5月末にシンガポールで開かれたアジア安全保障会議(シャングリラ会合)で、小泉進次郎防衛大臣は中国からの「日本は新型軍国主義」という批判に反論した。防衛大学校共同研究員の伊藤隆太さんは「中国が外交的に敗北した大きな要因は、政府高官が不在だったことだ。
ただ、シャングリラ会合で明確になったことは、中国にとって敗北以上に深刻な事態だ」という――。
■日中の勝敗が明確になった「シャングリラ会合」
シンガポールで5月29日から31日にかけて開かれたアジア安全保障会議(シャングリラ会合)で、奇妙な主役になったのは中国の大演説ではなく、中国高官の不在だった。小泉進次郎防衛相は、中国が日本の防衛力強化を「新型軍国主義」と批判することに反論し、ヘグセス米国防長官には公開の場で米国の地域関与を問うた。
防衛省が公開した出席概要によれば、小泉氏は5月31日の第5セッションで演説し、5月30日にはヘグセス氏のスピーチ後に質問している。
構図はわかりやすい。日本の外交は成功し、中国の外交は失敗した。中国の振る舞いは「赤っ恥」「外交的敗北」と評されてもおかしくない。しかし、中国にとっての本当の問題は、この一度の失敗にとどまらないのではないか。露呈したのは、単なる戦術ミスでも、一度きりの失点ではなく、もっと根深い構造的な問題だ。
中国の軍事力と外交的影響力は依然として大きい。経済規模も、安全保障上の存在感も、衰えてはいない。だが、大国として扱われたい中国が、大国としての説明責任を果たしきれなかった印象は残った。
テレビで切り取られやすいのは、小泉氏の英語や中国側との応酬であり、そこだけを見れば「日本が中国に勝った」という単純な物語にもなる。
だが、この会議の本当の読みどころは、勝敗の二択ではないところにある。
■「高官の不在」で疑念が深まった
もちろん、中国側代表は会場におり、発言もしている。だが、国防相級が正面に立たず、各国閣僚とのやり取りを十分に積み上げなかったことで、政治的には空白が生まれた。中国をめぐる疑念が会場に濃く残り、日本や米国、豪州、フィリピンなどがその疑念をそれぞれの言葉で語ったのだ。その空白に、小泉氏の言葉が鋭く入り込んだのである。
国際会議では、発言の巧拙だけでなく、議論のポジションの取り方が勝敗を分ける。相手がいない場で相手を批判すれば一方的に見えるが、相手が自ら高位の説明者を置かなければ、その批判は「不在によって裏づけられた疑念」に変わる。今回、日本の発言が強く響いた理由は、まさにそこにあった。
そして会場に残されたのは、中国の一度きりの敗北ではなく、それを超えるはるかに大きな問題の輪郭である。
■欠席は演説よりも雄弁に語る
シャングリラ会合は、英国のシンクタンク、国際戦略研究所(IISS)が主催するインド太平洋の代表的な安全保障会議である。各国の防衛相、軍高官、専門家が集まるこの会議では、何を語るかだけでなく、誰が来るか、誰が来ないかも政治的メッセージになる。

この会議の本質は、合意文書を作ることよりも、各国が何を恐れ、どの国と組み、どの相手に警戒しているのかを可視化する点にある。首脳会談ほど儀礼的ではなく、通常の記者会見よりも専門的だ。防衛相級が登壇して厳しい質問を受けること自体が、地域に向けた安心供与になる。軍事大国にとって、出席は単なる参加ではなく「説明する意思」の表示なのである。
5月28日に配信されたロイターの記事によれば、中国の董軍国防相は同会議を2年連続で欠席し、中国人民解放軍(PLA)系の研究機関や海軍関係者らが代表として送られた。さらに5月30日のロイター記事は、会場で「中国はどこにいるのか」という問いが浮かび、中国政府の代表団は例年より低調に見られたと報じている。
ただ、中国が完全に姿を消したわけではない。シンガポールのCNAが5月31日に配信した記事によれば、中国側代表団は中国人民解放軍国防大学の孟祥青少将らが率い、日本や南シナ海をめぐる議論でも中国の存在は大きかった。問題は、高位の国防当局者が会議の中心舞台で各国の懸念を正面から受け止める姿を見せなかったことだ。欠席は、ときに演説より雄弁である。
■信頼を積み上げる機会を失った
中国にとって最も不利だったのは、会議の空間が「中国について語る国々」によって埋められたことだった。南シナ海、台湾周辺、サイバー、宇宙、情報操作、経済的威圧。
中国の行動に対する懸念は多岐にわたる。ここで中国政府が高位の責任者を出し、自国の論理を展開していれば、議論はより複雑になったはずだ。
5月29日に配信されたロイターの記事によれば、豪州のマールズ国防相は中国の低調な参加を「機会損失」と見なし、中国政府には戦略的安心供与が必要だと指摘した。これは、軍事力を増やす国に対し、その目的、限界、危機管理の仕組みを説明せよと求める声である。
中国の立場から見れば、欧米主導の会議に過度な重みを置かないという判断もあり得る。中国には中国の土俵があり、香山フォーラムのような自国主導の場で安全保障観を発信する選択もある。だが、国際政治では「どこで語るか」が中身と同じくらい重要になる。自国主導の会場では雄弁に発信する一方で、懐疑的な相手が集まる場では高官を出さないとなれば、周辺国はその落差を見逃さない。
大国の外交力は、味方を集めた会場で拍手を得ることでは測れない。疑念を抱く相手の前で、厳しい質問を受けても論理を崩さずに説明できるかで測られる。今回のシャングリラ会合で中国が失ったのは、まさにこの信頼を積み上げる機会だった。
■「小泉防衛相の反論」が突いた中国の急所
中国がせっかくの機会を逃した一方で、日本とっては国際社会に存在感をアピールする絶好の機会となった。
その最大の要因は、間違いなく小泉氏の演説だ。
小泉氏の演説が効いたのは、中国批判の声量が大きかったからではない。議論の土俵を「日本は軍国主義化しているのか」から「どちらが透明性をもって説明しているのか」へ移したからである。防衛省が公開した演説全文で、小泉氏は地域秩序に必要なものとして「信頼、透明性、対話」を掲げ、日本の防衛力整備は高い透明性のもとで進めると説明した。
5月31日に配信されたロイター日本語版の記事によれば、小泉氏は、核兵器と戦略爆撃機を大量に保有する国が、そのいずれも持たない日本を「新型軍国主義」と呼ぶのはおかしい、という趣旨で反論した。核兵器と戦略爆撃機の対比部分では中国を直接名指しせず、軍事力の実態を会場に想起させる論法だった。
この反論は、日中における歴史問題にも目配せしている。日本にも、戦後の歩みを根拠に現在の防衛政策を説明し続ける責任がある。防衛費増額、反撃能力、装備移転の拡大は、地域の抑止に資する一方、説明を怠れば周辺国に警戒感を与える。小泉氏の強みは、日本自身の透明性を掲げたうえで、同じ基準を中国にも突き返したところにあった。
■「歴史問題」に持ち込ませなかった
ここで見落としてはならないのは、透明性という言葉が日本の自己正当化だけでなく、日本自身への制約にもなる点だ。説明を約束した国は、その後の政策変更についても説明を求められる。
小泉氏はその負担を引き受ける姿勢を見せたからこそ、中国にも同じ負担を求められた。
中国側が歴史問題を持ち出すたびに、日本は過去への反省と現在の防衛政策を丁寧に切り分ける必要がある。そこを怠れば、中国側の宣伝に隙を与える。しかし、小泉氏は「何を持たないか」「何を透明に説明するか」という現在の基準を持ち込んだ。歴史カードを否定するのではなく、現在の軍事的実態を同じテーブルに載せた点が、会場での説得力を生んだ。
もう一つの見せ場は、ヘグセス氏への質問だった。防衛省の5月30日の臨時記者会見記録によれば、小泉氏は、米国が西半球を重視し、アジア太平洋への関与が小さくなるのではないかとの不安があるため、米国の揺るぎない関与を各国に共有してもらう思いから質問したと説明している。
米海軍協会ニュース(USNI News)が5月30日に配信した記事も、小泉氏が、米国の関与は揺るがないと感じる一方、それを過小評価する国もあるとして、安心供与のメッセージを求めたと報じた。
■“日本主導”を明確にした「異例の質問」
日本の防衛相が公開の国際会議でヘグセス氏に問いを投げ、米国の関与を会場全体に答えさせた点で、これは異例だった。
この質問は、日本が地域の不安を言語化し、米国の関与を可視化する側に回ったことを示した。米政府公式サイトが公開したヘグセス氏の演説では、中国の歴史的な軍備増強への警戒と同時に、米中の安定的な関係を求める姿勢も示された。強硬一辺倒ではなく、米国の関与と地域側の主体性を同時に確認する場を作った点に、小泉氏の質問の価値がある。

従来の日本は、米国の抑止力に支えられる国として語られがちだった。今回の小泉氏は、その米国に対し、同盟国や周辺国が抱く不安を公開の場でぶつけた。これは同盟を揺さぶる質問ではなく、同盟を地域に見せる質問だった。中国が米国の関与低下を期待していたなら、日本のこの振る舞いは厄介だったはずだ。米国に答えさせることで、日米連携を会場全体の記憶に残したからである。
しかも、問いの相手を米国にしたことには計算があった。中国を直接問い詰めれば、会場は日中の応酬として消費されやすい。米国に関与を確認すれば、焦点は中国批判ではなく、地域秩序を誰が支えるのかという大きな議論に移る。小泉氏は日本の不安ではなく、周辺国が共有する不安を代弁した。そこに、単なるパフォーマンスを超えた外交的意味があった。
■事実上の「対中包囲網」
今回の会議で見えたのは、中国を意識した緩やかな牽制網が点ではなく面として浮かび上がった、ということだ。AP通信が6月1日に配信した記事によれば、小泉氏は「分断は抑止を弱め、結束は抑止を強める」と訴え、米国、欧州、同盟国・同志国の間に隙間が生じれば、それを好機と見る勢力が現れると警告した。
防衛省の演説全文では、自由で開かれたインド太平洋(FOIP)、日米豪印の協力枠組み(Quad)、東南アジア諸国連合(ASEAN)各国との防衛協力、米英豪の安全保障枠組み(AUKUS)などにも言及された。小泉氏は協力を「点ではなく線にし、線ではなく面にしていく」と述べている。中国にとって厄介なのは、これが米国の命令に各国が従う単純な構図ではないことだ。各国が自国の不安と利益に基づいて、装備、訓練、情報、産業基盤を少しずつ接続している。
防衛省の出席概要には、日豪ニュージーランド3カ国防衛相会談、日米防衛相会談、日英、日韓、日シンガポール、日フィリピンの会談が並ぶ。とりわけフィリピンとの間では、除籍後の「あぶくま」型護衛艦の移転をめぐる議論も示された。こうした会談の積み重ねは、派手な共同声明よりも実務的に効く。港、艦艇、訓練、補給、装備が少しずつつながれば、有事の抑止力は紙の約束より強くなる。
■「反論の機会」を得られなかった代償
中国から見れば、こうした連携は包囲に映るかもしれない。だが、周辺国から見れば、自国の選択肢を増やすための保険である。中国が安心感を与えられれば、連携の緊張度は下がる。逆に、威圧的な行動を重ね、説明を避けるほど、各国は日本や米国との協力に価値を見いだす。小泉氏の演説は、この因果関係を中国側に突きつけた。
軍事的勝敗で測れば、中国に敗北という言葉を貼るのは乱暴である。中国の軍事力は大きく、外交的影響力もなお強い。米中関係でも、ヘグセス氏は中国との対話や安定的関係に触れており、会議全体が単純な反中大会だったわけでもない。中国政府の立場から見れば、自国主導の場を重視し、欧米系の安全保障会議に過度な重みを置かないという判断もあり得る。
それでも、シャングリラ会合は周辺国が中国を見る鏡になった。6月2日に公開されたシンガポールのラジャラトナム国際研究院(RSIS)の論考は、董軍氏の欠席を、中国が地域安全保障に関する自らの見方を示す機会の損失と位置づけ、小泉氏の反論も中国の言説力にとって失点だったと論じている。
なぜこの一連の場面が、習近平指導部にとって痛い展開になったのか。答えは、中国が軍事力を誇示する一方、各国の疑念に向き合う最重要級の舞台では高位の説明者を欠いたからである。その空白を、日本が「透明性」と「対話」の言葉で埋めた。
ここに中国の大誤算がある。軍事力を誇示し、大国としての影響力を当然視しながら、国際社会の前で説明する場には十分に出てこない。これでは、周辺国の目には“大国ごっこ外交”と映りかねない。大国とは、味方の前で強く語る国ではなく、疑う相手の前でも説明し続けられる国のことだからだ。
■習近平が食らった“本当の痛手”
今回の中国は、批判されたから面子を失ったのではない。批判に対し、国防相級が正面から議論を引き受ける場面を作れなかったから面子を失ったのである。国際会議では、強い言葉で相手を非難すること以上に、「逃げていない」と見せることが重要になる。そこに小泉氏の反論と質問が重なったため、中国の不在はより大きく見えた。
中国側の反応も激しかった。テレビ朝日が6月3日に配信した記事によれば、中国外務省の林剣副報道局長は小泉氏の発言を「まったく根拠がなく、空虚で無力」と批判した。これに対し、防衛省の安居院公仁報道官は、事実に基づかない主張を繰り返しているとして反論し、立場の相違があるからこそ対話が必要だと強調した。
この応酬は、日中関係の緊張だけでなく、国際会議での「見え方」の重要性を示している。中国は日本の防衛力強化を歴史問題に結びつけて批判する。日本は、中国の軍拡と不透明性を問題にする。どちらの主張が周辺国に響くかは、強い言葉だけでは決まらない。誰が公開の場に出て、どこまで説明し、疑問に答えるかで決まる。
■「力任せの大国」でいられる時代は終わった
今回のシャングリラ会合で日本は存在感を示したが、とはいえ今後の課題は山積みだ。
防衛費増額、反撃能力、装備移転の拡大は、地域の抑止に資する一方、周辺国に警戒感を与える可能性もある。中国に透明性を求めるなら、日本自身も政策の目的、限界、歯止めを説明し続けなければならない。小泉氏の演説が一定の説得力を持ったのは、その説明責任を日本側にも引き受ける姿勢を見せたからである。
習近平指導部にとっての痛手は、中国が説明を求められる側に回り、その場に十分な高官を置かなかったこと自体が、周辺国に不透明性を印象づけた点にある。大国の余裕を見せつけたつもりが、反論の機会を失い、赤っ恥をかいたと言っても過言ではないだろう。
シャングリラ会合が示したのは、中国の終わりではなく、中国が力だけでは信頼を得られない時代に入ったという現実である。中国が今後も大国として振る舞うなら、次に必要なのは威圧ではなく、正面からの説明である。

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伊藤 隆太(いとう・りゅうた)

防衛大学校 共同研究員/戦略コンサルタント

防衛大学校共同研究員、NovaPillar Advisory LLC戦略コンサルタント、博士(法学)。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学大学院法学研究科後期博士課程修了。慶應義塾大学・広島大学助教、日本国際問題研究所研究員等を経て今に至る。Co-Chairs of the IPSA Research Committees (RC12)、APSA Committee of Best International Security Article等を歴任。単著論文はInternational Affairs誌に‘Hybrid Balancing as Classical Realist Statecraft’ (2022)、‘Hubris Balancing’ (2023)、International Relations誌に‘A Neoclassical Realist Model of Overconfidence and the Japan–Soviet Neutrality Pact in 1941’ (2023)、‘Outrage Balancing’ (2026)、単著研究書は『進化政治学と国際政治理論』(芙蓉書房出版、2020)、『進化政治学と戦争』(芙蓉書房出版、2021)、『進化政治学と平和』(芙蓉書房出版、2022)、編著研究書に『インド太平洋をめぐる国際関係』(芙蓉書房出版、2024)等がある。

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(防衛大学校 共同研究員/戦略コンサルタント 伊藤 隆太)
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