日本語と中国語(138)-上野惠司(日本中国語検定協会理事)

 前回の「寧為鶏口無為牛後」。念のためにこのことわざが引かれている『史記』の蘇秦伝に当たってみたところ、古い注釈の1つに「鶏口雖小、猶進食、牛後雖大、乃出糞也」とあった。
食物を摂取する「口」と排泄する「後」(肛門)とを対比して用いられていることが明らかである。

 この「後」という字が今日の中国語の簡体字で「后」と書かれることは、よく知られているとおりである。

 皇后様の「后」と牛のお尻の穴の「後」が同じではお気の毒だが、実は「后」の字もずばりその部分を指していたらしく、早くから「后」と「後」は通じて用いられているのである。「后」の字の上部は人の形の変形で、口の字は後部の穴を示すというのが、説明として解りやすい。

 「後」の代わりに「后」が使われている古い例としては、四書の1つ「大学」に見える「知止而后有定」(止まるを知りて后に定まる有り)を挙げることができる。この箇所はさらに「定而后能静、静而后・・・・・・」(定まりて后に能く静かなり、静かにして后に・・・・・・)と続くのだが、合わせて5つの「后」が使われている。

 「後」の代わりに「后」を用いた例は、まだまだあるが、今はいちいち挙げない。近世の俗語による文学作品などになると、当然のように「后」を使っている。書き手にしても、印刷のために版木を刻む職人にしても、画数の多い「後」の字を使うよりも、「后」を選んだほうが手っ取り早い。「後」→「后」に限らず、このようにして民間で十分定着したことを見定めて制定したのが、今日の簡体字である。

 先に当用漢字で「坐」と「座」を統合して「坐」を廃して「座」を残したのは不当である、どうしても統合するというのであれば、むしろ「坐」を残すべきであったと述べた。字数を減らしたいのなら、「坐」「座」などはいじらずに、こちらの「后」と「後」を検討してみたほうが、はるかによかったのではないだろうか。


 字は下手くそだが、文字の使用についてはそれほど粗忽ではないと自認している私なども、ついうっかり「午后」「その后」などと書いてしまう。「午後」「その後」と書くよりも、はるかに経済的である。経済的であるからと言ってやたらに略したり崩したりするのは感心しないが、文字をいじるのであれば、こういう視点も考慮に入れたいものである。

 ある雑誌に「乾杯」とは「杯の酒を飲み乾す」ことだと書いたら、「飲み乾す」を「飲み干す」に改められた。「乾」の字はカンという音はあるが、「ほす」という訓は認められていないというのである。だから仮名で書くか、漢字を使いたければ「干す」にせよとのおおせである。同様に洗濯物は「乾燥させる」か「干す」のどちらかになるらしい。「乾杯」「乾燥」を認めるなら「杯を乾す」「洗濯物を乾す」も認めてはどうか。「干す」しか認めないのなら、いっそのこと「乾杯」「乾燥」も「干杯」「干燥」としてはどうか。現に中国語ではそうなっている。(執筆者:上野惠司)

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