スポーツ報知では、ゆかりの人物が語る思い出や秘蔵写真などから、みんなに愛された長嶋茂雄さんの足跡をたどります。第7回は阪神OB会長の掛布雅之氏(70)=スポーツ報知評論家=。

長嶋さんに憧れて野球を始めた少年は、阪神のテスト生から「ミスタータイガース」へ駆け上がった。語り草となる猛練習の背中を押してくれたのは、寮の自室に飾ってあった長嶋さんのポスター。千葉の後輩としてもかわいがられ、感謝の思いを語った。(取材・構成=島尾 浩一郎)

 後の「ミスタータイガース」を育んだ虎風荘406号室には「長嶋」と「スティーブ・マックイーン」が並んでいた。憧れの背番号3と、73年夏に大ヒットした映画「大脱走」。テスト生としてドラフト6位で入団した千葉出身の18歳は、ベッドの横に大きなポスターを2つ貼っていた。

 今年1月21日に大阪市内のホテルで開催された甲子園歴史館運営会議で、掛布は隣に座る長島三奈さんにそのエピソードを披露。「阪神の選手が父のを貼って怒られなかったのですか」と驚きながら「帰って必ず父に伝えますね」と約束してくれたという。

 「体調のことを聞くと『大丈夫です。心配しないでください』と言っていたので、ちょっと安心していた。だから、まさかこんな形になるとは」

 小学校低学年で、父・泰治さんに、剣道の防具か、バットとグラブを買うか聞かれて、野球を始めた。躍動感あふれる長嶋さんのプレーに憧れたからだ。

巨人のV9は、小学4年から高校3年までの期間だった。

 「野球の楽しさ、面白さ、魅力を教えてくれた。長嶋さんがいなかったら、剣道をやっていたかもしれない。王さんのホームランもすごかったけど、長嶋さんは失敗も含めた野球の全てで見せてくれた。打つ、走る、守るはもちろん、空振りでもトンネルでも絵になった」

 ルーキーイヤーが長嶋さんの引退の年だった。

 「長嶋さんの3と王さんの1が並ぶ31の背番号を大切にしようと思った。1年だけでも同じグラウンドに立てたのは一生の宝物」

 甲子園球場での練習中に当時38歳のミスターに初めて話しかけられた。

 「君、いくつ? 僕と20も違うのか。若いなぁ。野球を頑張りなさい。野球は楽しいぞ」

 初ヒットは74年5月21日の巨人戦(後楽園)。代打で左中間を破ると、二塁を回って、三塁を目指した。

 「全然間に合わないタイミングなのに、三塁ベース上で長嶋さんが手を広げて、待っていてくれるように見えてしまって。で、笑いながら、アウトだよとタッチされた。一番うれしいヒットで、一番うれしいアウト」

 甲子園の現役最後の4連戦での姿も印象に残っている。安打で出塁した後、代走を送られ、一塁側の阪神ベンチ前からバックネット前を通り、三塁側ベンチに帰るシーン。敵に厳しかった阪神ファンが「ありがとう長嶋」と言いながらスタンディングオベーションした。

 「鳥肌が立った。長嶋さんのやった野球というのは敵、味方を超越していたんだと感じた。あの時、この人に憧れて野球を続けたことは間違いじゃなかったと確信した」

 監督時代にはライバルチームの4番打者にもかかわらず、結婚式のスピーチを引き受けてくれた。かかってきた電話を肩で挟みながらの素振りで、不振を脱出したこともある。引退報道が出たときも、すぐに声をかけてくれた。阪神で、対巨人のシーズン2ケタ本塁打を3度記録したのは掛布だけ。巨人を苦しめることが長嶋さんに対する恩返しだった。

 「日本の野球の太陽。感謝しかありません」

 ◆掛布 雅之(かけふ・まさゆき)1955年5月9日、新潟・三条市生まれ、千葉出身。70歳。習志野で2年夏に甲子園出場。入団テストを経て73年ドラフト6位で阪神入団。本塁打王3回、打点王1回。通算1625試合で1656安打、349本塁打、1019打点、打率2割9分2厘。2016、17年は阪神2軍監督。24年11月に阪神OB会長就任。25年1月に野球殿堂入り。現役時代は175センチ、77キロ。右投左打。

編集部おすすめ