巨人の長嶋茂雄終身名誉監督=報知新聞社客員=が3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。選手時代に指導を受けた巨人の桑田真澄2軍監督が故人をしのんだ。
2軍戦が雨天中止となり、ジャイアンツ球場での全体練習に参加した後に報道陣に対応。選手と監督の関係で日本一を目指して戦った9年間を「野球のことはもちろん、プロ野球としてのエンターテインメントといいますかね。ファンを大切にする、ファンサービス、メディアサービス。当然、結果を残すということも非常に厳しい方でしたけど、やはりプロ野球選手として大事なのは結果を残すこと、ファンサービス、メディアサービス。そういったことを体現し、身をもって教えていただいた方でした」と偲んだ。
一番の思い出として挙げたのは、1994年10月8日。巨人と中日が最終戦を残して同率で並び、勝った方が優勝という伝説の決戦「10・8」。試合前日、チーム宿舎だった名古屋の都ホテルで長嶋監督の部屋に呼ばれると、「しびれるところで行くぞ」と伝えられた。登板へ向けた準備の関係もあり「どのイニングで合わせましょうか?」と確認しても、返ってきたのは「しびれるところ」という答えのみだったという。
3番手で3回無失点の力投を見せ、試合を締めくくった桑田2軍監督は「10・8もそうですけど、苦しい時こそ楽しむというかね。『ファンの皆さんのためにやろうじゃないか』と、よく口にされていた。(10・8では)『監督、試合自体がしびれるんですけど、どれぐらいで用意しておけばいいですか?』と聞いても、『しびれる場面で』と。
現在は2軍監督として、巨人の未来を背負う人材を育てていく立場。指導者となった今でもミスターからの教えは生かされているといい、「2軍の首脳陣、スタッフ、選手たちにはプロとして結果を残すことと、ファンサービス、メディア対応。もう一つ僕はプラスアルファして、スポンサー対応と。これはプロとしてやらなければいけないこと。やれないとプロとして、プロ選手として一流とは言えないんだよという話は、長嶋さんから学んで、僕も若い選手に伝えているところです」と明かした。