巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第6回は“世界の盗塁王”こと元阪急の福本豊さん(77)=スポーツ報知評論家=だ。

通算1065盗塁の元世界記録保持者は、最強のリードオフマンとして打倒・巨人の目標のもと、日本シリーズで激闘を繰り広げてきた。6月3日に逝去した長嶋茂雄さんとの思い出や、当時の世界記録達成のほろ苦い瞬間まで、「喜怒哀楽」を語った。(取材・構成=太田 倫、表 洋介)

 何が哀しいって、やっぱり負けることやね。日本シリーズも全部で8回出たけど、最初の頃は、思うように働けんかった。自分じゃない自分が野球をやっとったね。シーズンでは普通にできても、ガチガチ。あれ、いつの間に終わったん? そんな感じやった。

 思い出すのは、1971年の巨人とのシリーズ。この年は67盗塁で2年連続でタイトルも取っていたから、マークされてるとは聞いとった。キャッチャーの森昌彦(現・祇晶)さんの肩が多少衰えてきているのも分かっていた。ただね、南海の野村克也さんもそうやったけど、肩が弱いからいうても、ベースの上にストライクの球が来たらアウトになんねん。そんな甘くないんですよ。

 第1戦は西宮球場。7回に初盗塁を決めたけど、1―2の9回無死一塁から、二盗を刺された。森さんはいろいろ対策を練られたそうやね【注2】。僕はシーズンと一緒で、出たら走る、それだけやった。ただ、セーフにならなあかん、というプレッシャーはあった。そこが短期決戦と公式戦の違いやね。森さんの送球も良かったけど、堀内恒夫のクイックモーションもうまかった。いろんな投げ方ができる、一番上手な投手。僕は投手の動きのリズムを感じてスタート切るんやけど、タイミングが全く分からんかった。ほんまに彼は天才やね。

 盗塁死はショックやったな…。スタート遅かったな、とか、1球前に走っとけば、いや1球待てば良かったか、とかいろいろ考えてしまって。

足にスランプなしとか言うけど、シリーズ通してスタート切るのをためらった。

 後楽園での第3戦では山田久志が1―0の9回に、王貞治さんに逆転サヨナラ3ランを浴びた。それまで完璧な投球で、勝ったと思ったのに、最後にどえらいことになった。センターから見ていて、打たれた瞬間「あかん」と。ガックリきたね。ヤマには誰も何を言っていいか分からんような感じでね。僕が行って「しゃあない、しゃあない」って声かけたんとちゃうかな。結局シリーズは1勝4敗で終わりました。

 V9時代の巨人には、目に見えないオーラを感じたね。勝っててもランナーが1人出ただけで、ものすごいピンチみたいになる。こっちとしては「おっ…」て腰が引けてしまうような、のまれるような感覚になったね。

 【注2】森は日本シリーズ前に多摩川グラウンドでゴロ捕球用の鉄板を利用して素早いボールの握り替えやスローイングを特訓。

柴田勲、高田繁といった自軍の俊足の選手相手に、盗塁を刺す練習を重ねた。開幕直前には3日ほど肩を休め、万全の状態に持っていく念の入れようだったという。

 ◆福本 豊(ふくもと・ゆたか)1947年11月7日、大阪生まれ。77歳。大鉄高(現阪南大高)、松下電器を経て、68年のドラフト7位で阪急(現オリックス)に入団。2年目から13年連続盗塁王。72年は当時の“世界記録”となる106盗塁。通算1065盗塁、115三塁打はNPB記録。外野手部門でダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)も歴代最多の12度受賞。88年に引退し、2002年に殿堂入り。左投左打。

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