スポーツ報知では、ゆかりの人物が語る思い出や秘蔵写真などから、みんなに愛された長嶋茂雄さんの足跡をたどります。第6回は巨人V9時代に中堅を守り、盗塁王6回の柴田勲氏(81)。

選手同士で13年、監督と選手として6年間の付き合いの中、「一番かわいがってもらった」と感謝する柴田氏は、長嶋さんが亡くなった翌日の4日から、出棺の7日まで4日続けて自宅に弔問に訪れた。その思いは何だったのかを語った。(取材・構成=湯浅 佳典)

 長嶋さんが亡くなった翌日の4日から、柴田は毎日、ミスターの自宅を訪れた。同じ田園調布に住んでおり、徒歩で12~13分の距離だ。ただ、いくら家が近いとはいえ、出棺の7日まで4日連続での弔問は、そうそうできることではない。

 「病気をされてから入院などもあって、なかなか会えない時間が長かった。イベントで会っても、たくさん話をすることはなかった。だから、とにかく会いに行きたかった。きれいなお顔をされていて、『監督!』って声をかけたら、『なんだ柴田か』って目を開けてくれるような、穏やかに眠られているようでした。『おまえ、家が近いんだし、毎日会いに来いよ』と言われているような気がして、『分かりました!』。で、次の日に行ったら『なんだ、また来たのか』って」

 中学時代から長嶋さんにあこがれ、甲子園の優勝投手となり、巨人でチームメートとなった。ONという主砲を、周りで固める一員としてともにV9の立役者となった。

 「長嶋さんには一番、かわいがってもらったと思ってるんだ。割と1人で行動する人だったけど、(静岡の)大仁の自主トレに連れていってくれと言ったら、快くOKしてくれた。1週間2人だけで、話をしたりスイングを見てもらったり、濃厚な時間を過ごさせてもらった。食事にもゴルフにも何度も行った。自分の心の整理をつけるというか、最後の最後まで悔いを残さないように、4日間、顔を見に行かせてもらったんです」

 ONを差し置いて4番に入ったこともあった。長嶋さんの監督時代にはノーサインでの盗塁が認められていた。三盗を企ててアウトになり、コーチにとがめられたことから騒動にもなった。思い出は尽きない。でも柴田が、何も言葉を発しない長嶋さんを見て思い出したのは、こんなミスターの言葉だった。

 「もう40年以上前になるかな。一緒にゴルフに行った時、『おい柴田、人間の理想の死に方って知ってるか?』って突然、聞くんですよ。ビックリして『考えたことないです。

長嶋さんにはあるんですか?』って聞き返しましたよ。『うん、ある。晩年になった時に、縁側でコタツに入って、ひなたぼっこをしながら、みかんを食べる。食べ終わったらスヤスヤと眠るがごとく、そのまま逝く。それだよ』と言われたんです」

 その思い出を、次女・三奈さんにしたら、三奈さんが驚いたという。

 「長嶋さんのお母さん(チヨさん)が(94年に)千葉の実家で92歳で亡くなった時が、まさにそんな死に方だったと言うんですよ。僕が聞いたのは、お母さんが亡くなる何年も前のことですからね。2人で思わず顔を見合わせましたね」

 長嶋さんは04年3月に脳梗塞(こうそく)で倒れた。

 「あの壮絶なリハビリを考えると、長嶋さんの理想とはかけ離れた病気になってしまったということでしょ。亡くなる1か月ほど前も、苦しい期間はあったそうです。それでも病院での最後は、穏やかであったと聞きました。4日間、お顔を見させてもらって、長嶋さんは理想を実現したのかもしれないと思いましたね」

 ◆柴田 勲(しばた・いさお)1944年2月8日、横浜市生まれ。

81歳。法政二でエースとして60年夏、61年春の甲子園で連続優勝。62年に巨人入り。この年6試合0勝2敗で、翌年から外野手に転向。俊足の1番打者、日本初の本格的なスイッチヒッターとして活躍。通算2208試合に出場、2018安打、708打点、194本塁打。打率・267。盗塁王は6度、通算盗塁579は現在もセ・リーグ記録。右投両打。

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