「このカッコいい韓国人俳優は誰?」。インドネシアでそう尋ねられたのは、世界的スーパースター・大谷翔平の写真だった。
(インタビュー・文=花田雪、写真提供=一般社団法人NB.ACADEMY)
工藤公康が語った「面白い後輩」と“アジア甲子園”
「名電の後輩に、面白い子がいるんですよ」
別媒体で福岡ソフトバンクホークスの元監督・工藤公康氏のインタビューをした直後、雑談の中でこんな言葉が飛び出した。
「巨人に育成入団した柴田って子でね。今は引退して自分で起業して頑張っているんですけど、一般社団法人を立ち上げて『アジア甲子園』という大会を開催しているんです」
恥ずかしながら、「アジア甲子園」という言葉を聞いたのはこの時が初めてだった。
「よければぜひ取材してあげてください」
工藤氏からのこんな言葉を受け、筆者はすぐさま「アジア甲子園」を主催する一般社団法人NB.ACADEMYと、代表の柴田章吾氏に取材を申し込んだ。すると、すぐに「今ちょうど日本にいるので、ぜひお会いしましょう」という返信が本人から届いた。
巨人で3年、外資コンサルで3年。異色のキャリアの持ち主
柴田は工藤氏と同じ愛工大名電高校の出身。3年夏には甲子園にも出場し、卒業後は明治大学に進学。同期の野村祐輔(元広島東洋カープ)らとともに六大学でプレーして2011年ドラフトで巨人から育成3位指名を受けて入団している。
プロの世界では3年間、一軍未出場のまま引退したが、その後アカデミーコーチ、球団職員を経て2016年に外資系コンサルティング企業・アクセンチュア株式会社に就職。「プロ野球選手から外資系コンサル企業」への異色の転身は当時、テレビでも取り上げられるほど話題にもなった。現在は自身で起業し、シンガポールに拠点を置く柴田は自身のビジネス遍歴をこう語ってくれた。
「プロで3年、企業で3年やって、2019年に起業しました。現在は、BtoC、スポーツ、エンタメ領域の戦略コンサルティングをメインにスポーツ関連のイベントの企画・運営やキャスティングの仕事をしています。ただ、売上の面で言うと『コンサル』の割合がまだ多いのが実情です。スポーツに関わる仕事を増やしたいという気持ちはずっと持ち続けているんですけど、家族の生活や売上のことを考えると、まだ全ベットすることができなくて……(苦笑)」
スポーツに携わりたい――。そんな思いを抱えながら、皮肉にもコンサル事業は順調に業績を伸ばしていった。
「コロナ後3年間くらいは、本当に寝る間も惜しんで働いていました。おかげさまで経済的な面では豊かになっていって。ただ、同時に酒量も増えていったんですね(笑)。メチャクチャ働いて、お酒を浴びるほど飲んで、そのままほとんど寝ずに働く……みたいな。
仕事は順調、それでもなぜか幸福感が得られない。それを埋めるためにお酒を飲む毎日を過ごしたが、心に空いた穴をふさぐことはできなかった。
「やっぱり、野球に恩返しがしたいな。そこから、お酒に充てていた時間を野球界の未来に貢献することは何だろう、と考える時間に費やすことにしたんです。ちょうどそのころ、ドラマで見ていた「ドラゴン桜」の著者・漫画家の三田紀房先生とお会いさせていただける機会があり『アジア甲子園』というアイデアを頂いて、すぐ実現に向けて動き出しました」
日本の野球文化をアジアへ輸出する
2022年、柴田は非営利団体である一般社団法人・NB.ACADEMYを立ち上げる。コンセプトは「甲子園を通じて日本の野球文化をアジアに輸出する」。アジアに目を向けたのには、当然ながら相応の理由がある。
「日本の野球界はこれまで、どちらかというと『アメリカ』に目を向けてきました。世界最高峰のメジャーリーグがあって、トップレベルの選手がプレーしているので、それ自体はあるべき姿だと思います。ただ一方で、同じアジア、特に野球があまり盛んではない東南アジアにはほとんど目を向けてこなかった現状があります。
僕自身、現役引退後にフィリピンの子どもたちに野球を教えた経験があるんですけど、日本人を受け入れてくれる土壌もあるし、なにより『日本でプロ野球選手だった』ことにすごくリスペクトというか、価値を感じてくれていたんです。そこに、可能性があるんじゃないかなと」
アジア圏の野球は現在、日本、韓国、台湾、中国が「四強」と呼ばれる一方で、それ以外の国・地域にはほとんど浸透していない。特に東南アジアで盛んなのはサッカーやボクシング、バドミントンなどで、野球の競技人口はわずかだ。
「例えば、日本で絶大な人気と知名度を誇る大谷翔平選手も、東南アジアでは10人に一人知っていればいいほうだと思います。協賛企業が大谷選手をスポンサードしていて、彼のパネルを飾っていたんですけど、現地の人からは『このカッコいい韓国人俳優は誰?』と聞かれたくらいです(笑)」
「大谷翔平を知らない世界」という可能性
「世界の大谷翔平」ですら周知されていない世界――。ただ、だからこそ無限の可能性もあると柴田は語る。
「知られているのに人気がないのであれば、逆にむずかしいと思うんですけど、そもそも『知られていない』ので。野球というスポーツの魅力を知ってもらいさえすれば、絶対に面白いと感じてもらえると信じてやっています。それをどう伝えるかを考えたときに、最適なのが日本独自の甲子園という文化でした。
競技の普及というと真っ先に思い浮かべるのは野球教室だと思うんですけど、そこに来てくれるのは『すでに野球をやっている子どもたち』なんですよね。そこから裾野を広げるのはなかなかむずかしい。そこで考えたのが競技人口ではなくて、まずは観戦者人口をどれだけ増やせるか。
その意味で、日本における甲子園という存在はお祭り好きな東南アジア人にとってかなり上質なモデルケースだなと。競技のレベルで言ったらメジャーリーグや日本のプロ野球よりも低いけど、『観る人』は多い。だから、アジアで甲子園を再現できれば、今まで興味のなかった人を引き込めるんじゃないかなと思ったんです」
「アジア甲子園」を開催するにあたり、柴田が特に意識したのは、いかに「本物の雰囲気」を味わってもらえる工夫をするかだった。スタジアムを阪神甲子園球場に変身させることはできないが、例えばブラスバンド、チアリーディング、売店など、可能な限り「本物」に近い雰囲気を出す工夫をしたという。
「阪神電鉄さん、高野連さんはもちろん、NPB(日本野球機構)も含めた日本に存在するあらゆる野球の組織に話を聞いたり、協力を仰ぎました。夏の甲子園を主催する朝日新聞さんにも話を聞きにいきました。実際に『甲子園』を開催するうえで、何が必要で、どういった運営をしているのかなど、知識がゼロの状態からいろいろと話を聞いて回ったんです」
もちろん、運営の方法を知っても、実際に必要な資金が集まらなければ「アジア甲子園」は開催できない。柴田は有力企業を回り、文字通り「足」でスポンサーを募ったという。
「当たり前ですけど、どの企業さんも最初は懐疑的なんです。『アジアで甲子園なんてできるの?』『どれだけ集客できるの?』『どれだけの広告効果があるの?』と聞かれても、実績も参考にできるモデルケースもないので答えようがありません。嘘はつけないので『やってみないとわかりません』と正直に伝えました。そのうえで、開催する意義や意味を、丁寧に伝えて協力を仰いだんです」
日本野球が抱える大きな問題とは?
柴田の尽力もあり、着想から2年ほど経った2024年12月、インドネシア・ジャカルタで第1回アジア甲子園が開催された。
大会にはインドネシア国内から8チームが参加。さらにエキシビジョンマッチとして「元甲子園球児代表チーム」も参戦し、発起人の一人である三田紀房氏や、柴田の高校の先輩でもある工藤公康氏などもゲストとしてトークセッションを行った。大会には、ふだんは数十人しか集まらないというスタジアムに5日間で約2000人が来場。この成功を受け、2025年12月には同じくジャカルタで第2回大会が行われ、前年を上回る2500人の集客に成功した。
一方、今後さらなる拡大を目指すアジア甲子園にとっては大きな課題もある。
「ルールがある以上、それを破るわけにはいきません。ただ、実際に話をするとアマチュア野球の人たちからも『何かできることがあればぜひ協力したい』という声をいただけています。今後、どういう動き、どういう流れがあるかはわかりませんが、『アジア甲子園』の存在がプロアマ問題を少しでも前進させるきっかけになってくれれば、うれしいですね」
柴田にとって「アジア甲子園」は目標でもあったが、今後目指すべき道の第一歩でもある。その背景には、日本野球が抱える大きな問題が潜んでいる。
「30年前の日本球界とアメリカを比べたとき、競技レベルの差は確実に縮まっていると思うんです。一方、市場規模という観点で見ると、その差は逆に開いています。今は大谷選手という世界一のプレイヤーがメジャーで活躍していますが、例えば大谷選手が引退して、そこから先の未来を見たときにどうなるか。
アジアに広がる日本野球の未来。第3回大会へ
過去2回、アジア甲子園が開催されたインドネシアの人口は2023年時点で約2億8000万人と日本の倍以上。さらに、国民の平均年齢も20代(※日本は2026年時点で平均50.2歳)と、今後の経済的成長がさらに見込まれている。これもまた、柴田の狙いの一つだ。
「競技人口はもちろん、先ほどお話しした観戦者人口が増えれば、例えばNPBにとっても試合の放映権料やスポンサー料など、大きな経済的プラスが予想できます。人口が減少し続けている日本とは違い、インドネシアをはじめとする東南アジア各国は今も人口が増え、経済的にも成長を続けています。
実際に現地に行っても、国民一人ひとりが『明日は今日よりも豊かになるかもしれない』という希望を持って生活しているのを肌で感じるんです。インドネシアでは今、ランニングがブームですが、ランナーの足元を見ると2~3万円もするシューズを履いている。某有名アーティストのライブも、月給4万円の一般層が、1.5万円のチケットを惜しみなく買います。
つまり、『価値を感じるものにはしっかりとお金を使う』文化が根づいている。その矛先を、少しでも野球に向けることができれば……アジア甲子園を通じて、日本が誇る野球という素晴らしい文化を伝えることが、少し先の話になるかもしれませんが日本球界の未来にもつながっていく。そんなことになったら、本当にうれしいですし、今もそれを目指して活動しています」
地道だが、着実に――。柴田と「アジア甲子園」の挑戦は少しずつ実を結び始めている。2026年2月24日にはその活動が認められ、スポーツ庁から「スポーツ庁長官感謝状」が贈られるなど、国内での知名度も徐々にだが確実に増している。2026年末には第3回大会も開催予定で、柴田もすでに大会準備に着手しているという。
日本の野球文化をアジアへ――。その試みは、アジアはもちろん、間違いなく日本野球界の未来にも、明るい光を差してくれるはずだ。
<了>
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