3日に肺炎のため89歳で死去した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんの通夜が7日に、告別式が8日に東京・品川の桐ヶ谷斎場「雲」で執り行われた。7日の通夜で弔辞を読んだ元巨人監督の堀内恒夫氏は長嶋さんへの思いを口にした。

* * *

 ―訃報をお聞きになって、今日(7日)をお迎えになりましたけど、その間どんな思いが胸の中にありましたか? 

 「実は私、東京にいなくてですね。ちょうどその日に。僕はちょうど200勝の日が2日なんですよ。3日に朝早く起きて、6時40分に目が覚めて。それで、そこから動き始めたら、後で聞いたら、長嶋さんは39分に亡くなった。これは言っちゃいけないんだけどね、『来た』って言うんだよ。娘が。見えたのよ。そういうのが。『来た』って言うのよ。『うそだろ』って言ったら、40分で39分っていう話になって、聞いた時、びっくりしたの」

 「8時何分に電話来たの。だけど、ちょっと動けない用事なので。

ちょっと失礼はしたんですけども、今日こうやって弔辞まで読ましていただいたんで。ちょっと焦りましたけど。まぁ、自分の気持ちを素直に。ちょっと長かったかなっていう気がするんだけれども、私の気持ちでそうなった。 やっぱり、野手とピッチャーってちょっと違うんですよ。野手の人たちは『長嶋さんに教わった』と言うけど、僕らは教わるとかいうんじゃなくて、どうすれば野球界が良くなるかってことしか教わってないんですよ。だから『お前、考えろ』って言ったって、『それは親父さん(が)考えた方がいいでしょっ』てよく言うんだけど。いなくなってしまって、非常に残念なんだけど、微力ですけども、少しでも親父さんの遺志を継いでできればいいかなというふうに、また改めてここに来て、心の中に誓ったようなもんですよ」 

 ―弔辞の中でも、選手時代の思い出も監督になられてからの思い出もお話されていましたけど、やっぱり堀内さんだからこそっていう思いもあるんじゃないですか。 

 「そうですね。選手で9年、監督と選手で6年、監督とコーチとして7年と。60年の人生の中で、人生というか野球人生の中で、常に長嶋さんっていうのはどっかどっかにいてくれて、そして僕たちを導いてくれたっていうかな。連れて行ってくれたっていう人なんで。

いなくなったら、道案内がいなくなっちゃたんで困ってますよ」 

 ―改めて長嶋さんに届けたい思い、メッセージはありますか? 

 「もう本当に、89年、本当に突っ走ってきたと思いますよ。休むことを知らない人なんでね。長嶋さんが一番嫌うのは、フォアボールと見逃しの三振。それがもう大嫌いなんですね。そういうのを、巨人軍に少し注入してもらって、少し勝ってほしいなと思いますよ」

 ―今日(7日)勝ちました。 

 「ええ。今日もチャンスだし勝ったし、よかったですね。本当に」

 ◆堀内 恒夫(ほりうち・つねお)1948年1月16日、山梨・甲府市生まれ。77歳。甲府商から65年の第1回ドラフト会議で1位指名され巨人入団。1年目に16勝2敗で新人王、沢村賞。72年に26勝で最多勝、MVP。

83年に引退するまで巨人一筋で通算203勝139敗6セーブ、防御率3.27。84、85、93~98年に巨人投手コーチ、ヘッドコーチ。04、05年は巨人監督。08年野球殿堂入り。右投右打。

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