6月に開幕を迎えるワールドカップ2026。北米3カ国(メキシコ、アメリカ、カナダ)共催で行われ、大会の歴史上最大規模となる48チームが参加する予定だ。
日本代表はグループステージでオランダ、スウェーデン、チュニジアと対戦することが決まっており、その中で決勝トーナメント進出をかけて戦う。
チュニジアとは2002年のワールドカップでも対戦しており、その際には2-0と勝利を収め、日本にとって決勝トーナメント進出を決めた記念すべき試合にもなった。
今回はその24年前のチュニジア戦で先発出場した日本代表の11名を振り返る。
(C)Getty Images
楢崎正剛
当時の日本代表における正守護神として君臨していたのが楢崎正剛だ。1998年フランス大会も経験しており、2002年大会ではトルシエ監督から経験と安定感を買われてゴールマウスを任された。川口能活との激しいポジション争いを制してスタメンの座を掴んだ点も、彼の実力の高さを物語っている。
大会ではグループステージ3試合すべてに出場。ロシア戦では好セーブを見せて日本の歴史的な初勝利に大きく貢献。チュニジア戦でも落ち着いたプレーで無失点に抑え、ベスト16進出を支えた。
その後も長く日本代表の守護神として活躍し、名古屋グランパスでクラブの黄金期を支えた。現役引退後も名古屋に残り、指導者・スタッフとして後進の育成に携わっている。
松田直樹
闘志あふれるプレーで守備陣を支えたストッパー。フィジカルの強さと対人守備を武器に、当時の日本代表において欠かせない存在となっていた。感情を前面に出すプレースタイルは、フィリップ・トルシエ監督から世界レベルの選手として高く評価された。
2002年大会ではグループステージ全試合に出場し、守備の要として活躍。激しいディフェンスで相手の攻撃を封じ、日本の勝利に貢献した。チュニジア戦でも集中力の高い守備を見せ、無失点での勝利を支えている。
その後は横浜F・マリノスの中心選手として活躍を続けたが、松本山雅FCに移籍してまもなく心臓発作のために急逝。現在もなお、その熱いプレーと人柄は多くのファンに語り継がれている。
宮本恒靖
日本代表のキャプテンとしてチームをまとめ上げたのが宮本恒靖だ。知性とリーダーシップを兼ね備えたセンターバックであり、フラットスリーの中央として守備組織を統率する役割を担っていた。戦術理解度の高さと冷静な判断力は、トルシエジャパンの象徴とも言えるものだった。
森岡隆三の怪我によって急遽「フラット3」の柱に指名され、キャプテンとして全試合に出場。守備ラインを統率しながら、ベスト16進出という歴史的結果へと導いた。チュニジア戦でも安定した守備で無失点に貢献。
その後はガンバ大阪で活躍し、オーストリアで海外挑戦も経験。引退後は指導者となり、現在は日本サッカー協会の会長として活躍している。
中田浩二
守備とビルドアップの両面で重要な役割を果たしたのが中田浩二だ。フィリップ・トルシエ監督に寵愛され、「申し子」と呼ばれるほどの信頼を受けた。
本職のボランチではなく左ストッパーとして起用されながらも、正確な左足のキックと判断力で攻撃の起点にもなれる貴重な存在だった。2002年大会では全試合に出場し、守備だけでなく攻撃面でも貢献。ラインコントロールやビルドアップでチームのバランスを保った。
大会後はフランスやスイスでプレーするなど、ヨーロッパでも経験を積んだ。引退後は鹿島アントラーズのクラブ・リレーションズ・オフィサーとして活動し、チームの発展に寄与している。
明神智和
明神智和は、フィリップ・トルシエ政権下において中盤でのバランスを支えた守備的MFだ。豊富な運動量と献身的な守備で、チームの潤滑油として機能していた。派手さはないものの、戦術的に欠かせない存在として大きな信頼を得ていた。
2002年大会では主に中盤の守備役として出場し、相手の攻撃の芽を摘む役割を担った。チュニジア戦でも中盤でのプレスとカバーリングで相手に自由を与えず、チームの守備を支えた。
その後は柏レイソル、ガンバ大阪などで長く活躍し、Jリーグを代表するボランチの一人となった。引退後は指導者として活動し、若手育成に力を注いでいる。
戸田和幸
トルシエジャパンにおける潰し屋として異彩を放っていたのが戸田和幸。中盤での激しい守備とプレッシングで相手のリズムを崩す役割を担い、チームの守備戦術の要となっていた。
2002年大会では全試合に出場し、その守備力を発揮。特にロシア戦では相手の攻撃を封じる重要な役割を果たし、日本の勝利に貢献した。チュニジア戦でも中盤での守備強度を維持し、相手に決定機を与えなかった。また、赤く染めたモヒカンヘアーでも大きな話題を集めていた。
大会後はトッテナムへ期限付き移籍し、海外挑戦も経験。その後はJリーグでプレーを続け、引退後は解説者や指導者としてサッカー界に関わっている。
稲本潤一
2002年大会で一躍ヒーローとなったのが稲本潤一。攻守両面で高い能力を発揮するボックス・トゥ・ボックス型のMFとして、チームの中心的存在となっていた。
大会ではベルギー戦、ロシア戦で連続ゴールを決め、日本中を熱狂させた。中盤からの飛び出しと決定力は、日本代表にとって大きな武器となり、ベスト16進出の立役者となった。チュニジア戦でも攻守にわたって存在感を発揮している。
大会後はプレミアリーグで存在感を示し、欧州各国でプレー。
小野伸二
天才的なテクニックと創造性で攻撃を彩ったのが小野伸二だ。フェイエノールトでUEFAカップ制覇を経験しており、当時すでに欧州でも評価の高いプレーメーカーだった。
2002年大会では左のウイングバックとしてプレーし、その卓越した技術で試合の流れを変える存在として起用された。大会前に虫垂炎を患ったためにギリギリで間に合わせたという状況だったものの、サイドからチームのリズムを整える役割を果たした。
その後も欧州、日本、オーストラリアでプレーし、長く第一線で活躍。近年まで現役を続けた“天才”は、現在も日本サッカー界の象徴的存在として高い人気を誇っている。
中田英寿
日本サッカー界の象徴的存在であり、当時のエースとして君臨していたのが中田英寿だ。セリエAのトップクラスで活躍する世界的プレーヤーとして、日本代表を精神的にもプレー面でも牽引していた。
2002年大会では攻撃の中心として全試合に出場。卓越したキープ力とパスでチャンスを演出し、チームの攻撃を組み立てた。チュニジア戦でも冷静なプレーで試合をコントロールし、後半30分にはダイビングヘッドで2点目を奪っている。
その後も欧州で活躍したが、2006年W杯を最後に現役引退。
鈴木隆行
前線で体を張り続けたファイター。得点力だけでなく、ポストプレーや守備での貢献など、献身的な役割を担うフォワードとして起用されていた。大会前には髪の毛を銀に染めており、その容姿でも話題になった。
2002年大会ではベルギー戦でゴールを記録し、日本代表の歴史に名を刻んだ。続くロシア戦、チュニジア戦でも前線で体を張り、攻撃の起点や守備のスイッチを入れる存在として機能した。
大会後はベルギーのヘンクへと移籍し、ヨーロッパでプレー。その後アメリカのポートランド・ティンバースにも所属するなど、様々な経験を積んだ。引退後は指導者として活動し、次世代の育成に携わっている。
柳沢敦
技巧派のストライカーとして前線を担ったのが柳沢敦だ。得点だけでなく、周囲を生かすプレーや動き出しの質の高さが評価されていた。鹿島アントラーズでもともにプレーしていた鈴木隆行との連係力は代表でも重要な武器となっていた。
2002年大会ではスタメンとして出場し、攻撃の流動性を高める役割を果たした。
大会後はイタリアへ移籍し、サンプドリア、メッシーナでプレー。その後Jリーグに復帰し、長く第一線で活躍した。引退後は指導者となり、鹿島アントラーズの育成年代で継続的に活動している。
日本代表、「実はまだ一度も勝ったことがない」3つのサッカー強国
※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。
筆者:石井彰(編集部)

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