「振られた仕事にノーと言えない」。そんな悩みを抱える人は少なくない。
解決策はあるのか。公認心理師の植原亮太さんは「たんに性格や環境の問題と片づけてはいけない。相手に合わせることが“生き方の癖”になっている人がいる。多くの場合、解決のカギは幼少期にある」という――。
■職場の困った人間関係
職場の嫌な上司のことを考えなくてもよかったゴールデンウィークは束の間、また再び人間関係で煩わされる毎日がやってきたという人もいるかもしれません。
この時期になるとメディアでは「五月病」についての記事が多くなりますが、これは正式な疾患名ではなく現象面を指した俗称です。しかし、この大型連休を境にして悩みが深まるのは間違いないようです。
筆者は普段、小さなカウンセリングルームを運営しています。ここにいらっしゃる方々の多くは、愛着の問題を抱えている人たちです。それがどういうことなのかを、本稿では職場の上司・部下との関係になぞって考えていきます。
また、本稿でとりあげる事例は、筆者が経験した実際のエピソードを基にしています。ただし、プライバシーの観点から、個人が特定されないよう、情報の一部を改変している点はご了承ください。

■「振られた仕事を断れない」
さて、いきなりですが質問です。
仕事で手いっぱいのときに、上司から振られた仕事をあなたは断ることができますか?
もし「NO」だとすれば、これまでの人間関係に苦労してきたのかもしれません。
「断ることができない」と話すI子さん(29歳・女性)の語りから、愛着の問題と人間関係の苦しみとを見ていきます。
彼女が筆者のカウンセリングルームに訪れたきっかけは、こころの不調に陥ってしまったことでした。
「ゴールデンウィーク中にいろいろと考えてしまって、これはもう自分ではどうしようもできないので、専門家の力を借りようと思って来ました。
ネットサーフィンしていたら、五月病が理由での転職は結構あるみたいです。ただ、私の場合は、転職しても同じだと思う。
いままで上司との関係がつらいと思っていたんですけど、一番嫌なのは、自分の意思をその上司にはっきりと言えないこと。言えば、聞いてくれる人ではあると思う。私が変わらないと、転職しても無意味だと感じたんです」
と、初回に話したのでした。
新しい上司が異動してきてから仕事をこれまで以上に振られるようになったそうです。
それをこなすために定時前の朝7時ごろには出勤し、退勤は23時。
時には終電を逃してタクシーで帰宅することもしばしば。
ここのところは帰宅しても疲れ切っていて、食事は摂れずベッドに倒れ込み、翌朝になってやっとの思いで起き上がりシャワーを浴びて出ていくとのことです。毎日睡眠時間は4時間程度で、最近は少し痩せてきたかもしれないとも話します。
さらに、
「定時を過ぎてからのほうが仕事をできるんです。上司の席が目の前なのですが、なんか見られているようで気になってしまって、仕事ができなくて。それに、とてもおしゃべりな人なので週末のゴルフのスコアが良かったとか、近ごろの若者は簡単に仕事辞めるとか、そういうのを聞き続けないといけないので仕事に集中できなくて」
この50代男性上司のことが苦手だと、やんわりとにおわせたのでした。
■“愛着スタイル”は幼少期から変わらない
「そんなの無視すればいいのでは?」と感じる読者もいるかもしれません。
しかし愛着の問題が重たいと、そうはできません。
相手に合わせてしまうという生き方の癖が出来上がってしまっているのが理由で、幼少期からの親子関係の質が少なからず影響を与えているのは確かだからです。
愛着に関する理論はJ・ボウルビイ(1907-1990)が有名です。彼は2歳頃までに獲得した愛着スタイル(人間関係の雛形)は、一生涯にわたって大きく変わることはないと説きました。
家族問題や虐待問題に端を発する心の病やそれに類する悩みに接してきた、これまでの筆者の臨床経験からですが、人間関係に悩んでいる人は親との間で愛着の問題を抱えていることが多いようです。
甘えられなかった、褒められなかった、頼ることができなかった、などです。
親から気持ちを汲んでもらう経験が乏しいと、自分の感情がこれで正しいのかの自信が育ちません。なので、社会の中での自己表現も上手に育たず、相手に従うだけの関係になってしまうか、あるいは従わせるだけの関係になってしまうかの、どちらにしてもやや一方的な関係になりやすくなります。
I子さんはまさしく前者で「相手に従うだけの関係」になってしまって、上司の態度に合わせて忍従しているのでしょう。
■母親から受けた“心の傷”
後に明らかになるのですが、I子さんは母親から虐待を受けていました。感情のコントロールが利かない母親に、首を絞められて殺されそうになったことがあったのです。
それも怖かったのですが、彼女がもっと怖かったのは、その母親が数分後にはケロッとして、テレビを観ながら笑っていることだと話しました。
母親に意見を言うと否定されるか、怒られるだけ。一番身近な人間が「怖い人」だったので、相手に迎合する生き方が形成されてしまったのです。
こうした幼少期の心の傷が、大人になったときの対人関係の悩みとして現れることがあります。逆を言うと、大人になってからの対人関係の悩みは、こうした幼少期からの心の傷にまで遡る必要があるとも考えられるのです。
■人生で初めての「反撃」ができた
カウンセリングを経て、彼女は相手の顔色ばかり気にしてご機嫌を取り続ける生き方を理解していきました。
すると「バカバカしくなって」しまいました。
「いつも接待している。なんの見返りもないのに。すっごく損な生き方!」と、カウンセリング中に自分への怒りを露わにしたのです。もしかしたら、これは人生への怒りかもしれません。母親の顔色を気にして、ずっと機嫌を取って、怯えて、何かにつけて迎合してきた生き方に対してです。
怒りは破壊するエネルギーを持ちます。こうして古い生き方が壊れます。すると抱えていた愛着の問題も効力を失ってしまいます。
ある日のことです。いつもの通りに話し続け、そのついでに適当な仕事を振ってくる上司に彼女は、
「ちょっと、いまの仕事を終わらせてからでもいいですか!」
と、言えました。
上司は「あ、そっか。
ご、ごめん」と小声で言い少々の間、おとなしくなったそうです。人生で初めての反撃です。不思議なことに、彼女がこうやって自己主張できることがわかると、上司はもう前のように長々と話しかけ続けることはなくなったのでした。仕事を振る際には、相談してくるようになったとのことです(当たり前のことなのですが)。
それからまた後日、彼女は噛み締めるように言いました。
「いままで、私は人から搾取されていると感じることがありました。だけど、相手を図に乗せているのは自分だと気づきました。何をやってんだ私は! って、猛烈に腹が立ちました。不思議と、相手にではなく自分に腹が立ちました」
愛着スタイルという人間関係の雛形は、ある意味では置かれた環境を生き抜くため必要に迫られておのずと身に付けてきたものです。だから結局は、自分に腹が立つのでしょう。
これも筆者の経験ですが、愛着に関する問題の解決は、こうした経過が共通しているように感じます。
■年下としか関われない
ところで、この上司も同様に愛着の問題を抱えていることにお気づきだったでしょうか。

I子さんと出方こそ違いますが、根っこは同じです。
親にかまってもらう体験が乏しく、愛着欲求が枯渇したまま年齢を重ねてきたのでしょう。すると、大人になってから立場の下の「従ってくれそうな(構ってくれそうな)」人を捕まえて、自分のそれを満たそうとしてしまうことがあります。これは職場に限らず、友人関係などにも現れます。いつも年下の人としか関わっていない(関われない)などです。
たいてい、年長者からのハラスメント問題はこうして起こります。
従わせる側と従ってしまう側とのペアリングによるのですが、従わせている側は自分がそうさせていることに気づきにくいのが難しいところです。自分が求めている人間関係にピタリとはまり込んでしまっているので、違和感を感じられないのが理由です。
どこかの首長がパワハラによって辞職に追い込まれた際に「激励のつもりだった」「親しみを込めたつもりだった」といった釈明をよく耳にしませんか。
枯渇した愛着欲求を充足したい気持ちは驚くほど強く、際限なく求め続けてしまうものなのです。この求めに応じてくれそうな人が現れたら、容易く手放すことはできません。
何が言いたいのかというと、愛着の問題というのは私たちの思っている以上に根深いのです。いささか不謹慎ですが、この問題を理解できるようになってくると、ハラスメントの構造も見えてきて、実に興味深いものがあります。
■人間関係には決まった「ペアリング」がある
人間関係には決まった「ペアリング」があります。あるタイプの人たちが交わると、双方、または片方に苦しみが現れるという組み合わせです。
ここでは、従ってしまうI子さんと、年少者を従わせがちな上司との関係を考えてきました。それはまるで磁石の陰極と陽極のようで、互いを引きつけ合ったり、反発し合ったりします。しかしそこに電流(この事例の場合は「自分への怒り」)が流れると反応方向が変わります。I子さんが自己主張できたことによって、上司との関係が変化したように。
筆者のカウンセリングルームには、仕事に関する悩みで相談に訪れる人が多くいます。その方々が異口同音に述べるのは「転職してもこのままの自分なら、どこへ行っても同じだと思う」です。
背景には、能力や性格だけでは説明できない“愛着スタイル”が潜んでいることがあります。職場の悩みは、時に「いまの問題」である以上に「これまでの人生」を見直す入り口にもなるのです。

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植原 亮太(うえはら・りょうた)

公認心理師、精神保健福祉士

1986年生まれ。汐見カウンセリングオフィス(東京都練馬区)所長。大内病院(東京都足立区・精神科)に入職し、うつ病や依存症などの治療に携わった後、教育委員会や福祉事務所などで公的事業に従事。現在は東京都スクールカウンセラーも務めている。専門領域は児童虐待や家族問題など。著書に第18回・開高健ノンフィクション賞の最終候補作になった『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)がある。

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(公認心理師、精神保健福祉士 植原 亮太)
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