18日の交流戦、巨人―日本ハム戦(東京D)でのこと。1点を追う6回の巨人は2番の坂本が四球、3番の泉口が右前安打で無死一、二塁。
50年の2リーグ制以降、巨人の4番が犠打をマークした回数(年)は以下の通り。
宇野 光雄 1(51年)
川上 哲治 10(54、56、57、58年)
宮本 敏雄 1(58年)
与那嶺 要 2(58年)
長嶋 茂雄 3(58、61、68年)
王 貞治 1(62年)
原 辰徳 3(84年)
松井 秀喜 1(95年)
阿部慎之助 2(12、17年)
坂本 勇人 2(15年)
亀井 善行 1(15年)
岡本 和真 1(19年)
中田 翔 1(22年)
吉川 尚輝 1(25年)
最多は川上哲治の10度だが、世界の本塁打王、王貞治も62年7月22日の国鉄戦(後楽園)で1度、長嶋茂雄も58年8月16日の阪神戦(後楽園)、61年4月26日の広島戦(後楽園)、68年10月2日の産経戦(後楽園)で3度、4番での犠打をマークしている。松井秀喜も95年8月25日の阪神戦(甲子園)で四球で出たマックを投犠打で二塁へ進めている。
ちなみに巨人の4番が犠打をマークした試合は50年以降の30戦で20勝8敗2分けの勝率・714。18日の日本ハム戦も吉川の犠打で同点に追いついて、その後逆転しての2―1勝利。3年ぶりの4番の犠打はしっかりと勝利に結びついた。