■小谷城の喉元に織田軍の拠点
第11回:山本山城(滋賀県長浜市)
1570(元亀元)年4月の義弟・浅井長政の裏切り「金ヶ崎(かねがさき)の退(の)き口(ぐち)」に始まった、織田信長と浅井・朝倉との争い。姉川での決戦や比叡山焼き討ちなども経て、徐々に信長方が優勢に。そしてついに浅井家の居城、小谷城(図表1①滋賀県長浜市湖北町伊部)での決戦となる。そこには当然、「豊臣兄弟!」(NHK)の主人公である秀吉・秀長の兄弟もいた。
信長が3万の兵を率いて小谷城へと攻め寄せたのは1572(元亀3)年7月。最前線の拠点は虎御前山(とらごぜやま)城(図表1②滋賀県長浜市湖北町河毛)だ。同城には信長以下、木下秀吉、柴田勝家、滝川一益、佐久間信盛、堀秀政と、織田家の主要家臣達が一堂に会している。
■なぜ信長は兵を撤退させたのか
虎御前山城は、小谷城の南西約1kmほどしか離れていない。いわば敵の懐に飛び込み、喉元に刃を突きつけたわけだ。当初、信長は虎御前山城に陣取ったものの、城へと攻めかかることはなく睨み合いが続く。それどころかいったん、最前線を秀吉に任せて多くの兵を撤退させてしまう。
それは単に慎重になっただけでなく、中央情勢が緊迫し、足利義昭や武田信玄の動きに対応する必要があったことも大きい。
最終的には秀吉が先陣を切って城内へ突入し、小谷城は落城、長政は自刃し浅井家を滅亡させる。その功績で北近江に領地を得て、一国一城の主となったのはよく知られた話だ。
初めは慎重を期したにもかかわらず翻意し、城への強攻を命令した信長。実はその背景には、ある武将の「寝返り」が大きく関与している。
■小谷城攻め直前、両軍の布陣
信長はなぜ、小谷城の戦いに「勝機あり!」と決断できたのか。小谷城一帯の各城の位置関係が、その謎を解く手掛かりとなる。
小谷城には浅井長政、谷を挟んで北西側の尾根上にある大嶽城(おおづくじょう)(図表1③滋賀県長浜市小谷上山田町)には朝倉の援軍が陣取る。それらと対峙する位置に虎御前山城があり、ここから南方は織田家が押さえており、虎御前山城までは軍用道も整備され補給体制も整えられていたという。
注目すべきは虎御前山城の西側、琵琶湖畔にある山本山城(図表1④滋賀県長浜市高月町西阿閉)だ。城主は阿閉(あつじ)貞征(さだゆき)。姉川の戦いにも参陣している浅井家の重臣の一人だ。
うかつに小谷城へと兵を進めれば、貞征に背後を突かれかねない。
とはいえ、正面の小谷城、大嶽城に籠る浅井本隊、朝倉援軍に比べれば、山本山城の兵数ははるかに少なかったはず。電撃作戦は織田軍の得意な戦術のひとつ。一気に山本山城を攻め落とし、後顧の憂いを絶つこともできたのでは? とも思えてしまう。
ところが、山本山城は小谷城に勝るとも劣らぬ「天然の要害」なのだ。
■小谷城に並ぶ山本山城の険しさ
山本山城の標高325m、麓からの比高は235m。約7km北の賤ヶ岳から伸びる山脈の最先端にあたる。山脈西側は琵琶湖に接しており、東側も麓の平野から一気に駆け上がるような急勾配だ。ちなみに小谷城の比高は230m。わずかだが山本山城の方が上回っている。麓との高低差があればあるだけ、その城の攻め辛さは増す。
南から城跡へと伸びる登山道を登ってゆく道中は、延々と上り勾配。比喩ではなく、登れども登れども城にたどりつかない。まさに天然の要害。人工的な防御施設がなくとも、相当の体力を奪われてしまう。
そのはてに現れるのが、壁のような切岸(人工的に削り角度をつけた崖)を従えた曲輪。ここを突破しさらに登った先には、削平された広大な二の丸。急勾配を登った直後に城兵からの猛攻を受けながら、これらを突破するのは至難の業だろう。
■南北ともに堅く守られた「要塞」
山本山城は、南北に伸びる尾根上にほぼ一直線に曲輪が並ぶ。南端が二の丸で、その先が本丸。ここは四方をグルリと土塁が囲っている。二の丸側には土塁の切れ目があり、両側がやや前後にずれ、食い違い虎口になっている。
先に触れた通り、山本山城は尾根伝いに賤ヶ岳まで続いており、現在でも登山道が整備されている。
ということは、北側は勾配がゆるやかで山城としては弱点となる。だが、そちらの備えも万全だということは、本丸の先にある大堀切が証明している。
■「前門の虎、後門の狼」状態の信長軍
堀切はもちろんこれだけではなく、尾根を北へ進むと頻繁に出くわす。自然の勾配が小さい分、人工的な加工で敵の進軍を困難にする。つまり、北から攻めても南から攻めてもなかなかの犠牲を強いられることは明白。
山本山城は小谷城同様に侮れない堅城だ。実際、姉川の戦い後に織田軍に攻められるも見事に撃退している。この城が浅井方にある限り、小谷城を攻め落とすことも難しいのだが……。
■主家滅亡を導いた男の「その後」
チャンスは意外なところから信長のもとへと転がり込んでくる。1573(天正元)年8月8日、山本山城の城主・阿閉貞征が浅井家を捨て、織田方へと寝返ったのだ。これで後顧の憂いはなくなった。
こういう時の信長の決断は大胆かつ迅速だ。
その際に、敗軍の将・浅井長政は自刃に追い込まれ、長政に嫁していた信長の妹・お市と3人の娘たちが小谷城から逃げ落ちたのは、ご存じのとおりだ。
阿閉貞征は、秀吉に従い各地を転戦するなど、その後は織田家臣として武功を上げている。
しかし、1582(天正10)年6月。本能寺の変の直後、阿閉貞征は明智光秀に与(くみ)してしまう。秀吉との山崎の戦いでは明智方の先鋒を務めるも敗戦、捕縛。磔刑に処せられた。小谷城の戦いでは、時勢を読み見事に勝ち馬に乗った。
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今泉 慎一(いまいずみ・しんいち)
古城探訪家
1975年、広島県生まれ。編集プロダクション・風来堂代表。山城を中心に全国の城をひたすら歩き続け、これまでに攻略した城は900以上。著書に『戦う山城50』(イースト・プレス)『おもしろ探訪 日本の城』(扶桑社文庫)、監修書に『『山城』の不思議と謎』『日本の名城データブック200』(以上、実業之日本社)。『織田信長解体新書』(近江八幡観光物産協会)など、地域密着濃厚型のパンフレット制作を担当することもある。
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(古城探訪家 今泉 慎一)

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