第44代アメリカ合衆国大統領、バラク・オバマが米Rolling Stone誌に特別寄稿。どれほど暗い時代にあっても、アメリカの進むべき道を示してきた音楽の歴史、歌が持つ力について──。


最初の大統領選キャンペーンの頃、私は討論会当日のルーティンにかなりこだわるようになっていた。少し迷信めいていたと言ってもいいかもしれない。短時間でも必ずトレーニングを済ませ、夕食はいつも同じものを頼む。そして本番の30分ほど前になると、スタッフから渡されたメモや想定問答を脇に置き、イヤホンをつけて、ただ音楽を聴くようにしていた。

最初は、マイルス・デイヴィスの「Freddie Freeloader」や、ジョン・コルトレーンの「My Favorite Things」といったジャズの名曲を何曲か聴いていた。だが時が経つにつれ、自分の気持ちを正しい状態に持っていってくれるのはラップなのだと気づいた。逆境に抗い、すべてを賭けることを歌った曲──ジェイ・Zの「My 1st Song」や、エミネムの「Lose Yourself」は、いつもプレイリストに入っていた。おそらく、当時の自分がまだ挑戦者の立場だったことに、どこか重ねていたのだろう。会場へ向かうシークレットサービスのSUVの後部座席でひとり、ビートに合わせて体を揺らしていると、周囲を取り巻くあの仰々しさや儀礼的な空気、作りものめいた感覚が、すっと溶けていくのを感じた。そして意識は、自分にとって本当に大切なものへと戻っていく。自分を形づくってくれた家族や友人たち、自分を突き動かしてきた価値観や理想、そしていつか自分が代弁したいと願っていた、この国の各地にいる名もなき人々の声へと。

音楽にはいつだって、ほかの何ものにもできない形で、私たちに語りかけ、そして私たちの思いを語ってくれる力があった。
だからこそ、アメリカの250年にわたる歩みを理解したいのなら、この偉大な国を形づくってきた音楽に耳を傾けることは、その最良の方法のひとつなのだ。

何百年も前、奴隷として連れてこられた人々が初めてこの国の海岸に足を踏み入れたとき、彼らの胸の中にあった音楽は、その先に待ち受ける過酷な運命を生き抜くための力と勇気を与えていた。スピリチュアルは単なる娯楽ではなかった。後にW.E.B.デュボイスが「奴隷が世界に向けて発した、明確なメッセージ」と表現したように、それは他者によって否定されようとした自らの人間性を、断固として主張するための手段だった。

その同じ精神は、女性参政権運動にも息づいていた。「Yankee Doodle」や「America (My Country, Tis of Thee)」の旋律に新たな歌詞を載せた集会歌は、デモ行進や抗議活動において重要な役割を果たした。そして、それらは誰もがすでに歌い方を知っている曲だったため、主催者たちは楽譜を配る必要すらなかった。ただ新しい歌詞を配ればよかったのだ。

その後、大恐慌の時代に貨物列車へ乗って各地を渡り歩いていたウディ・ガスリーは、ダストボウルで故郷を追われた移住者たちや移民労働者たちの歌に耳を傾けた。そして彼は、アーヴィング・バーリンの「God Bless America」への応答として「This Land Is Your Land」を書き、この国は特権や家柄に恵まれた者たちだけでなく、苦闘する人々や社会の周縁に追いやられた人々のものでもあるのだと訴えた。

この伝統がもっとも力強い形で花開いたのは、公民権運動の時代だった。その運動は、さまざまな意味で「歌う運動」でもあった。
「We Shall Overcome」をはじめとするゴスペルソングは、牢獄の中や教会の地下室に響き渡り、警棒や放水車ですら断ち切ることのできない絆を生み出した。そしてワシントン大行進の場で、マヘリア・ジャクソンがキング牧師に向かって「夢について話して、マーティン!」と呼びかけたとき、彼女はまさに、優れた音楽家たちが常にしてきたことをしていたのだ。つまり、誰より先に真実へとたどり着き、私たち残りの者たちがそこへ追いつくのを待っていたのである。

1960年代から70年代にかけても、ポピュラー音楽は社会変革を後押しし続け、問われるべき問いを投げかけていた。ベトナム戦争の時代、「Fortunate Son」(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)、「Blowin in the Wind」(ボブ・ディラン)、「Whats Going On」(マーヴィン・ゲイ)といったプロテストソングは、この国の空気そのものの一部となっていた。一方で、マール・ハガードの「Okie From Muskogee」のような楽曲は、抗議運動が自分たちに向けて何も語っていない、あるいは自分たちのことを語っていないと感じていた労働者階級のアメリカ人たちの思いを代弁していた。それはまた、アメリカのように巨大で騒々しい国では、誰もが同じ旋律に合わせて歌うはずだと決めつけることなどできないのだということを、私たちに思い出させてもいた。

それから年月が経ち、ブロンクスの若い黒人やラティーノの子どもたちは、ターンテーブルを使って再びポピュラー音楽を作り変えていった。優れた音楽がそうであるように、ヒップホップもまた単なる気晴らしではなかった。それはビートに乗せたジャーナリズムであり、グランドマスター・フラッシュの「The Message」のような楽曲は、この国の大多数がこれまで直視せずに済んでいた現実を描き出していた。そしてその後数十年のうちに、尊厳と敬意を求める人々によって生み出されたこの音楽ジャンルは、世界でもっとも人気のある音楽へと成長していった。

音楽は政治より先に真実を語る

もちろん、こうした表現形式はいずれも孤立して存在していたわけではない。
アメリカのポピュラー音楽がこれほど豊かで心を揺さぶり、これほど力強い生命力を持ち続けてきたのは、それがこの社会の雑種的で多言語的な性質を映し出しているからだ。アフリカのリズムからアイルランド民謡まで、コンサートホールの旋律から酒場で鳴らされるブルースまで、あらゆるものを混ぜ合わせてきた。だからこそアメリカ音楽は絶えず自らを更新し続けるのであり、また最高の形で鳴り響くときには国境を越えて共鳴するのだ。そこには世界のあらゆる場所から来た要素が含まれているのだから。

多種多様な伝統を取り込み、実験を重ねてきたからこそ、アメリカ音楽はしばしば、政治よりも先に、この国が抱えるもっとも切実な問題や対立、矛盾を語ってきた。それは音楽家たちが政治家より賢いからではない──もっとも、実際にそういう者も多いのだが──音楽というものが、政治とは異なるルールで機能しているからである。

音楽は、有権者の過半数の支持を勝ち取る必要はない。最大公約数に合わせる必要もなければ、10項目からなる政策綱領を示す必要もない。ただ、人々がそこに自分自身を見いだせるだけの真実を宿していればいいのだ。ただ、自分は恐れや苦闘、希望や夢を抱えているのが自分ひとりではないのだと、人々に思い出させればいい。偉大な音楽には、私たちに「自分は見られている」と感じさせる力がある。そしてそれ以上に、他者を見る力を私たちに与え、心と道徳的想像力を広げてくれる。
だからこそ、スピリチュアルは奴隷解放宣言が署名される以前から解放を説き、ロックンロールは公民権法が成立する以前から人種統合を後押しし、プロテストソングは政府がそれを認めるはるか前から、ベトナム戦争の誤りを見抜いていたのだ。

音楽は何度となく、私たちに進むべき道を示してきた。そしてやがて、アメリカはそのあとを追った。

ホワイトハウスにいた頃、ミシェルと私は、クラシック、カントリー、ブルース、ブロードウェイ、ゴスペル、モータウン、ラテン、ジャズに至るまで、アメリカを形づくってきた音楽を称えて祝福する夜を設けていた。そして、2026年6月にシカゴ南部で開館するオバマ大統領センターを設計する際には、この国の美しさと欠点の両方を映し出し、より良い場所へと私たちを導いていく次世代の声のために、レコーディングスタジオとパフォーマンススペースを組み込んだ。

なぜなら、アメリカはこれまでもずっと、歌うに値する国だったからだ。そして、それらの歌は一種の信念の表れでもある。この自己統治という前例のない試みは、いまだ道半ばにあるのだという信念。アメリカとは、私たち自身が作り上げるものなのだという信念。歌そのものはこれからも変わり続けるだろう。しかし私がもっとも願うのは、民主主義への信頼が変わらずにあり続けること、そして私たちが共に、アメリカを「本来あるべき姿」へと少しでも近づけていくという、この輝かしい営みを続けていけることである。

From Rolling Stone US.

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