中国とロシアの国境を流れるアムール川。岸辺にある中国の街・黒河は、かつて対岸のロシア住民から「張りぼての村」と馬鹿にされていた。
その後目覚ましい発展を遂げた黒河の街には、蔑んでいたはずのロシア人が殺到している。歯の治療から爆買い、中国語学習まで。対岸に依存せざるをえないロシアの実態を、海外メディアが報じている――。
■ロシア人が蔑んだ「張りぼての村」の実態
「あんなものは、ポチョムキン村ですよ」
2009年、ロシア極東の国境都市ブラゴヴェシチェンスク。そこでは中国政府が、中国語・中国文化の普及を目的とした孔子学院を運営していた。
ところがロシア人感情は、必ずしも中国文化に対して芳しくない。学院のロシア人責任者を務めるニコライ・クハレンコ氏当人が、アムール川の対岸に広がる中国の街・黒河(ヘイヘ)を指し、ポチョムキン村だと切り捨てたのだ。
ポチョムキン村とは、ロシアの逸話から派生した言い回しだ。権力者の目を欺くために造られたとされる、偽りの集落を指す。中国がロシア国境で見栄を張るために飾り立てた、張りぼてにすぎないのだ、と。
では、その「張りぼて」とは、どんな景色なのか。
黒竜江省に位置する黒河市では、過去数十年にわたり都市部が大きく発展。
CNNは、活気ある都市へと成長しており、ブラーゴヴェシェンスク側からはアムール川に映し出されるカラフルなスカイラインを望むことができると伝えている。
米オンライン総合誌のスレートの記者は、ブラゴヴェシチェンスクから対岸を眺めて描写する。黒河は川面の向こうで光り輝いており、真新しいショッピングセンターは川にせり出すように建ち、対岸のロシア側からも判読できるほど大きなキリル文字で看板を掲げる。夜になればラスベガスさながらの派手なネオンが川面に映り込み、サーチライトが夜空に円を描く、と。
■相半ばする「中国依存」と「反中感情」
派手な景観に、ロシア人たちが投げる視線は複雑だ。
同記者の取材に住民たちは口々に語った。曰く、遠目には立派でも、足を踏み入れれば汚れて雑然としている。北京の中央政府が国境の見せ場として黒河に特別予算を注ぎ込んでいるからこそ、あんな明かりが灯るのだ、と。クハレンコ氏のポチョムキン発言は、数ある冷ややかな視線の代表格だ。
アムール川の支流では1969年、ソ連と中国の緊張が高まり国境紛争が起きている。現在でも対立意識は色濃く残る一方、CNNが報じるようにホバークラフトや冬季の氷上道路などが開通し、今では両国間の交易が盛んだ。
市中心部には中国への行商で身を立てた人々の記念碑が建ち、「アムールの起業家たちの労苦と楽観主義を讃えて」と刻まれている。
一方でスレートは、川沿いには今も砲口を中国側に向けたまま、旧ソ連の第二次世界大戦記念艦が鎮座すると指摘。アムール川の両岸で、複雑な感情が渦巻く。
発展する中国に心を許し始めたロシア人も少なくない。ポチョムキン発言から16年後の昨年、同じクハレンコ氏が、中国共産党機関紙『環球時報』の英字版のグローバル・タイムズの取材に応じた。自ら率いる中国語教育機関「孔子学院」の学習者が、開設時の約70人から450人に膨らんだと、取材で誇らしげに語った。中国への渡航回数は、「パスポート5冊分」に上るという。訪れた中国の都市数は、ロシアの都市より多い。張りぼてと呼んだ街に、当の本人が驚くほど足を運んでいた。
■爆買い旅行で中国に殺到した大量のロシア人
スレートによると、ロシア極東の人口はわずか600万人で、日本の千葉県とほぼ同規模だ。この25年間で約4分の1が失われたと、アイルランドの全国紙のアイリッシュ・タイムズは報じた。国境の向こう、中国東北3省(黒竜江・吉林・遼寧)には約1億1000万人が暮らし、日本の総人口に迫る。発展著しい対岸の黒河をポチョムキン村だと貶しつつ、ブラゴヴェシチェンスクの人々の日常は黒河との交易に支えられている。

遡れば、1989年のこと。中ロの国境が再開するや否や、安い中国製の衣料品や電子機器を求め、ロシア人たちはフェリーでアムール川を渡り始めた。
スーツケースに商品を詰め込んで持ち帰る「スーツケース貿易」がたちまち広がったと、英地図情報ウェブサイトのブリリアント・マップスは報じている。対ロシア交易は、黒河発展のチャンスでもあった。ロシア人の短期滞在に対しては、ビザすら免除して門戸を開いた。
■歓迎ムードを壊した「マトリョーシカ事件」
黒河は対岸のロシア人を呼び込むため、あらゆる手を尽くした。通りにキリル文字の標識を掲げ、建物にロシア風の尖塔を載せ、夜になればラスベガスさながらのイルミネーションで川面を照らした。
いつしか街は、ロシアに渡らずともロシア気分を味わえるように。海外気分を味わおうと、中国国内の観光客まで足を運んだ。
だが、歓迎は双方向とはならなかった。スレートによれば、対岸のブラゴヴェシチェンスクには中国語の表記がほとんど見当たらない。ブリリアント・マップスによると、ブラゴヴェシチェンスクに住む住民の一部は、黒河が夜ごと催すライトショーを、まるで近代性と顕著な発展の見せつけではないかと解釈。
かえって反感を抱いたという。
歓迎の意思表示をロシア側が侮辱と受け取った、象徴的な一件がある。
2007年、黒河市はロシア名産の入れ子人形「マトリョーシカ」をかたどったごみ箱を、市内各所に設置した。これにロシアが猛反発した。「自国の文化をゴミ扱いされた」としてテレビの全国ニュースで報じられ、ロシア外務省が正式に抗議する外交問題にまで発展した。黒河市は慌ててごみ箱を塗りつぶし、事態を収めている。
■中国に依存しないと生きていけない
波風がありつつも拡大してきた交易の歴史は、2014年に突如として途切れる。
ロシア政府は以前から、免税枠や往来頻度の制限を設け、「スーツケース貿易」を抑えにかかっていた。そこへ、石油価格の急落とロシアによるクリミア併合への報復制裁が重なり、ルーブルが対人民元で急落する。
ブリリアント・マップスは、通貨暴落でロシア人の購買力が激減し、川を渡る行商はたちまち採算割れに陥ったと振り返る。ブラゴヴェシチェンスクで観光ビザを使い中国商品を売っていた中国人商人の多くも、撤退を余儀なくされた。対岸の黒河でも多数の商店が打撃を受けている。

行商が消滅したことで、越境インフラをめぐる交渉の構図も一変した。極東連邦大学のアルチョム・ルキン氏はCNNの取材に対し、中国はかねて国境インフラの整備を求めてきたが、ロシアは中国への依存が深まることを恐れ、「最近まで難色を示していた」と振り返る。拒む余裕が、まだあったわけだ。
だが2014年のクリミア併合と西側の反発を境に、ロシアの姿勢は「はるかに開放的」に転じたという。むしろ開放的になったというより、拒む力を失ったとも言える。「今やロシアに選択肢はない」と同氏は言い切る。
かつては中国への依存を恐れていたが、もはやリスクとして避ける余裕を失った。生き残りを賭けた必然の策として、ロシアは中国との国境を流れるアムール川の対岸へと引き寄せられていった。
■中ロを結ぶ大橋の寂しい利用実態
かつて交易に積極的なのは中国側だった。中国は何年も前から橋を架けようと提案しており、費用は中国側が出すとまで持ちかけた。
それをロシアは引き延ばし続けた。黒河が推進する「姉妹都市」構想にも、ブラゴヴェシチェンスク側は及び腰だった。
匿名の市当局者は、スレートの取材に、「この関係を押し進めているのは常に黒河側だ」と言い切る。「向こうは中央政府から多額の資金を受けているから、事業やプログラムの提案がいくらでも出てくる。でも、こちらにはそんな資金がない」
橋のなかった時代、川を渡る手段は、顔の利く業者だけが運航を許されたフェリーのほか、ホバークラフトや氷上道路などに限られていた。フェリーではわずか10分の渡河に40ドル(約6400円)超がかかる。
ロシアが拒み続けてきたその橋が、2022年6月、ついに架かった。CNNが伝えた開通式は華やかだ。色とりどりの煙を引く花火に、大型スクリーン越しに列席するロシアと中国の高官。両国から各8台の貨物トラックが国旗を掲げ、約1キロの橋をすれ違いながら渡っていく。
空からはドローンが追いかけて空撮映像に収めており、車列には中国側のトラックに電子機器とタイヤが、ロシア側に大豆油と製材が積まれていた。中国側の工業製品に対し、ロシアが輸出できたのは主に一次産品。積み荷の中身を見れば、両国の非対称はすでに明らかだった。
それでもロシア極東担当の大統領全権代表ユーリー・トルトネフ副首相は、「ブラゴヴェシチェンスクと黒河の橋は、今日の分断された世界において特別な象徴的意義を持つ。ロシアと中国の人民を結ぶ、さらなる友好の糸となるだろう」と胸を張った。
だが、開通式の華やぎが一段落すると、橋の存在は鳴りを潜める。ようやく開通したあと、橋は閑散としたままだ。設計上は1日600台超が通れるはずが、米全国紙のワシントン・ポスト紙の記者がある日の午後に目撃したのは、ブラゴヴェシチェンスク方面から渡ってきた荷台の空いた平台トラック1台きりだったという。
■虫歯治療のためにわざわざ中国へ
その後徐々に、往来は盛んになる。2023年9月にはビザなしの団体旅行が再開し、翌年9月にはロシアの一般旅券保持者にもビザ免除が試験的に認められた。
中国の新華社通信によると、2024年に黒竜江省の黒河から国境を越えた人々は約85万人に達した。前年比227%に当たる。
医療ツーリズムが盛んであり、黒河訪問の目的は漢方やマッサージへも広がる。黒河市のある医院では、院内の掲示がすべて中ロ二言語で書かれている。ロシア人患者の急増を受け、2024年に国際外来が新設された。劉雪松院長は新華社通信の取材に対し、同年だけで約600人のロシア人を治療したと明かした。開設初年でこの数だ。
同記事によると、処方した漢方薬は300種を超え、なかにはロシアに薬を持ち帰る患者もいる。20歳のロシア人留学生のメフディエワ・ハリダ氏は、友人に勧められて初めてマッサージを受けたという。新華社通信の取材に、「肩と首の痛みが和らいだ」と語った。同行のリーリャ氏は、「ロシアには中医学に触れる機会がほとんどない。新鮮な体験だ」と話す。
また、ロシアのセルゲイ氏は、歯科治療のためにチェリャビンスクからわざわざ訪れたと語る。
全長600メートルの「黒河愛輝国際夜市」にも足を運んだという彼の目に、蚕のサナギの炒め物が並ぶ屋台が広がる。「夜市が有名だと聞いて来てみた。ここのものは全部好きだ」とグローバル・タイムズの取材に語った。
セルゲイ氏のような訪問客は、もはや珍しくない。同じ夜市を訪れたイリャ氏は、ウラジオストクからもう5度目の訪問というリピーターだ。毎回、中国の品物を袋いっぱいに抱えて帰るという。
■深刻化するロシアの中国依存
ウクライナ侵攻直前の2022年2月に両国が掲げた「無制限」のパートナーシップ。だがその後の変容は、米NBCニュース部門のNBCニュースが伝えるとおり、ほぼ中国側に有利な形で進んでいる。
中国の税関統計によると、2022年の中国とロシアの二国間貿易額は、前年比約30%増。ロシアは年初わずか2カ月で、中国にとって最大の石油供給国になった。
西側制裁でドル決済網を断たれたロシアは、人民元に頼るほかなかった。ブルームバーグのデータによれば、モスクワ証券取引所で最も取引される通貨は、いまや米ドルではなく人民元だという。アップルやサムスンがロシアでの事業を縮小すると、小米(シャオミ)などの中国メーカーがすかさずその需要を奪うようにしてシェアを伸ばした。いまやロシアで販売されるスマートフォンの70%超を中国勢が占める。
もっとも、貿易総額が急伸したとはいえ、対等な関係とはほど遠い。ワシントン・ポストは侵攻から間もない2022年6月、ピーターソン国際経済研究所の調査を引き、中国からロシアへの輸出額が侵攻前の水準を大きく下回ったままだと報じた。総額を膨らませているのはロシアの石油や原材料であり、中国は自国製品をロシアに売り込むことには慎重だった。
習近平国家主席が中ロ貿易は新記録を達成するだろうと公約する一方、中国政府はロシア側の支援拡大要請をはねつけていたと、同紙は米中双方の当局者の話として伝えている。
ロシアは一次製品の石油を差し出し、代わりに人民元とスマートフォンを受け取る。「無制限」を謳った盟約の裏で、ロシアは限りなく一方的に中国に依存している。
■川底に眠る5000人の無念
アムール川の水底には、現在両国の表面に流れる友好ムードとはまた異なる、洗い流せない記憶が沈んでいる。
1900年、清朝末期の排外運動「義和団の乱」が中国を揺るがすさなか、ロシア当局はブラゴヴェシチェンスク市内の中国人を内通者と疑い、追放を命じた。
その凄惨な経緯を伝えるブリリアント・マップスは、連行された人々は船を与えられぬまま渡河を強いられた、と述べる。拒んだ者は銃殺処分となり、残りの大半は溺死した。犠牲者は、中国側の記録によると約5000人にのぼる。
「川は血に染まった」と、ワシントン・ポストの取材に黒河の住民、リウ氏は語った。
黒河郊外の愛輝歴史陳列館に赴けば、虐殺の記憶とともに、さらに古い傷の証が展示保存されている。1858年のアイグン条約でアムール川以北をロシアに割譲させられた、屈辱の歴史だ。
■「現代のロシアに責任はない」
愛輝歴史陳列館に孫を2度連れてきたというワン氏は、孫たちに「国の屈辱を忘れるな」と言い聞かせる。「国には強い国防が必要だ。そうでなければどうなるか。鉄条網を切って農民を川に突き落としたではないか」とも語った。
川の両岸には、それぞれの傷を刻んだ記念碑が残る。だが、それを過去のものとして語ろうとする声もある。ソ連兵としてこの地で従軍していたボリス・ベロボロドフ氏はアイリッシュ・タイムズの取材で、この歴史を「悲劇であり、痛みを伴う」と認めた。
その上で、「現代のロシアに責任はないことは誰もが理解している」と続け、こう言い切った。「中国側の公式な立場は『平和・友好・協力』であり、人々も本当にそう感じている」。
もっとも、実態はそこまで美しくはない。両国はいまも正式な同盟を結んでいない。その関係は、ワシントン・ポストが伝えるように、「便宜的な婚姻」とさえ評されてきた。両岸には記念碑と博物館が暗黒の時代を現在に伝えており、川底には5000人の命が沈む。長き不和の時代に比べ、「平和・友好・協力」の合言葉はまだ新しい。
■「張りぼて」の間で揺れるゴンドラ
いま、アムール川の上空70メートル、ビルで言えば高さ20階分に相当する位置に、新たな道が架かろうとしている。ロシアと中国を結ぶ「世界初の越境ロープウェイ」だ。
ブラゴヴェシチェンスクから対岸の黒河まで、全長976メートル。年間最大250万人の利用を見込む。2015年の中ロ政府間協定に基づき建設が進められ、正式な運用開始は今年春以降の見通しだと、ロシア独立系通信社のインターファクスがロシア運輸省の発表として報じていた。ただし今年3月になって、寒波の影響による工事の遅れをロシア政府系全国紙のイズベスチヤが報じている。
かつて対岸を張りぼての「ポチョムキン村」と嘲った国が、歯を治しに川を渡り、スマートフォンを求めて国境を越えている。子供たちに中国語を学ばせ、交易商は収入を頼り、ドル決済網から切り離された通貨の安定までをも対岸に委ねるようになった。
橋ひとつ架けることを長く拒んできたその国が、いまは空中にロープウェイの回廊が架かるのを止めようとはしない。ポチョムキン村と嘲笑った「張りぼて」のフレーズは、はたしてどちらの岸を指していたのか。
順調に進めば、まもなくロープウェイのゴンドラがアムール川の上空を静かに行き交い始める。

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青葉 やまと(あおば・やまと)

フリーライター・翻訳者

1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
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