあります。

職場の人間関係、特に上司との関係で悩むことは、想像以上に心身のエネルギーを消耗させます。上司から「これくらい普通だ」「あなたの成長のためだ」と言われると、つい「自分が弱いのか」「私が至らないからか」と自分を責めてしまいがちです。しかし「苦しい」「怖い」と感じているなら、それは自分の心が出している正当なサインです。
ハラスメントかどうかを決めるのは、上司の意図ではなく、受け取った側の状態です。今、上司の言動に悩んでいる人は、メモ帳やスマホに、相手から言われた言葉やその時どう感じたかを書き残しておきましょう。これは単なる記録ではなく、自分の客観性を取り戻すための作業になります。そして、職場を一歩出たら、仕事のことは考えない時間を作り、心を守ってください。
あなたは決して一人ではありませんし、今の苦しい状況が人生のすべてではありません。「自分を大切にする決断」は、どんな仕事の成果よりも価値があるものです。まずは今日、ゆっくり休むことから始めてください。あなたの心と体が健やかであることが、何よりも優先されるべきです。

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舟木 彩乃(ふなき・あやの)

心理学者

心理学者〈ヒューマン・ケア科学博士/筑波大学大学院博士課程修了)。博士論文の研究テーマは「国会議員秘書のストレスに関する研究」/筑波大学大学院ヒューマン・ケア科学専攻長賞受賞。メンタルシンクタンク(筑波大学発ベンチャー)副社長。官公庁カウンセラーでもあり、中央官庁や自治体での研修・講演実績多数。文理シナジー学会監事。AIカウンセリング「ストレスマネジメント支援システム」発明(特許取得済み)。国家資格として公認心理師、精神保健福祉士、第1種衛生管理者、キャリアコンサルタント技能士2級などを保有。Yahoo!ニュース エキスパート オーサ-として「職場の心理学」をテーマにした記事、コメントを発信中。著書に『あなたの職場を憂鬱にする人たち』(集英社インターナショナル)や『発達障害グレーゾーンの部下たち』(SB新書)他。

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(心理学者 舟木 彩乃)
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