■高値で売れるクマを待つ地獄の扱い
20世紀の日本では、善良であるはずの農民とハンターによる密猟、名望ある養蜂家による背徳がクマの周りに取りついていた。高価で取引されたクマは、東アジアで地獄の扱いを受けることになる。私はこれまで、クマの密猟を100例は見ただろう。私の前職はなんせ秋田県生活環境部自然保護課で密猟を取り締まる側にいた。
広島に来てからは、密猟されそうなクマを救助し、300頭あまりを山に帰していた。あんな強大な動物を密猟するだろうかと不思議に思うだろうが、農民は怒りにまかせて普通にやる。ハンターはサル、イノシシ、シカ、クマを除去してくれるから農民の英雄であって、警察の保安課員と結びつきが強い。
県警保安課の銃器担当者が県猟友会の会長になった例もある。養蜂家はたいてい、村の有力者だ。私は学生時代、知り合いのリンゴ園に通ってクマを観察していたし、行なわれている原始的な被害対策を見てきて、その努力に敬意を抱いていた。西中国に来て会った密猟農家を犯罪者に仕立てるのではなく、彼らが密猟したクマを当方が引き取り、奥山へ放獣した。
■腹を割られ左足を奪われたクマの姿
県の事業への協力者という枠に入れることで、彼らが責任追及されない方法を取ったのだ。
複数人ならクマ1頭を担いで運んだだろうし、解体したのは1人だったのだろう。私は惨い姿になったこのクマを見た瞬間、まったく理解ができず「大きなオスグマの仕業だろうか」と最初思った。しかしドラム缶檻の入口は遠くへ跳ね投げられ、クマは外へ出されて仰向けになっている。1990年代、私は広島県と島根県でテレメトリー追跡調査を行ない捕獲していた。
ドラム缶檻の側面には通気、注射、観察用の直径25ミリの穴を多数開けてあるが、その穴に鉄棒のようなもので、あおって広げようとした痕跡があった。それに鉄棒でクマを突いた傷が多数、脇腹に残っていた。殺しかねた密猟者は銃を持ち出して、クマの頭を撃ってとどめを刺していた。
ツキノワグマの生息数は西中国三県(広島県・山口県・島根県)で250頭と言われていた時代、その貴重な1頭が無為に殺害されたのだ。
■漢方薬と珍味のために殺される命
ただ事実関係を行政に通報し、警察にも伝えられた。だが、警察が指摘した犯罪事実は「銃の目的外使用」だけであり、県は「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」のどれにも該当しないこととした。この法律に関わったことがある私には納得できたが、非常に不快な出来事であった。
そのハンターはこの村(旧吉和村、人口870人)の関係者で、私が山深くで調査捕獲を行なっていることを知っており、私を追跡すれば「クマにありつける」と思ったのだそうだ。このようなクマの密猟は西日本で多発していた。胆嚢は「クマノイ」であり、左手は中国北東部に住む朝鮮民族の珍貴な料理であって、日本では関西を中心に西日本で需要が多いからだ。
環境庁は西日本17県のクマを狩猟禁止にした。そもそも、クマノイとは何か。熊類の胆嚢はクマノイと表記されて漢方・民間医療で用いられ、捕獲に銃を用いることが困難な時代には、この強獣を部落全員の力を結集して捕獲して高額で換金するなり、自分たちの医療に用いていた。また封建時代には権力者が強権的に収集し、さらに上部の支配者に献納していた。
近代でも新聞に捕獲の事実とともに獲ったクマがいくらで売れたかが書かれた記事が多数見られ、所有を巡って悲喜こもごもの事件が起こっている。
■現代まで続くクマ取引の法的グレーゾーン
そのため事情を知らない市民は本当に【クマの胃袋】をつかまされた例もありそうだ。春グマ狩りで捕ったクマは、まだ採食していないので胆汁は溜まり胆嚢は大きい。四角い板に挟んで囲炉裏の上で風乾する。現代ではクマ科の動物は全種がワシントン条約で国際的な取引が規制されており、クマから取れる胆嚢も同様だ。
一方、国内取引の規定はなく、個人で自家消費する分には問題はないのだが、漢方としての効能をうたって販売した場合は「薬機法」に抵触する可能性がある。最近、ネット上のフリーマーケットに出回って問題になった。
その由来は、現代では有害駆除によるものではなく、個人による狩猟が多く、一部は先の例のような密猟由来の物も存在するだろう。
では、歴史的にクマの値段はどのように推移したのか、明治、大正、昭和の例を挙げる。
なお、新聞に掲載されているクマの値段を米価に換算するに当たって参考にできるのは生産者価格、政府買い入れ価格、店頭価格などさまざまあるが、この間を比較できる生産者価格を用いる。
■歴史から紐解く異常な市場価値
■明治27年、クマ1頭で百余圓
明治27(1894)年10月29日朝、富山県中新川郡早月加積村(現滑川市)に大グマが現れ、村人や滑川署の巡査らに槍で抉られて果て値段は百余圓とされた。(「読売新聞」)クマ1頭で米38俵に相当した。
■大正12年 クマ3頭で600圓
大正12(1923)年4月12日、秋田県の鳥海山麓で殺獲した20貫(約75キログラム)のクマ1頭と10貫(約38キログラム)のクマが2頭の計3頭で600圓になる、とある。(「秋田魁新報」)
あらかじめ目星をつけておいた穴に母子3頭のクマが越冬していたらしく、効率よく一網打尽にしていた。これは米50俵の値段に相当した。大正10(1921)年の豊作で米価が下落しており、それが影響したようだ。
■合法という名で行われた大量捕獲の実態
■昭和23年 1頭で10万圓米48俵
昭和23(1948)年4月21日付けの「岐阜タイムス」(岐阜新聞)に富山県でのクマ狩りの記事と、残雪上を2人の猟師がクマを引いている写真が載っている。記事の最後に、「三十貫の大クマ、一頭、十万圓と言われる」とあり、じつに48俵に相当した!
製薬が盛んな富山県で殺獲されたクマは他県のクマより割高で取引されており、北陸のクマは最高級品、秋田県阿仁地方のクマはブランド品だった。翌日の同紙の紙面には「食料楽観は禁物――増配も国民の誠意次第」というタイトルが見える。農民に生産物の供出を督励し、等しく飢えた国民に誠意という道徳を押しつけて、地方への買出しを断念させる政府発表だ。
クマは高価であったために1990年代初頭まで、養蜂家を装った「クマ捕獲業者」もいた。養蜂家の団体の機関誌には、養蜂技術ではなく、クマの捕獲方法を詳報している。
この報告者はある県の養蜂団体の幹部である。
あくまでも当時、この方法は合法である。設置者は「経費が50万円もかかった」と発言するに及び、私は各方面に、このような方法はやめるべきだと働きかけたところ、短期間で全国的に是正された。
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米田 一彦(まいた・かずひこ)
NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長
1948年青森県十和田市生まれ。秋田大学教育学部卒業。秋田県庁生活環境部自然保護課勤務。86年に退職し、フリーの熊研究家となる。多数の助成により国内外で熊に関わる研究・活動を行う。島根、山口、鳥取県からの委託によりツキノワグマの生息状況調査(00~04年)のほか、環境省の下でも調査を行ってきた。十和田市民文化賞受賞(98年)。日本・毎日新聞社/韓国・朝鮮日報社共催「第14回日韓国際環境賞」受賞(08年)。主な著作に『熊が人を襲うとき』(つり人社)、『山でクマに会う方法』(ヤマケイ文庫)、『クマ追い犬 タロ』(小峰書店)、『クマを追う』(丸善出版)、『絵本 おいだらやまの くま』(福音館書店)ほか多数。
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(NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長 米田 一彦)

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