毎日へとへとになるまで働いているのに、幸せを感じられないのはなぜか。芥川賞作家の田中慎弥さんは「税金や外国人、デジタル化や政権が攻撃対象になるが、そんな単純な話ではないだろう」という。
筑波大学教授でメディアアーティストの落合陽一さんとの対談をお届けする――。
※本稿は、田中慎弥・落合陽一『堕落論 住めば都のディストピア』(徳間書店)の一部を再編集したものです。
■がんばっても報われない時代をどう生きるか
【落合】田中さんは著書『孤独に生きよ』に、「現代人は正体のない者の奴隷になっている」と書かれています。正体のない者というのはどんなものなのですか。
【田中】敵を見定めて戦っていけるのであれば、良し悪しはともかくやることははっきりするのですが、現代人はそういうわかりやすい世界には生きていません。自分が生きていくための仕事でヘトヘトになって、場合によっては精神的なバランスを崩し、ときにはみずから命を絶ってしまうことまであります。
生きるための仕事で、逆に自分が蝕まれていくというのは、どういうことなのか。昔なら「殿様が悪い」と言えたかもしれませんが、いまは上司が悪いと言いたくても、その上司もだれかの部下です。システムの歯車にすぎません。「資本家が搾取している」とは言えるかもしれませんが、いったいみんな何に支配されているのか。正体が見えない相手に動かされているとしか思えないのです。
それに世の中は、「がんばったぶんだけ、ちゃんとうまくいく」ようにはできていないみたいです。
特にここ二、三十年は、かつての高度経済成長とされた時代とは異なり、「がんばったら幸せになれる」わけではない。そのことにだれもが気づいている。そんな時代をどう生きていくか。自分がうまくいかないのは、自分ひとりの責任ではない気がするが、じゃあだれに不満をぶつければいいのか。それもわからない。
■「敵は○○だ」という単純な話ではない
【田中】そうした状況に便乗して、「あそこに悪い奴がいる、そいつのせいだ」と一方的に名指しして不満や不足を利用する人たちが、政治・経済・社会のあらゆるところで出没するようになっています。
税金のせい、外国人のせい、デジタル化のせい、いまの政権のせい……。おそらくそんな単純な話ではありませんし、敵を特定して罪を被せれば済むわけでもない。自分の人生がうまくいっていようがうまくいってなかろうが、自分のいまの在り方が、どこから来てどうなっていくのか、だれも説明がつかなくなっています。空気のような「システム」や「アルゴリズム」に支配されていて、実体がないから反逆もできない。
自分の人生がなかなかうまくいかないとき、原因が自分の努力で解決できるようなところにあればいいけれど、いまは社会のシステム上の問題と絡んでいることも多い。自責ばかりせず、「あなたは気がついていないけれど、こういうシステムの中にいるからあなたは苦労しているんですよ」ということを言ってもらえたら、ホッとするんじゃないでしょうか。
そうやってホッとすることが正しいのかどうかもわからないのですが。
■自由なはずの小説家にも「足枷」は襲ってくる
【田中】小説を書いている身であれば、正体のない者の支配から逃れられるのかどうか。無条件に逃れられるということはありません。自由業であるように見えて、さまざまな制約や足枷は、やはり襲ってくるものです。
たとえば、このところ小説を書いていると、政治的に正しいものでなければ許されないというような空気を感じます。フェミニズム、多様性、LGBTQ……、私は男の作家で小説を書いていますが、極端に言うと「男の作家である自分が小説の中に女性を勝手に書いていいかどうか」というところから、すでに迷いが生じます。書いたっていいに違いありませんが、かといって決して無分別ではいられません。
時代や世の中から、「あなたはどっちの立場ですか。いまは世の中のみんながこっちを向いていますよ。あなたはいったいどっちなのですか」と常に問われている気分です。一編を書き終えたあとも、「さて、この小説がこれから文芸誌に掲載されたり単行本になったとき、読み方によって傷つく人はいないだろうか」などと考えざるを得ません。
■清潔で無菌状態の物語ばかりでいいのか
作家になったころは、そこまで考えもせず、ただ書きたいように書いていました。
いまは暴力に関しても性的なことに関しても、きちんと立ち止まって考えなくてはならない。それはそれでいいことですが、じゃあ暴力の場面を一切書かないでおこうとなるのは違うと思います。性的なことは書きづらいなと、女性を書くとき二の足を踏む気持ちがどこかにあるのは怖いなと感じます。
清潔で無菌状態の物語ばかりになれば、文学の持つ毒や、救済の力も弱まってしまうのではないか。そんな懸念を抱いています。先ごろ韓国の女性作家ハン・ガンさんがノーベル文学賞を受賞したり、日本の作家でも世界的に評価されているのは女性が圧倒的に多い。それはすばらしいことなのですが、そうした歓迎すべき時代の流れが、今後思わぬ新たな制約を生むことにつながらないかどうかは、注視しておかなければいけないと思います。
■純文学作家が考えていること
【田中】また、職業として作家をやっているからには、書いたものが売れる・売れないという問題も常に立ちはだかります。自分の小説が広く読まれればそれに越したことはない。それはすなわち売れる小説を書けばいいということなのですが、売れることを優先するあまり自分の意に沿わないものを書くのでは本末転倒です。手にとりやすくて読みやすく、おもしろくてタメにもなるような小説がウケるのはわかりますが、そういうものを書けるのか、または書きたいのかは別の話です。バランスを見ながら進めるよりほかありません。

私がやっている純文学は、物語性をあまり取り入れなくても成立するジャンルです。だからといって物語性を排除する必要はないし、私としては物語性がしっかりある純文学のほうがいいだろうと思っています。そのうえでエンターテインメント要素の強いものを書かねばならないといつも思っています。
おそらく多くの純文学作家もそう考えていて、たとえば平野啓一郎さんとか川上未映子さんなどが、物語性やいまの時代を代表するようなテーマ、さらにはエンターテインメント性を強く意識して作品を書くようになってきていると思います。
■ファストな流行、スロウな文学
【落合】純文学のいいところは、どの断片で切っても味わい深く感じられるところです。流行っているエンターテインメントの多くはファストですが、文学はスロウです。スロウな文学は、物語をゆっくりと読んでいけばある程度の読了感が得られるし、吟味しながらでもラフにでも、好みに合わせた多様な読み方ができます。だれでも、何度でも読める作品となるには、作品内に読み応えや味わいがたっぷり含まれていないといけません。
人が文学を読まなくなり、読み慣れている人が減ると、文学の味わい方、噛み締め方もなかなか伝わりづらくなっていってしまいます。それは端的に言ってもったいないことです。素早く消費したりシェアできるものが増える一方です。この流れはまだまだ加速していくでしょう。
そうした時代の流れには抗えないにしても、そのなかで?み応えのあるものが出てくるのを期待したいですし、味わいのあるものをつくっていきたいと強く思います。
そのときに、物語というものをどう捉えるかが問題になりそうです。物語なしに人は生きられるのかどうか、最近そのあたりに興味があります。
■瞬間的な反応を繰り返すだけの生
【田中】物語は昔からあったし、いつの時代にもあって、すばらしいものとして大事にされてきました。いまももちろん物語は巷に溢れているように一見思えます。ただ、すべてがぶつ切りになりながら、ものすごい速度で流されていく時代です。
物語にどっぷり浸かるということが、なくなってきているのではないかという気はします。かつては政治的な物語や戦争をめぐる物語など、大きい物語の中にみんなが有無を言わさず放り込まれていました。そういうことは減って、大きい物語なんてなくても生きていけるようになってきたのではないでしょうか。
たとえば政治の分野でも、本来なら大きい物語を紡ぐべき為政者の語る物語の内容が、今日と三日後で違っていたりするのが現代です。それは「大きい物語」「小さい物語」という以前の、刹那的反応でしかありません。私たちはもう瞬間的な反応をすることを繰り返して生きていくしかなくなっているのかもしれない。
継続して何かを考え続け、その考えを踏まえて実践しながら進んでいくという生き方は、選びづらくなってきています。それがいいことなのかどうか。私は息が詰まるし、生きづらいなと思うばかりですが、皆さんはどうなのでしょう。

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田中 慎弥(たなか・しんや)

作家

1972年、山口県生まれ。2005年に「冷たい水の羊」で新潮新人賞を受賞し、作家デュー。08年、「蛹」で川端康成文学賞、『切れた鎖』で三島由紀夫賞を受賞。12年、『共喰い』で芥川龍之介賞を受賞。19年、『ひよこ太陽』で泉鏡花文学賞を受賞。『燃える家』『宰相A』『流れる島と海の怪物』『死神』など著書多数。

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落合 陽一(おちあい・よういち)

筑波大学教授、メディアアーティスト

筑波大学でメディア芸術を学び、2015年東京大学大学院学際情報学府にて博士(学際情報学)取得。現在、メディアアーティスト・筑波大学デジタルネイチャー開発研究センター長/図書館情報メディア系教授・ピクシーダストテクノロジーズ(株)CEO。応用物理、計算機科学を専門とし、研究論文は難関国際会議Siggraphなどに複数採択される。令和5年度科学技術分野の文部科学大臣表彰、若手科学者賞を受賞。内閣府、厚労省、経産省の委員、2025年大阪・関西万博のプロデューサーとして活躍中。計算機と自然の融合を目指すデジタルネイチャー(計算機自然)を提唱し、コンピュータと非コンピュータリソースが親和することで再構築される新しい自然環境の実現や社会実装に向けた技術開発などに貢献することを目指す。

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(作家 田中 慎弥、筑波大学教授、メディアアーティスト 落合 陽一)
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