巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第6回は“世界の盗塁王”こと元阪急の福本豊さん(77)=スポーツ報知評論家=だ。

通算1065盗塁の元世界記録保持者は、最強のリードオフマンとして打倒・巨人の目標のもと、日本シリーズで激闘を繰り広げてきた。6月3日に逝去した長嶋茂雄さんとの思い出や、当時の世界記録達成のほろ苦い瞬間まで、「喜怒哀楽」を語った。(取材・構成=太田 倫、表 洋介)

 プロ20年で1065個の盗塁を決めたけど、一番おもろない盗塁は世界新のアレやね。1983年6月3日の西武戦(西武)で、僕は米大リーグのルー・ブロック(元カージナルス)が持っていた当時の世界記録938盗塁を抜いた。初回に四球で出て、二盗でタイ。そして6―11で負けてた9回1死二塁から、三盗で939個目を決めたんよ。

 全然走る気なかったんやけどね。5点差もあってね、タイ記録でええわ、もうボロ負けやし、次の試合でええやんって。走って1点取っても負けやん。なのに、けん制球を投げてくるんよ。遊撃手の石毛宏典に「走れへんぞ」って言うたけど、また来てね。けん制の練習してんのか?って。

それでアタマきて、走ったるわ、って。

 後で担当記者にものすごい怒られた。記事できあがってんのに、またイチから書かないとあかんがな、言うて。「すいません、走る気なかったんやけど…」って謝ってね。あれでアウトになったらなったで、ボロクソ言われるやろうけどね。おもろくも、うれしくもないし、お祝いの花火が上がっているのも知らんかった。顔もブスッとしとるしね。一番スカやったね。できればやり直したいわ。

 これがプロやな、汚いなっていう経験もあった。例えば、一塁のスタート切るところに水をたっぷりまいて、砂場みたいにしておく作戦。足場が軟らかくなっていて、つるっと滑る。

えげつなかったね。当時、宮城球場を使っていたロッテなんかが使った手やった。

 宮城球場では、グラウンドキーパーのおっちゃんが「福本さん、ファーストのところ気をつけなさいよ、見ときなさい」ってこっそり耳打ちしてくれた。あのとき、ロッテの監督はカネやん(金田正一)やった。向こうにも走れる選手が何人もおるのに、僕ひとりのために何をすんねん、と。

 おもろいもんでね、足場が悪いとこをよけてちょっと投手寄りでリードを取ると、あまりけん制してこない。逆に後ろに行くと、マークされる。遠近感で、投手寄りにいるとリードが小さく感じるみたいなんやね。うまく利用して走ってた。食うか食われるかの世界やからね、方法はいろいろあるもんなんよ。

 ◆福本 豊(ふくもと・ゆたか)1947年11月7日、大阪生まれ。77歳。

大鉄高(現阪南大高)、松下電器を経て、68年のドラフト7位で阪急(現オリックス)に入団。2年目から13年連続盗塁王。72年は当時の“世界記録”となる106盗塁。通算1065盗塁、115三塁打はNPB記録。外野手部門でダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)も歴代最多の12度受賞。88年に引退し、2002年に殿堂入り。左投左打。

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