巨人の前監督で、オーナー付特別顧問の原辰徳氏(66)が3日、都内で取材に応じ、長嶋さんをしのんだ。「選手、コーチ、監督、全ての立場で最も影響を受けました。

ご冥福(めいふく)をお祈りいたします」と神妙な面持ちで話した。

 勝負の厳しさをたたき込んでくれた恩師の突然の旅立ち。原さんは一瞬、言葉を失った。早朝、球団関係者から一報が入った。「びっくりした。現実を受け止めるしかありませんけど、『こういう日が来るんだな』と思いました」。信じられない思いだった。

 3月15日。日本開幕シリーズで来日していたドジャースが巨人とプレシーズンゲームを行った際、大谷らの激励に東京Dを訪れたミスターと顔を合わせた。「球場に来られると非常に元気でね」。いつもと変わらぬ姿で、それが最後の対面となった。

 自身と同じ三塁のスター選手。

少年時代から憧れの存在だった。現役引退後は99年からコーチとして長嶋監督を支え、同時に帝王学を学んだ。02年から後継者に“指名”された。「勝負に厳しく、人に優しく。皆さんに愛された方。一緒にいられたのは、私の中でも大きな財産です」と教わったことを思い返しながら巨人の指揮を執った。

 思い出を挙げれば枚挙にいとまがない。「ただ一つ、自分の中でよく覚えているのが…」と切り出したのは、運命のドラフト会議の夜のことだった。1980年、4球団競合の末に、藤田監督が交渉権確定のくじを引き当て、熱望していた巨人との運命の糸がつながった。その夜、自宅に一本の電話が入った。同年のシーズン限りで監督を辞任した長嶋さんからだった。「『巨人が君を獲得できることはとてもよかった』って喜んでくださって。

立場的には、非常に難しい状況だったと思うんですが。でも、とても広い視野の中で野球を捉え、本当に巨人を愛された方なんだなと」。ミスターの言葉を自信とし、巨人を背負った。

 原さんにとって、長嶋さんとはどういう存在でしたか―。そう問われ、一呼吸ついた。「やっぱり燦(さん)然と輝く野球界の象徴である、と。私にとっては神様みたいな存在でありました」と話すと、感謝を伝えるように一瞬、天を見上げた。

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