「ミスターラグビー」こと、元日本代表SOの松尾雄治さん(71)は長嶋茂雄さんに導かれ、現役引退後のキャリアを歩み出した。キャスターとしてスポーツ報道に携わる中、ともに五輪取材も経験した。

長嶋さんがこだわった「プロの技術とアマチュアの心」など、当時の記憶とともに、前後編で振り返る。(取材・構成=大谷 翔太)

 1985年に現役引退後、スポーツキャスターとしてさまざまなスポーツ報道に携わった。そのきっかけは長嶋さんから「ぜひ、一緒に」という一言だった。日本テレビ系番組「長嶋茂雄 世界を駆ける」などでは、世界中のアスリートのもとを訪問した。今でも懐かしむ。

 「長嶋さんが(93年に巨人で)監督復帰するまで、3日と空くことなく一緒にいた。米国、欧州や(当時の)ソ連など。ニューヨークのカール・ルイス(陸上)の自宅にも行って、とにかく2人でいろんな所を訪れた」

 長嶋さんと過ごした時間の中で、心に残っている言葉がある。

 「『プロの技術とアマチュアの心』と、いつも言っていた。プロの技術を持って超一流のプレーをし、燃えるような、子どものように純粋な気持ちは忘れないように、という意味。長嶋さんは常にスーパースターでした」

 2人で取材したのが88年のソウル五輪。長嶋さんは、その「アマチュアの心」で競技に触れていた。

松尾さんはクスッとほほ笑みながら、記憶をたどった。

 「シンクロ(ナイズドスイミング、現アーティスティックスイミング)の小谷実可子(ソロとデュエットでともに銅メダル)がプールに飛び込むと、長嶋さんも一緒に息を止めてね。『ハァ、雄ちゃん、これはもう絶対に金メダルだな』って。息を止める競技ではないんですよ(笑)。柔道の斉藤仁が勝った時にも、すごい力の入れようで。競技を見る時の集中力、熱がすごかった」

 長嶋さんとのつながりで、スポーツだけでなくさまざまな業界人との交流も増えた。「スポーツマンは、人とどう接するべきか」ということも近くで学んだ。

 「長嶋さんは『スポーツ人は、人を明るくさせないといけない』と身に染みて、大切にしていた。長く付き合いをさせてもらい、本当にラグビーをやっていて良かったと思った。長嶋さんと出会えたことは、私の宝です」

 公私とも多くの時間を共有した松尾さんは、長嶋さんの天性の明るさに、どんどん惹(ひ)かれていった。(つづく)

 ◆松尾 雄治(まつお・ゆうじ)1954年1月20日、東京・渋谷区生まれ。71歳。

幼い頃からラグビーを始め、明大4年時に大学選手権、日本選手権で優勝。新日鉄釜石では77、79~85年に日本選手権V。82年から監督を兼任し85年引退。日本代表の通算キャップ数は24。ポジションはSO、SH。2004~12年に成城大で監督。

 ◆88年ソウル五輪 日本のメダル獲得総数は14個(金4銀3銅7)。競泳男子100メートル背泳ぎを制覇した鈴木大地は「バサロ泳法」で脚光。柔道は史上初金メダル0のピンチのまま迎えた柔道競技の最終日に95キロ超級で斉藤仁が日本初の五輪連覇に成功して男泣き。レスリングの小林孝至は帰国後に金メダルを紛失し、一躍時の人となった。シンクロは小谷実可子がソロと、田中京とのデュエットでともに銅メダルを獲得した。

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