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連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第175話
「リスクがありそうなウイルスを探して、その特徴を『未然に』明らかにするーー」。新型コロナウイルス変異株の特徴を次々と明らかにして世界から注目されたG2P-Japanの次のステージは「アジア」。
* * *
【新型コロナパンデミックの始まり in タイ】2020年2月下旬、タイのバンコクを訪れた。私にとって初めての東南アジア。感染症に関するある国際会議に参加するためで、まだ「エイズウイルス学者」だった私はそこで、エイズウイルスに関する研究成果を発表した。新型コロナパンデミック発生前夜のことである(11話、79話)。
そのふた月ほど前の2020年1月8日。中国・武漢からバンコクに向かうひとりの旅行客が、発熱を呈してバンコクの空港に着陸した。武漢での謎の肺炎の流行拡大が国際的に報道されるよりも前のことだったが、タイ政府は事前に情報を得ていたのか、空港にはサーモグラフィーが設置されていた。
サーモグラフィーに反応したこの旅行者は、バンコクのチュラロンコン大学病院に運ばれた。そして、この旅行者から得られた検体は、チュラロンコン大学に在籍するあるタイ人の女性研究者によって調べられることとなった。
彼女の名前は、スパポーン・ワチャラプルクサディー。
バンコクの空港で発熱を呈した患者がチュラロンコン大学病院に運ばれた翌日の1月9日。
それは、中国の研究者が、新型コロナウイルスの遺伝子配列を世界に公表する数日前のことだった。つまりこれは、中国以外の国で見つかった初めての新型コロナウイルス、ということになる。
私が新型コロナウイルスの研究に着手したのは2020年3月下旬(34話)。そして、研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げたのは2021年1月(15話)。
スパポーン女史は、「エイズウイルス学者」だった私がG2P-Japanとして本格的に新型コロナの研究の世界に飛び込むよりずっと前から、あるいは、新型コロナウイルスが人間社会に顔を出した直後から、その最前線に立っていたことになる。
――そして、新型コロナパンデミックの始まりから4年半ほどの月日が流れた2024年7月。彼女から、私のラボのタイ人ポスドクCの元に、ある一通のメールが届いた。
この連載の138話で紹介した2024年7月のバンコク弾丸出張は、スパポーン女史との国際共同研究を立ち上げるためのものだった。
【もうひとりの「バット・ウーマン」と「RacCS20637」】スパポーン女史は、かれこれ10年以上もの間、タイに生息するコウモリが持っているウイルスを調査してきた経歴を持つ。
新型コロナパンデミックの中、中国の武漢ウイルス研究所に在籍していた石正麗教授は、「バット・ウーマン」と呼ばれていた。そしてスパポーン女史は、石正麗教授と並んで、業界では「もうひとりのバット・ウーマン」と呼ばれるほどに、コウモリのウイルス研究に精通していた世界的なウイルス学者のひとりである。
2020年6月、スパポーン女史は、新型コロナウイルスによく似たコロナウイルスを、タイに生息するコウモリから発見し、その成果を科学雑誌『ネイチャー・コミュニケーションズ』に発表した。このウイルスは、東南アジアで初めて見つかった、新型コロナウイルスによく似たコウモリのコロナウイルスだった。この写真は、その研究成果をきっかけに科学雑誌『サイエンス』に掲載された、彼女の特集記事のトップ画像。
――2024年7月。私たちは急遽バンコクに飛んで、チュラロンコン大学を訪問し、スパポーン女史の研究チームと打ち合わせをした(138話)。新しい国際共同研究を立ち上げるためだ。
弾丸訪問ながらも、お互いにたしかな質感を手のひらに感じたのだろう。翌8月に私たちは、首尾よく共同研究契約を締結した。
スパポーン女史の研究チームは、タイに生息するコウモリから見つけた、未公開の新しいコロナウイルスの遺伝情報をたくさん持っていた。共同研究契約の締結によって私たちは、その入手に成功する。
それから私たちは、スパポーン女史の研究チームから受け取ったウイルスの遺伝情報を詳しく調べた。そしてその中から、「RacCS20637」というコードネームがついたウイルスのスクランブルプロジェクトを立ち上げた。
G2P-Japanとしての新型コロナ研究で、スクランブル対応には慣れた頼もしいラボメンバーたちである。およそ数ヵ月でほとんどの実験を完了し、論文をまとめ上げた。
そして翌2025年の4月、私はシンガポールのお気に入りのカフェのテラス席(173話)から、この論文を科学雑誌『セル』に投稿した。査読を経たのち、この論文は2026年4月9日にアクセプト(採択)され、5月6日(日本時間7日)に『セル』に掲載された。
この研究成果については、これからいくつかの報道がなされるのではないかと期待したい。しかし今回のコラムでは、著者自ら、この研究の概要や経緯を詳(つまび)らかにしてみようと思う。『セル』に掲載された研究成果を、掲載直後に、著者自身が週刊プレイボーイのウェブ媒体で解説することなど、おそらく世界初の試みだろう。
【著者による発表論文解説】――2020年7月、スパポーン女史の研究チームは、バンコク近郊のとある自然保護地区でサーベイランス(感染症に関する現地調査)を実施し、コウモリの検体を収集した。そのサンプリングサイト(検体を集める場所)の名前は「チャチューンサオ」。2025年3月に私も「下見」に訪れた場所である(170話)。
この「下見」には実は、将来のサンプリングのための「見学」という意味だけではなく、私たちが詳しく研究したRacCS20637が見つかった場所を直に見てみたい、という意図もあった。
収集した検体を調べると、新型コロナウイルスによく似たウイルスがいくつか見つかった。
スパポーン女史らによる2020年7月のサーベイランスでは、大きくふたつのグループに分かれるコロナウイルスが見つかった。ここでは便宜的に、このふたつのグループをそれぞれ、「グループA」と「グループB」と呼ぶことにする。
スパポーン女史の研究チームは、このひと月前の2020年6月にも、チャチューンサオの同じサンプリングサイトでサーベイランスを実施していた。そのときに見つかったのが、「グループA」のウイルスである。このグループのウイルスの特徴については、彼女たちのチームが2021年に科学雑誌『ネイチャー・コミュニケーションズ』に発表していた。そして予想通り、2020年7月のサーベイランスでも、このグループのウイルスがいくつか見つかった。
「グループA」のウイルスは、新型コロナウイルスの感染受容体であるヒトの「ACE2」というタンパク質を、細胞への侵入の「鍵穴」として使うことができなかった。つまり、「グループA」のウイルスは、人間に感染するリスクはほぼない、と考えられる。
チャチューンサオで見つかったウイルスを含めたコロナウイルスの「系統樹」。『セル』に掲載された論文から引用・改変。「系統樹」とは、遺伝子の似ている・似ていないを図示したもの。ヒトのACE2を使えないウイルス(緑)と使えるウイルス(オレンジ)に分けられ、SARSコロナウイルス(SARS-CoV)や新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は後者(オレンジ)に分類される。
私たちが『セル』に発表した研究でまず驚くべきは、このサーベイランスのひと月前、2020年6月には見つからなかったまったく別のウイルス、「グループB」のウイルスがチャチューンサオでたくさん見つかったことだ。
「グループB」に属するウイルスのスパイクタンパク質は、新型コロナウイルスのそれとよく似ていた。つまり、この「グループB」のウイルスは、ヒトのACE2というタンパク質を感染受容体に使えることが強く示唆されたのである。
それでは、ヒトに感染しうると考えられる「グループB」のウイルスは、いったいどんな特徴を持っているのか? それを明らかにすることこそが、この国際共同研究のいちばんのミソである。
「グループB」に属するウイルスのひとつである「RacCS20637」の遺伝情報を手に入れた私たちは、その情報を元に、「リバースジェネティクス」という方法によって、RacCS20637を人工合成することに成功した。(※ウイルスの人工合成やそれを用いた実験はすべて、「バイオセーフティーレベル3」の、安全性が担保された実験施設で行われた。またこの研究は、さまざまなところでの必要な承認・許可を得た上で実施したものである)
そして予想通り、RacCS20637は、新型コロナウイルスと同じように、ヒトのACE2を感染受容体に使うことができた。
そして、この手の実験をするときにいちばん大切なのはもちろん、安全性の担保である。
そのために、私たちはまず、RacCS20637が、
①新型コロナワクチン接種者の血清で中和(=感染を阻害)できるか?
②新型コロナに対する薬剤で複製を阻害できるか?
を検証した。
その結果、①②の答えはどちらも「Yes!」であり、RacCS20637は、新型コロナウイルスとまったく同じ方法で感染や複製を阻害することができることがわかった。
さて、そのウイルス学的な特徴であるが、RacCS20637の培養細胞での増殖力や細胞融合力は、新型コロナウイルスよりもはるかに低いものであった。ハムスターを使った感染実験でも、RacCS20637には病原性は確認されず、また、別のハムスターへの伝播力もなかった。
つまり、RacCS20637には、新型コロナウイルスのようなパンデミックポテンシャルはない、と結論づけることができる。
最後に、コウモリのコロナウイルスの進化の歴史をたどるために、「系統地理学解析」というアプローチを導入した。この方法を使えば、コウモリのコロナウイルスが、どこからどこへ、いつ伝播したのかを推定することができる。
この解析の結果、タイ・チャチューンサオで見つかったコロナウイルスは、ラオス北部から中国・雲南省を起点として、インドシナ半島を北から南に移動しながら進化していることが示唆された。
――と、このように、この研究で私たちは、スパポーン女史らによるタイ・チャチューンサオでのフィールドサンプリングから、東京の私のラボでの最先端のウイルス研究、さらには「系統地理学解析」という最新の情報解析を駆使することで、新しいコウモリのコロナウイルスの特徴を多角的かつ包括的に詳らかにしたのである。
この連載コラムの103話や124話で私は、"私のラボは、マルチスケールな研究、つまり、「感染症の現場」と「最先端のウイルス研究」をシームレスにつなぐような研究体系を、「ウイルスの『スピルオーバー』の原理の理解」という軸、あるいは串で通したような構造をしている"ということ、そして"このような学問体系こそが「システムウイルス学」である"ということを紹介した。
この研究はまさに、「次のパンデミック」に備えるために、「システムウイルス学」を具現化したものである。
【そして、新しい「G2P」】「外向きのチャレンジ」(27話)や「アジアの連帯」(76話、139話、158話など)は、この連載の中でも折々に散りばめられた、ここ数年の私の研究活動に通底するテーマであった。
――と、そもそも、私はいったい何のためにそのようなことをしているのか?
168話の冒頭でも紹介したように、現在の私の研究室は、「次のパンデミック」に備えるために存在していると言っても過言ではない。
それでは、「次のパンデミック」に備えるために、私たちはなにをすべきだろうか?
ウイルスの複製を抑える薬をたくさん作る、ワクチンを1日でも早く作れる体制を整える、感染症に関する正しい情報を広く社会と共有する、など、私たちにできること、すべきことはたくさんある。
その中で私たちは、「パンデミックリスクのありそうなウイルスを探して、その特徴を『未然に』明らかにする」という最前線での活動を進めている。そのためには、日本国内で活動するだけでは不十分である。日本から「次のパンデミック」を引き起こしうるウイルスが生まれる可能性はかなり低いからだ。
「次のパンデミック」を引き起こしうるウイルスは、「human-animal interface(ヒトと動物の接点)」から生まれる。それは、「大都市」と「未開の地の開拓」が密接な場所にあると考えられていて、そのリスクが高い地域のひとつとして、東南アジアが想定されているのだ。
2025年春、いよいよ機は熟した。シンガポール出張を数日後に控えていた私は、すでに「連帯」を始めた東アジア、東南アジアの研究者たちにメールで声をかけた。
――みんなで、新しいコンソーシアム、「G2P-Asia」を立ち上げない?
139話で言及した「あるひとつの大きなうねり」とは、この構想のことだった。
「G2P」とはもちろん、「Genotype to Phenotype(遺伝型から表現型へ)」を意味する。「次のパンデミック」に備えるための、日本国内に留まらない、アジアの連帯。そのための「G2P-Asia」の発足である。
すでに連携を始めている、香港やベトナム、タイ、そしてシンガポールの研究者たちから、それを快諾する回答がすぐに届いた。
――日本からアジアへ。「次のパンデミック」に備えるための、「G2P-Asia」としての新しい冒険の始まりである。
文・図・写真/佐藤 佳
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