18日の交流戦、巨人―日本ハム戦(東京D)でのこと。1点を追う6回の巨人は2番の坂本が四球、3番の泉口が右前安打で無死一、二塁。

続く4番の吉川は1―0からの2球目をバント。これが決まって1死二、三塁。続く増田陸の犠牲フライで同点に追いついた。巨人はなりふりかまわず4番が送りバントという策に出たが、巨人の4番が犠打をマークしたのは22年9月21日、DeNA戦(横浜)の中田翔以来3年ぶりのことだった。

 50年の2リーグ制以降、巨人の4番が犠打をマークした回数(年)は以下の通り。

宇野 光雄  1(51年)

川上 哲治 10(54、56、57、58年)

宮本 敏雄  1(58年)

与那嶺 要  2(58年)

長嶋 茂雄  3(58、61、68年)

王  貞治  1(62年)

原  辰徳  3(84年)

松井 秀喜  1(95年)

阿部慎之助  2(12、17年)

坂本 勇人  2(15年)

亀井 善行  1(15年)

岡本 和真  1(19年)

中田  翔  1(22年)

吉川 尚輝  1(25年)

 最多は川上哲治の10度だが、世界の本塁打王、王貞治も62年7月22日の国鉄戦(後楽園)で1度、長嶋茂雄も58年8月16日の阪神戦(後楽園)、61年4月26日の広島戦(後楽園)、68年10月2日の産経戦(後楽園)で3度、4番での犠打をマークしている。松井秀喜も95年8月25日の阪神戦(甲子園)で四球で出たマックを投犠打で二塁へ進めている。

 ちなみに巨人の4番が犠打をマークした試合は50年以降の30戦で20勝8敗2分けの勝率・714。18日の日本ハム戦も吉川の犠打で同点に追いついて、その後逆転しての2―1勝利。3年ぶりの4番の犠打はしっかりと勝利に結びついた。

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