■原油価格が金融市場の主役に
中東情勢の緊迫化をきっかけに、原油価格が金融市場の主役に躍り出た。
2月末の米国とイスラエルによるイランへの軍事作戦以降、WTI原油価格は1バレル65ドル程度から4月上旬には110ドル超まで急騰した。
各国の株価は景気悪化懸念から下落し、金利はインフレ懸念で上昇した。4月中旬には、停戦への期待から原油価格は最高値からはやや下落したものの、依然として高水準を維持している。
米国では、ガソリン価格の高騰など経済状況の悪化が、イラン攻撃に対する不信感と相まって、トランプ大統領の支持率を一段と押し下げている。そして原油高は、FRB(米連邦準備制度理事会)の政策判断を揺さぶることで、今後もトランプ氏の「アキレス腱」となり続けるとみられる。
■トランプへの支持率低下が続く
トランプ大統領への支持率は、中東情勢の緊迫化と軌を一にして、急速に悪化している。米国の代表的な世論調査サイト「Real Clear Politics」では、トランプ氏の支持率は4月中旬時点で42%程度と就任以来の最低水準に落ち込み、第1次トランプ政権(トランプ1.0)の平均をも下回っている(図表1)。
この支持率低迷は今年11月の中間選挙への影響も大きく、共和党が確実視されていた上院の過半数維持すら危ういとの見方が増えてきた。つまり、中間選挙での共和党の完敗も現実味を帯びている。これは、大統領の弾劾リスクが高まるだけでなく、共和党議員に対するトランプ氏の支配力が弱まることを意味する。
トランプ大統領は、中間選挙に向けて、インフレの沈静化はもちろんのこと景気浮揚を強く企図してきた。その一環として昨年には「トランプ減税」を成立させ、その効果が本格化するのを待っている状況だ。
そして、FRBに対しても利下げを進めるよう強い圧力をかけてきた。
今年5月に就任予定のウォーシュ新議長のもとで大幅な利下げが実施され、金利低下による住宅投資や企業の設備投資の促進、さらには株価上昇による景気拡大を思い描いていたはずだ。
しかし、夏場以降の景気加速シナリオには暗雲が立ち込めている。現時点ではインフレへの懸念を背景に、FRBが安易な利下げには応じない姿勢を改めて明確に示し始めているからだ。
■原油高がFRBのタカ派姿勢を引き出す
FRBにとって、原油高のような供給ショックは、インフレを押し上げると同時に消費や企業活動を冷え込ませる。つまり、金融引き締めでインフレを抑制すべきか、金融緩和で経済を下支えすべきか、どちらが適切かを見極めるのが難しい、典型的な「厄介なショック」である。
3月17~18日に開催されたFOMC(米連邦公開市場委員会)でも、FRBは「不確実性の高さ」を強調し、政策判断に慎重な姿勢を崩さなかった。では、現在のFRBは引き締めと緩和のどちらに傾いているのか。結論から言えば、ややタカ派、すなわち利下げの継続に慎重なスタンスが目立っている(図表2)。
パウエルFRB議長は3月のFOMC後の記者会見で、景気については比較的前向きな評価を示した一方、インフレに対しては明確な警戒感をにじませた。「原油高を簡単に無視すべきではない」「インフレの改善が見られなければ利下げは行わない」といった発言は、市場に対する強いメッセージとなった。
タカ派(利下げに消極的)の高官の中には利上げに転じることすら視野に入れる者もいる。クリーブランド連銀のハマック総裁は、インフレ懸念が強まった場合は、利上げに転じる必要性に言及している。

注目すべきは、これまでハト派(利下げに積極的)と見られていた当局者のスタンスにも変化が生じている点だ。ウォラー理事は当初、原油高の影響を「一時的」としていたが、足元ではインフレへの波及を強く意識し始めている。
現在のFRB内の空気は、明らかに「インフレ警戒」モードに傾いているといえる。
■転機となった「2022年の教訓」
しかし、過去を振り返ると、今回のFRBの対応は必ずしも典型的ではない。1970年代のオイルショック後の原油高局面では、FRBはむしろ景気への悪影響を重視し、金融緩和路線に傾くことが多かった。
たとえば、2011年の「アラブの春」による原油価格上昇時にもゼロ金利政策は維持された。2008年の投機マネー流入などによる原油高局面でも、景気後退への懸念から利下げが進められている。1999年のOPEC減産や1990年のイラクのクウェート侵攻による原油高の際も同様であった。
このように、過去20年間において、ガソリン価格の上昇は、どちらかというとFF金利(政策金利)を押し下げる方向に作用する傾向が確認されている。つまり、FRBの反応は、従来は「原油高=景気悪化リスク=利下げ」というものが多かったといえる。
今回も、原油高による物価上昇が一時的なものだという確信があれば、景気を下支えするために利下げを着々と進める選択肢もあったはずだ。では、なぜ今回は対応が異なるのか。
筆者は2022年の経験がFRBの転機になったと考える。
ロシアによるウクライナ侵攻に伴う原油高は、コロナ禍からの経済再開によるインフレ加速局面と重なった。このときFRBは利上げを開始したものの、その後、インフレを抑制するために急ピッチでの大幅利上げを余儀なくされた。
この経緯については、「利上げの初動が遅れたのではないか」という批判が今なお根強い。一方で、その後の積極的な金融引き締めによって、インフレ抑制の道筋を確保できたとの評価もある。いずれにせよ、FRBにとって重要な教訓は「原油高を軽視すると、後手に回るリスクがある」という点だ。この教訓が、現在の政策判断に強く影響しているとみられる。
■インフレ期待という「見えない敵」
さらに、今回の局面をさらに難しくしているのが、「インフレ期待」の問題だ。インフレ期待とは、国民や企業が予想する先行きのインフレ率のことである。これが高まると、企業は価格転嫁を積極化し、労働者は賃上げを要求するため、スパイラル的にインフレが加速するリスクが高まる。
FRBが最も避けたいのは、このインフレ期待の「アンカー(錨)」が外れることだ。一度上昇してしまったインフレ期待を再び抑え込むには、経済に多大なコストを強いることになる。

現在の状況は、インフレ期待を押し上げる要因に事欠かない。そして、それらの多くはトランプ氏の政策と密接に関わっている。
第一に、トランプ関税の価格転嫁もあって、すでに5年にわたってインフレ率が目標の2%を上回る状態が続いている(図表3)。さらに、足もとでは、イランへの軍事作戦によってエネルギー価格の急騰を招いている。高インフレの状況が長引けば、「多少のインフレは当たり前」という認識が社会に定着し、期待インフレ率が上昇しやすくなる。
第二に、トランプ政権によるFRBに対する政治的圧力は、中央銀行の独立性・信認を毀損する懸念がある。インフレ沈静化のための金融政策がしっかりと実施されないかもしれないという予想に結び付きやすい。
第三に、積極的な財政拡大もインフレ期待を煽りやすい。景気浮揚を狙ったトランプ減税はもちろんのこと、イラン戦争などを背景とした軍事予算の拡大要請も、需要を押し上げてインフレが上昇する連想として働くだろう。
こうした背景があるからこそ、現時点でFRBが安易に利下げに踏み切ることは難しい。皮肉なことに、トランプ大統領は自らの政策や言動によってインフレの長期化リスクを高め、結果として自分の首を絞めているのである。
■利下げ再開は「夏以降」が現実的か
利下げ再開の時期を展望するうえでのポイントは、エネルギー価格の高騰が、インフレ期待やエネルギー以外の品目の物価にどこまで波及するかである。

仮に中東情勢が4月中に落ち着きを取り戻したとしても、その経済への影響を見極めるには時間がかかる。経済統計に反映されるまでのタイムラグを考慮すれば、数カ月単位での慎重な観察が必要になるだろう。
こうした点を踏まえると、利下げの再開は現実的に見て、早くても夏場以降になると考えるのが自然だ。金利が高止まりすれば、株価への下押し圧力が残り、家計資産が棄損されることで消費意欲が冷え込む可能性がある。米国経済は消費主導型であるだけに、この悪影響は決して無視できない。
仮に夏場以降に利下げを開始できたとしても、11月の中間選挙までに景気回復の実感が国民に広く行き渡るかどうかは不透明だ。むしろ、夏場にかけてのガソリン価格の高騰や、輸送・原材料コストの上昇に伴う様々な物価上昇の記憶が鮮明に残ったまま、有権者が中間選挙の投票所に足を運ぶ可能性が高いと言える。
バイデン前政権が追い込まれた「インフレ」の難題は、FRBが賢明に政策を実施できたとしても、また、賢明に政策を実施すればするほど、トランプ政権にも重くのしかかることは間違いがなさそうだ。

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髙橋 尚太郎(たかはし・しょうたろう)

伊藤忠総研上席主任研究員

2005年日本銀行入行、国際経済調査や金融市場調査等に従事。2017年有限責任監査法人トーマツ入社、マクロ経済分析サービスやリスク管理アドバイザリー等のプロジェクトに従事。2019年伊藤忠商事入社後、伊藤忠総研へ出向。東京大学大学院情報理工学系研究科修了。
London School of Economics and Political Science(LSE)経済学修士課程修了。

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(伊藤忠総研上席主任研究員 髙橋 尚太郎)
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