砂漠の山岳地帯に総延長30キロのゲレンデを造り、人工雪でスキー客を呼び込む。そんな総事業費3兆円、サウジアラビアが国家の威信を賭けた巨大リゾート構想「トロジェナ」が事実上崩壊したと海外メディアが報じている。
コスト偽装に加えて、親プロジェクト「ネオム」の違法労働が指摘されている――。
■「砂漠にスキーリゾートを作る」
砂漠の山に、雪を降らせる。荒唐無稽にも聞こえるその構想に、サウジアラビアは国家の威信を賭けた。
同国が紅海沿岸で推進する巨大開発「ネオム(NEOM)」は、国家開発構想「ビジョン2030」の旗艦事業だ。事業は北西部の複数の地域で同時進行しており、全長170キロの未来都市「ザ・ライン」や、紅海に浮かぶ島のラグジュアリーリゾート「シンダラ」など5つの主要プロジェクトがある。このうち、山岳部一帯に計画されたスキーリゾートが「トロジェナ」だ。
トロジェナは2022年3月、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子により、山岳観光の「世界的目的地」として肝煎りで発表された。リゾート内では、年間3カ月ほどは人工雪によるスノーアクティビティが可能。それ以外のシーズンには、人造湖の湖面でのウォータースポーツや、荒れた岩肌を制するマウンテンバイクなどの娯楽を用意する計画になっている。
開発当局はプロジェクト費用を公開していないが、建設業界メディアのコンストラクション・レビュー・オンラインの推計によれば、トロジェナだけで総事業費190億ドル(約3兆円)の巨大プロジェクトだ。
■壮大すぎる青写真
計画の発表以来、トロジェナでは人造湖の水源となる3基のダムと、主要建築物「ザ・ボウ」の建設が進められてきた。ザ・ボウは、長さ2.8キロに及ぶ巨大なダムの堤体と一体化した形で設計され、建造物全体が谷底へとせり出すユニークな大型施設を構想する
高級ホテルのマリオットが500室規模で入居するほか、商業施設を収容し、トロジェナの中核施設と位置づけられた。
さらに、湖水を望む山肌には、タイのマイナーホテルズによる5つ星リゾートを計画。まるで波が幾重にも打ち寄せるような有機的でラグジュアリーな外観の完成予想画像が公開されている。このほか、複数のホテル棟の屋上部をゲレンデで結び、自在に移動できる連続した斜面にするなど、クリエイティブな予想画像がプロジェクト公式からリリースされている。
最大高度2600メートルに達する砂漠の高地に、総延長30キロ超のゲレンデを設け、スキーで賑わう街をゼロから興す。オイルマネーを元に、石油依存型経済から観光立国への転換を図るサウジらしい、野心的なプロジェクトだった。
だが、今年3月、決定的な異変が報じられた。計画に欠かせないダムの建設契約が打ち切られたのだ。
■サウジが抱える「雪をつくる以前の問題」
ネオムは3月29日を発効日として、ダム建設の契約解除を通告した。適用されたのは「便宜的終了」。つまり、発注者の都合により、施工者に非がなくとも契約を打ち切れる条項だ。施工を請け負っていたイタリアの大手ゼネコン、ウィビルド・グループが明らかにした。
通告を受けたのはウィビルドだけではなく、同エリアの建設に携わっていた他のゼネコン各社も同様だという。
ダム建設の中止と前後して、トロジェナでの開催が決まっていた国際大会の招致も併せて撤回された。2029年アジア冬季競技大会の会場に選ばれていたが、当局が開催断念を認めたと、英非営利報道機関のミドル・イースト・モニターが報じている。代替地としてカザフスタン最大の都市アルマトイが開催を引き受ける。
砂漠の山中でスキー場を運営するには、人工雪が欠かせない。降雪機を回し続けるには、膨大な水がいる。その水源として構想されていたのが、ダムで谷を堰き止めて造る人造湖だった。
■総崩れする国家プロジェクト
ダムがなければ湖は生まれず、湖がなければ雪を降らせる水もない。すべてはダムという一点に懸かっていたが、契約解除でトロジェナのリゾート計画も国際大会も消えた。
もっとも、現時点でリゾート計画が完全に撤回されたわけではない。ダムの湖水に依存しないマウンテンバイクなど、一部の山岳アクティビティは依然として実施できる可能性は残されている。それでも、スキーリゾートとして大々的にPRしていたトロジェナが大幅な見直しを迫られることは必至だ。

直線都市のザ・ラインについても2024年4月、ブルームバーグが大幅な計画縮小を報じた。当初計画は170キロだったところ、2030年までにわずか2.4キロの完成を目指すという。仮にこれをもって建設完了となれば、実に約98.6%の縮退だ。ネオムの基幹プロジェクトが次々と見直しを迫られている。
■「コスト水増し」に異議を唱えた職員の末路
ダム契約が打ち切られるよりはるか前から、トロジェナの建設計画は崩壊していた。
米経済紙のウォール・ストリート・ジャーナルが入手した内部プレゼン資料によると、2023年秋の見直しでコストは100億ドル(約1兆6000億円)超も跳ね上がった。投資対効果を示す内部収益率(IRR)は、目標の約9%から7%に沈んだ。
この落差を埋めるために、通常ならば現場の経費削減に真っ先に手を付けるだろう。しかしネオムは、収益見込みの水増しに走った。
「創意あふれるグランピング施設」の想定客室料金は、当初の1泊216ドル[約3万4500円(4月28日現在のレート、1ドル159.6円で換算、以下同)]から704ドル(約11万2000円)へと、大胆にも約3.3倍に見込み価格を増額。「ブティック・ハイキングホテル」も489ドル(約7万8000円)から1866ドル(約29万8000円)へと、想定額が約3.8倍に引き上げられた。まだ影も形もないホテルの料金を書き換えるだけで、IRRは9.3%に「回復」した。

「コストについては一切、自ら言及してはならない」。これはネオムでビジョン策定を統括していた幹部アントニ・ビベス氏が、重要会議を前に同僚やマッキンゼーのコンサルタントへ送ったメールの文言だ。
実際、コスト見積もりに異議を唱えたプロジェクトマネージャーは職を解かれたと、ウォール・ストリート・ジャーナルが入手した100ページ超の内部監査報告書に記されている。ネオム自身の取締役会に提出された同報告書では、特定の経営陣による財務の「意図的な操作の証拠」が認定された。
■計画立案者が検証者を兼ねる異常事態
収益予測を書き換えて帳尻だけ合わせても、当然長続きはしない。現実に、工事は止まった。
ウィビルド・グループによる3月の情報開示によれば、契約解除の時点で工事の進捗は約30%にとどまり、一方的に契約解除されたことで生じた未施工分の受注残高は約28億ユーロ(約5200億円)に上る。ダム3基と人工湖、ザ・ボウなどで47億ドル(約7500億円)を受注していた。ただしウィビルドは、契約および適用法の規定に基づきネオムが解除に伴う費用を全額補償するため、財務的損害はないとしている。
トロジェナの親プロジェクトにあたるネオムに関しても、会計上の問題点が指摘されている。
こんな話が伝えられている。ウォール・ストリート・ジャーナルが入手した監査報告書によると、コンサルティング大手マッキンゼーは、ネオム傘下の高級リゾート島「シンダラ」の財務予測について、妥当性の検証を引き受けていた。

だが同社はそもそも、計画立案の段階からプロジェクトに関わっている。自ら描いた計画を、自ら検証する構図だったのだ。しかも、別の顧問会社が検証を断ったことを受け、マッキンゼー自身がこの検証を引き受けたという。
事態が明るみに出た後に監査が行われ、利益相反の疑いがないかさらに調査するよう勧告された。事情に詳しい関係者によれば、マッキンゼーがネオムから受けた報酬は年間1億3000万ドル(約207億円)を超えた年もある。それだけの報酬を得ながらも、同社は利益相反を防ぐ「厳格なプロトコル」があると主張し、「シンダラの統合財務報告書については責任を負う立場にない」と述べている。
■軽視された先住民の命
会計よりもさらに深刻な問題が、ネオムの暗部に存在する。人命の軽視だ。
トロジェナで幹部を務めたアンディ・ワース氏は、英公共放送のBBCの取材に応じている。それによるとワース氏は2020年、着任の数週間前という時点で、先住民殺害の情報を耳にしたという。ネオム傘下のザ・ライン開発予定地で住民の退去を強制し、応じないハウェイタット族のアブドゥル・ラヒム・アル=フワイティ氏が殺害されたとの情報だ。
ワース氏はネオム側に繰り返し問いただしたが、納得のいく回答は返ってこなかった。
憤ったワース氏は、「こうした人々に対して何か恐ろしいことが強いられたのだと、強烈に感じた。開発を進めるためといって、ブーツのかかとで人々の喉を踏みにじるべきではない」との言葉を残し、着任から1年足らずでプロジェクトを去った。
BBCの報道によると、サウジ国家安全保障当局は住民の殺害すら内密に許可していたという。
現在イギリスに亡命中の内部告発者、ラビ・アレネジ大佐は、2020年4月付で命令書を受け取った。そこには、ザ・ラインの南わずか4.5キロ、アル・フライバー地区に代々暮らしてきたハウェイタット族が「多くの反逆者たち」であると断じたうえで、こう記されていた。「立ち退きへの抵抗を続ける者は、殺されるべきである」と。
■追悼しただけで逮捕される
抹殺の決行日になると、耐えかねたアレネジ大佐は仮病を使い、任務を逃れたという。それでも作戦は、他のメンバーによって予定通り実行された。
作戦により、かねてSNSに立ち退きへの抗議動画を積極的に投稿していたアル=フワイティ氏が命を落とした。
彼は、自宅の土地の査定に来た土地登記委員会の立ち入りを拒んだ翌日、当局に射殺されている。当局は、アル=フワイティ氏が先に治安部隊に発砲したと主張するが、国連やサウジ人権NGOのALQSTは立ち退きに抵抗しただけで殺害されたとみており、見解が食い違う。
立ち退きに抵抗した村民のうち少なくとも47人が立ち退きへの抵抗を理由に拘束され、そのうち多くがテロ関連の罪で訴追された。BBCが報じた2024年5月時点で、40人が引き続き収監中だ。うち5人には、すでに死刑が宣告されている。複数の人物が、アル=フワイティ氏の死をSNSで公に悼んだだけで逮捕された。
■作業員は4時間睡眠、事故も多発
このようにして先住民たちは、土地を奪われた。では、その土地に未来都市を建てるために送り込まれた労働者たちは、どのような処遇を受けているのか。芳しい話は伝わってこない。
ネオムの建設現場で、パキスタン人土木技師アブドゥル・ワリ・スカンダル・カーンがガードレールの崩落で命を落としたと、英中東専門デジタルメディアのミドル・イースト・アイがALQSTの報告をもとに報じている。25歳、2児の父だった。
雇用主の中国企業チャイナ・コムサーブは、適切な補償を行い、監視カメラ映像も提供すると約束した。ALQSTによれば、同社は約束した補償金のごく一部をサウジアラビアのパキスタン大使館に支払ったが、遺族への相談はなく、家族はいまだその資金を手にしていない。カーン氏の遺体を引き取りに、自費でサウジへ渡ったのは兄弟だった。遺族はいま、法的手段に訴えて責任を問おうとしている。
事故は、劣悪な労働環境から生じた。同紙が取り上げた英放送局ITVのドキュメンタリーによれば、ネオムの労働者は法定上限の週60時間をはるかに超えて働かされているという。砂漠の現場まで片道3時間のバス通勤を強いられるが、通勤時間に対して手当は支払われず、眠れるのは毎日約4時間にすぎない。ある労働者は潜入取材した記者に、「休息が足りず事故が多い。先月だけで4~5件」だと語る。
多くの死が、調べられることすらなく放置されている。米国際人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチの2024年12月の報告書によれば、同年1~7月にネオム以外も含めたサウジアラビア全土でバングラデシュ人884人が死亡したが、その80%が「自然死」として処理された。
■しぼむ構想、書き換えられる看板
人命を犠牲にしてまで推し進められた計画は、皮肉にも、急速にしぼみ始めている。
ミドル・イースト・モニターはフィナンシャル・タイムズの報道をもとに、ネオムのマスタープランが、「大幅に規模が縮小される」方針だと伝えた。サルマン皇太子が「ビジョン2030」の目玉に据えた巨大計画は、行き先を失いつつある。
かつて「王国の都市生活の未来」と喧伝されたネオムだが、内部監査により、深刻な工期の遅れと膨れ上がるコストの問題が顕在化した。青写真だけが壮大であり、実態はまるで伴っていない。
トロジェナの行き詰まりは、ネオム全体が迫られている計画縮小のうち、ほんの一例だ。石油価格が低迷するなか、2030年のリヤド万博や2034年のFIFAワールドカップなど、大型事業の準備費用まで重なったことで、サウジアラビアの国家予算は逼迫している。
ネオムを保有する公共投資基金(PIF)はすでに500億ドル超(約8兆円超)を注ぎ込んできたが、成果を形で示せという圧力は強まる一方だ。政府は目先の結果が見込める事業へ予算を振り向け始めている。
■サルマン皇太子に向けられる冷ややかな視線
もっとも、サウジアラビアも軌道修正には動いている。
ミドル・イースト・モニターによれば、ネオムではデータセンターの大規模な整備が計画されているという。事情に詳しい関係者は、「データセンターの整備に向けた大きな追い風となるだろう。海岸近くという立地のため海水による冷却が可能となり、これは大規模なデータの運用に不可欠だ」と合理性を強調する。
ネオム幹部らも、プロジェクトの軸足をAIやデジタルイノベーションの拠点へと移す方針を打ち出した。フィナンシャル・タイムズへの声明では「段階的実施と優先順位付け」を進めていると述べている。
サルマン皇太子自身は昨年9月、サウジアラビアの諮問機関シューラー評議会で「公益のために必要と判断した場合は、いかなるプログラムや目標であっても、廃止または抜本的な修正をためらわない」と明言し、柔軟に計画を調整する姿勢を見せた。
一方、テックジャーナリストのヘスス・ディアス氏は、米ファスト・カンパニーへの寄稿で、サルマン皇太子が失敗をあたかも「戦略的転換」であるかのように言い換えていると指摘。低俗なAI画像を量産するAIデータセンターで冷却ファンが回り続ける光景の方が、「ザ・ライン」や「ネオム」よりもずっと現実味があるとの皮肉で記事を締めている。
■サウジ国民を襲う消費増税と圧政
前例のない規模の構想に挑んだこと自体には、意義があったのかもしれない。砂漠の山岳地帯にスキーリゾートを築き、人造湖の水で人工雪を降らせるという、技術と資本の限界に挑む壮大な実験だった。
だが人々は、あまりにも不均衡な形で夢の代償を負担するよう強いられている。巨大事業を描き、推し進めたネオム側に、法的・財務的な責任を問われる兆しはない。反面、ネオム開発の名のもとに故郷を追われ投獄された先住民には、何ら保護も補償も用意されていない。
さらに、国民の負担も課題だ。2020年には原油価格暴落により、日本の消費税に相当する付加価値税(VAT)が5%から15%に引き上げられた。こうした苦しい状況の中、ネオムを所有する政府系ファンドのPIFが当初から主要出資者として資金を供給してきたが、期待していたほどの民間・外国投資は集まっておらず、PIFに成果を求める圧力は高まっている。ギガプロジェクトへの支出が財政を圧迫しており、さらなる負担が間接的にサウジ国民一人ひとりに降りかかることもあり得る。
砂漠に降るはずだった雪は、幻に終わった。夢を追うためだとして奪われた人々の生命と国民の負担だけが、今も消えない現実として残っている。

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青葉 やまと(あおば・やまと)

フリーライター・翻訳者

1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
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