3日に肺炎のため89歳で死去した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんの通夜が7日に、告別式が8日に東京・品川の桐ヶ谷斎場「雲」で執り行われた。告別式後、喪主あいさつに立った次女の三奈さんは、長嶋さんが最後の最後まで生きようとした姿を明かした。
三奈さんは「2004年、脳梗塞で倒れてからは、自分との闘いを21年間続けてきました。私が見ていても胸が締め付けられるぐらい苦しい治療をたくさんしてきました。食事も食べられず、会話もできない日も何日もありました。でも、父は、野球を全うしたそのままの力で、病と真正面から向き合って、決してあきらめることはしませんでした」と、長く続いた闘病生活を振り返った。
病との闘いは最後の瞬間まで続いた。3日の午前6時過ぎ、三奈さんは病室にいた。「脈拍と血圧の数値が0になったんですが、よく見ると、波形が、ピッピッと山なりの波形が、ずっと続いているんです」と不思議な現象を目にした。看護師に説明を求めると「監督が心臓を動かそう、動かそう、動かそうとしている振動なんだと思います。私、こんなの見たことありません」との返答だったという。
三奈さんは「看護師さん、主治医の先生方、最後まで驚いていました。最後まで長嶋茂雄を貫いた人生を送ったと思います。意識がなくなっても諦めず、そして、最後まで、俺は生きるんだ、諦めてないぞ、諦めてないよと。