3日に肺炎のため89歳で死去した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんの告別式が8日、都内の桐ケ谷斎場で営まれた。盟友でソフトバンク球団会長の王貞治氏(85)、巨人OB会長の中畑清氏(71)、まな弟子の元巨人・松井秀喜氏(50)=ヤンキースGM特別アドバイザー=が弔辞を読み、球団OBなど96人の参列者が約1時間半、別れを惜しんだ。

チームは楽天戦(東京D)に5―0で勝利し、通夜が営まれた前日に続き長嶋さんに白星を届けた。後日、お別れの会が開かれる。

 遺影はニッコリ笑っていた。21年10月、文化勲章受章で取材を受けた時の喜びの表情。人生の最終打席も輝いていた。どんな時も明るく前向きだった長嶋さんらしい鮮やかな祭壇。白い花と大好きなジャイアンツカラーのオレンジの花が並び、代名詞の「3」と「YG」の装飾、ジャビット人形も置かれた。誰よりも巨人を愛したミスター。巨人一色の会場で、V9時代の仲間や多くの教え子に見守られながら天国に旅立った。

 5月下旬に肺炎が悪化して血圧が低下。それでも医師も驚くほどの頑張りで持ち直したという。同31日に重篤な状態となった後も踏ん張り、6月3日、次女・三奈さんの57歳の誕生日に亡くなった。

告別式では喪主を務めた三奈さんのあいさつで最期の様子が明かされた。

 午前6時過ぎ、脈拍と血圧の数値が0になったが、よく見るとモニターの波形は続いていたという。看護師は「監督が心臓を動かそうとしている振動なんだと思います。こんなの見たことありません」と主治医と一緒に驚いていたという。同39分に息を引き取るまで生きることを諦めず懸命に戦い続けた。長男の一茂氏ら病室に集まった家族の前で、最後の最後まで勝負師の姿を見せた。

 都内の自宅に戻ると多くの関係者が弔問に訪れた。斎場に向けて出発した7日、棺(ひつぎ)を乗せた車は途中で思い出が詰まった東京ドームを周回した。午後3時過ぎ。巨人は楽天戦の試合中で0―0の投手戦が続いていたが、長嶋さんが通った後、6回に増田陸、丸の2者連続本塁打が出て2―0で勝利。背中を押して打たせてくれたとしか思えない、あまりにドラマチックな展開だった。

 親族と巨人関係者による密葬。

弔辞を読んだ松井秀喜氏は「今日は『ありがとうございました』も、『さようなら』も、私は言いません。今後も引き続き、よろしくお願いします。そして、その強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください」と今後も変わらぬ師弟関係を伝えた。

 式場の後方には展示コーナーも設けられた。天覧試合でサヨナラ本塁打を打った時のバット、松井氏と一緒に授与された国民栄誉賞の金のバット、天皇陛下から授与された勲記と文化勲章、タイトルのトロフィーや盾、現役、監督時代の写真。全てが偉大な功績を物語っていた。

 悲しい別れだが暗い雰囲気はない。陽気なミスターの人柄を表していた。告別式が終わると王氏、松井氏、高橋由伸氏、原辰徳氏、堀内恒夫氏らの手で運ばれて出棺した。野球を愛し巨人を愛し、89年の生涯を生き抜いた栄光の男、ミスタープロ野球。長嶋茂雄は長嶋茂雄の志を継承する人々の心の中で永遠に生き続ける。(片岡 優帆)

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