※本稿は、藤野智哉『「ちゃんとしなきゃ」が止まらないあなたに贈る 頑張れない日の休み方レッスン』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。
■「無添加」「オーガニック」の功罪
私たちの暮らしの中で、食事は非常に大きな位置を占めています。朝・昼・晩の3食を規則正しくとることは、健康を維持する上での基本とされています。忙しい日に朝食を抜いてしまうと後ろめたいのは、三食をとることが大切だと思っているからでしょう。
確かに、一定のリズムで栄養をとることは、体内のバランスを整え、生活のリズムを安定させるという意味では、非常に有効な習慣です。
ただ、1日3回という回数もそうですが、食事はこうすべきである、という思い込みが私たちを強く支配しているような気がします。
食事は3食きちんととるべきに始まり、栄養バランスに気をつけ、できれば添加物は避ける、なんて考え方が過剰になったとき、私たちの心は負担を感じます。そして、食べること自体がストレスとなり、かえって心身を疲弊させてしまうことすらあるのです。
現代社会においては、「何を食べるか」に対するこだわりが、かつてないほど強まっています。
「無添加」「オーガニック」といった言葉はスーパーマーケットに溢れています。
グルテンフリーもそうですね。
「この食品は体に悪い」「この成分は絶対にとってはいけない」といった断定的な情報に翻弄されてしまう。同時に周囲にも同じ価値観を求める人もいます。
実はその背景には、「良い行いをすれば報われる」という「公正世界仮説」と呼ばれる考え方が関係しているような気がします。
■食事へのこだわりを手放す
これは、「良い行いをすれば良いことが起こり、悪い行いをすれば悪いことが起こる」と信じる傾向のことです。つまり、「努力して正しい食事をすれば、健康になれる。逆に不健康になるのは悪いものを食べているからだ」という考えです。
何も悪いことをしていないのに、不健康になるなんて理不尽を受け入れがたい気持ちもわかります。
特に、アレルギーやアトピー、発達障害など原因が後天的な出来事に一概に特定できない症状を抱える方ほど、「きっと何かの食品が原因に違いない」と思い詰めてしまいがちです。
そして、わかりやすい身近にある食品や添加物などを悪者にしてしまうことがあります。未知は不安ですし理不尽は受け入れられない、その結果、嘘でもわかりやすい「答え」に辿り着いてしまうのです。
もちろん、体に良いものをとりたいという思いはとても大切なものです。
本来味わって楽しむはずの食事なのに、「これは体に悪いのでは?」あるいは「体重が増えるのでは?」という思いが常につきまとう。
さらに、朝食を抜いてしまったり、お昼や夜に食べすぎてしまったり、間食してしまった自分を責めたりします。
これは自分の体型に意識が向いている方ほど、このようなストレスを抱えがちです。
だから、たまには食事を休んでもいいのでは、と私は思います。たまには3食食べなくてもいい。たまには食べすぎても心配しなくていい。
苦手な野菜をとらない日があってもいい。そんなゆるさも大切です。休養には食事がもちろん大切ですが、過度に気にすることは逆効果になることもあるのです。
「今日は好きなものを食べよう」。食事を気楽に考えて、頑張りを休むことが大切です。
食事は健康のためだけでなく、楽しむためのもの。
完璧を目指さず、ゆるさを持つことが大切。
■「自分とは何者か」を言葉にするのは難しい
私たちは日常の中で、いくつもの「顔」を使い分けています。
社会人としてのまじめな顔、母親としてのやさしい顔、上司としての厳格な顔、友人としての安心した顔、同僚としての頼り甲斐のある顔。
私たちは日々、多くの役割を演じて、しかも、それらを演じているという意識さえありません。
気がつけば、周囲の期待に応えるためにさまざまな顔を使っているうちに、本当の自分がどこにいるかわからなくなってしまいます。
そもそも、私たちは「自分とは何者か」を説明するのが苦手です。何が好きで、幸せを感じ、求めているのか。それを言葉にできる人は案外少ないのです。しかし、自分をきちんと知り、認めることはとても大切です。
「人から褒められると嬉しい」
「お金が好き」
「仕事も意外と好き」
こうやって分析すると、いかに欲張りかがわかります。
ただ、そうやって自分の思うところだけを求めて、自由奔放に生きることは難しいでしょう。
■笑顔にも休暇をあげる
家庭においては、母親や父親という役割が重くのしかかることがあります。
「子供が生きがい」と語る人がいます。子供の前で笑顔を見せることは素晴らしいことですが、その笑顔が無理をして作られたものなら、いずれ親も子も、心が疲れてしまうでしょう。
親である以前にひとりの人間としての自分がいるはずで、もしかしたら親の顔以外も大事にすることが、長い人生においては必要なのかもしれません。
人間にはさまざまな役割があり、それをすべて放棄することはできません。仕事における役割、家族としての役割、友人関係の中での役割。これらは社会で生きていく上で避けられないものです。
例えば私たち医師は、患者さんの前で弱みを見せられないのは当然かもしれません。しかし、白衣を着ていない時間まで医師でい続ける必要はないでしょう。
看護師さんをよく「白衣の天使」と呼ぶことがありますが、白衣を着ているときに求められる「優しさ」や「安心感」は職業上の役割でしかありません。それを24時間続けるのは人間として無理ですし、もしそうなら、それは人間ではなく本物の天使でしょう。
白衣を脱げば、ただのひとりの人間に戻っていいはずですよね。同じように、私たちの笑顔も「役割の一部」であることが多いはずです。
職場での愛想笑い、友人関係を円滑にするための笑顔。これらはやさしさから始まったもので、決して悪いものではありませんが、笑顔を「休ませる時間」を取らなければ、やがて心が疲れ切ってしまう。
「笑顔に休暇をあげる」という考え方はどうでしょう。
■自分だけの表情でいられる時間を持つ
無理をして笑うことをやめ、誰にも会わず、何も話さず、ぼんやりと過ごす時間があってもいいでしょう。
常に笑顔でいる必要はありません。無理にポジティブを装うよりも、今の自分の感情をそのまま受け入れていれば、心は自然に回復していくはずです。
家に帰ったら仕事の顔を脱ぎ、母や父という顔をオフするためにひとりで銭湯に行く、映画を見に行く。誰に気を使うこともなく、自分だけの表情でいられる時間を持つ。
それが心を整え、翌日また自然な笑顔を生む力になるのです。笑顔をお休みして心も体も回復したとき、あなたの本当の笑顔が見られるのではないでしょうか。
あなたがあなたを一番に愛してあげましょう!
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藤野 智哉(ふじの・ともや)
精神科医
産業医。公認心理師。1991年愛知県生まれ。秋田大学医学部卒業。幼少期に罹患した川崎病が原因で、心臓に冠動脈瘤という障害が残り、現在も治療を続ける。学生時代から激しい運動を制限されるなどの葛藤と闘うなかで、医者の道を志す。精神鑑定などの司法精神医学分野にも興味を持ち、現在は精神神経科勤務のかたわら、医療刑務所の医師としても勤務。障害とともに生きることで学んできた考え方と、精神科医としての知見を発信しており、X(旧ツイッター)フォロワー9万人。「世界一受けたい授業」や「ノンストップサミットコーナー」などメディアへの出演も多数。著書に3.5万部突破の『「誰かのため」に生きすぎない』(ディスカヴァー)『自分を幸せにする「いい加減」の処方せん』(ワニブックス)、『精神科医が教える 生きるのがラクになる脱力レッスン』(三笠書房)などがある。
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(精神科医 藤野 智哉)

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