勝利の喜びをマイクに向けて話す武尊
こんなハッピーなラストマッチもあるのか。4月29日、東京・有明アリーナで行われた゛宿敵゛ロッタン・ジットムアンノン(タイ)との引退試合に臨んだ武尊(team VASILEUS)の劇的な5ラウンドKO勝ちを目の当たりにしてそう思わざるをえなかった。
昨年3月23日に行われたロッタンとの初対決では1ラウンドKO負けを喫していることも手伝い、試合前には「武尊が圧倒的に不利」という予想が大半を占めていたのだから仕方あるまい。
この一戦はONE Championshipのチャトリ・シットヨットンCEOが「今後日本国内で5年で60大会を打つ」と豪語する興行「ONE SAMURAI」の旗揚げ第一戦のメインイベントとして組まれた。
武尊にとってセミファイナルまでの流れは決してよくなかった。ONE JAPANでは武尊引退後の次期エースと期待される同門の与座優貴は、王者・ジョナサン・ハガティ(イギリス)の攻略にハマり判定負けを喫し、ONEバンタム級世界キックボクシング王座獲りを逸した。セミファイナルではONEフライ級世界MMA王者の若松佑弥(TRIBE TOKYO M.M.A)が新進気鋭のアバズベク・ホルミルザエフ(ウズベキスタン)の回転バックヒジをもろに食らって2ラウンド失神KO負け。王座防衛に失敗した。
一方、ONE JAPANムエタイ部門のエース、吉成名高(エイワスポーツ)はONEアトム級ムエタイ世界王座の初防衛に成功したものの、かつてKO勝ちを収めている挑戦者のソンチャイノーイ・ゲッソンリット(タイ)に予想外の大苦戦。終わってみれば、足を引きずり鼻血が止まらない状況に陥っていた。
日本人ファイターの苦戦がつづく中、満を持して登場した武尊
タイトルマッチでの日本人ファイターの敗北や苦戦を受けながらも、大トリに登場した武尊は全ての流れをひっくり返した。2Rに左フックで先制のダウンを奪うと、場内の空気は一変した。
誰もが「もしかしら武尊がいけるかも」という気持ちになったのではないか。続けて再び左フックで2度目のダウンを奪うと、期待は「いや、これは勝てるよ」という確信に変わった。
途中、時には打ち合いになる中、武尊が微笑を浮かべる場面もあった。試合後、その真意を問うと、武尊ははにかみながら呟いた。「楽しかった。なんか殴り合いたくなったというか」
ロッタンと相対して笑みを浮かべる武尊
クライマックスは5Rに訪れた。
明らかに失速し始めたロッタンに対して、武尊は右ストレートで3度目のダウンを奪う。なんとか立ち上がってきたタイの人気者だったが、もう虫の息だ。ここぞとばかりに武尊がラッシュを仕掛けると、キャンバスに崩れ落ちた。過去この男のKO負けの記録はグリーンボーイだった13年前に一度あるのみ。名を成してからは初めてのKO負けとなった。
武尊がダウンを奪わなかったラウンドはロッタンが優勢に進めていたこともあり、地上波で見た視聴者にとっても、最後までハラハラドキドキの攻防だったのではないか。
激しいラッシュを繰り出す武尊(上)引退試合で劇的なKO勝利を飾った(下)
この大会はU-NEXTでライブ配信されたが、今回はディレイながら夜10時からフジテレビ系でも全国放送された。かつて格闘技コンテンツに強かった同局がプライムタイム(ゴールデンタイムに継いで、看板番組が並ぶ時間帯)で格闘技の実況中継を放送するのは実に7年ぶりのことだった。
知っての通り、スポーツの映像コンテンツはネット配信が中心となりつつある。格闘技の中だとボクシングが顕著で、本日5月2日に東京ドームで開催の井上尚弥VS中谷潤人をメインとする「THE DAY」はLeminoで配信される。
そういう流れを受け、巷では「地上波の時代は終わった」という声も聞くが、筆者は異論を唱えたい。以前と比べると、地上波の影響力が弱まったことは否定しない。とはいえ、不特定多数の視聴者が見る可能性が高い地上波には「チャンネルを合わせたら、たまたま格闘技をやっていて、そのまま見入ってしまった」というライト層を獲得するには重要な役割を果たすのではないか。
武尊は少年時代、地上波で魔裟斗の活躍を見て、キックボクサーになることを夢見た。胸の高鳴りを抑えながら上京してしばらくすると、地上波は各局ともKー1の放送から撤退してしまった。
つまりファンだったときには格闘技の地上波全盛を肌で体感しながら、いざ本格的なプロとして活動しようと思ったら、格闘技は地上波で扱われないコンテンツになってしまったのだ。"冬の時代"から本格的なプロとしての活動をスタートした武尊にとって、時代は変われど地上波復活は悲願のひとつだった。
なんて強運の持ち主なのだろう。過去に何人ものプロモーターがゴールデンタイムやプライムタイムでの放送を目指したのに、その夢を叶えることはできなった。しかし武尊はラストマッチで、その夢をギリギリ叶えることができたのだ。
試合後、ヒーローインタビューでマイクを向けられると、武尊は乱立するキックボクシウング界に団結を呼びかけた。「ONE SAMURAIだけでなく、日本の格闘技、盛り上げるし、盛り上がっていきます。この歓声の熱は絶対、力になります。ONEだけでなくK-1、RISE、KNOCK OUT、いろんな団体あるけど、どこが強いとかじゃなく、一緒に格闘技の熱を取り戻しましょう。東京ドームやりましょう」
説得力のある発言だった。ここ数年、キック界のピークは間違いなく那須川天心と武尊が拳を交わした2023年6月19日のTHE MATCHだった。当時天心が主戦場にしていたRISEと武尊がそうしていたK-1が全面対抗戦で向き合うドラマは、東京ドームを掛け値なしのフルハウスにした。
ヒーローインタビューを受けたあと、武尊は「最後に一言いいですか?」と前置きして何か喋ろうとするとマイクの電源が切れた。22時を過ぎ、近隣の一般住居への配慮で会場の音響設備を使えなくなってしまったせいだ。地声で話し始めると、機転を効かした中継スタッフが放送席を映すカメラや配信用の集音マイクを武尊に向け、最後の肉声を伝えた。制約された環境の中で、アドリブで伝えようとするパフォーマンスだからこそ伝わるものもある。
「僕、格闘技の才能がもともとなくて。
感謝と努力と勇気。そして希望と夢。奇しくも武尊が口にした言葉はONEの団体としての基本理念と重なり合う。実際に会場に集まった観客のみならず、U-NEXTやフジテレビを通して試合を見た視聴者をもハッピーな気分にさせた希代のキックボクサーは、格闘技が本来持つプリミティブ(根源的な)な力を昔も今も、そしてこれからもずっと信じ続ける。
最後には応援してくれたファンに最大限の感謝を伝えた
取材・文/布施鋼治 写真/ONE Championship Susumu Nagao



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